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あとがき


年表 : アジア主要国年表   古代西アジア年表
地図 : 西アジア(古代)

10年の時を経て、ようやくまとめることができた中央アジアの旅。旅日記と以前大学のサークル誌に旅の感想文として載せたものを参考にして書いたが、よく覚えていることもあれば全く忘れていることもある。すごいなと思った景色でも案外すぐ忘れてしまうこともあるし、日記にも書いてない、なんてことない街角の風景がいつまでも心に残っていることもあるのだ。日記を読み直して、その時の印象と今残っている印象が違っていることもあって書くのに違和感を感じたが、当時の印象を優先した。

中央アジアは現在は各共和国が独立し、様子もだいぶ変わったようだ。当時は考えられなかった中国からカザフスタンやキルギスへ国境を越えるツアーも出ているし、行けなかった町にも行けるようになっている。逆にタジキスタンの内戦のせいでペンジケントの遺跡には行けなくなっているようだ。どんなに険しい山でも厳しい自然でも人はそれを越えて道を作っていくが、それを妨げるのはいつも人間自身だ。シルクロードはそうやって人間が切ったり繋げたりしながら続いている。今現在でも。

イランは元々私の興味から少しはずれた場所だったが、実際行ってみるとこんなに面白い所はないなと思うほど面白い所だった。イスラム建築も中央アジアのイスラム建築がやはり田舎のものだったかと思ってしまうほど規模も内容も立派なものだったし、イスラム以前の遺跡も様々な文化の融合を見せて興味深いものだった。

人も自然も予想外に豊かで目を見張るものだった。日本にいると日本にいるイラン人の悪いイメージが先行して、そしてあのひげ面の濃い顔も災いしてイラン人は恐いと思ってしまうのだが、実際は優しくてフレンドリーな人々だった。ひげ面だって、周囲がひげ面ばかりだとあまり気にならなくなるものだ。自然も決して砂漠ばかりではない、変化のある豊かな自然だった。実際のイランを見ずして、先入観だけで彼らを見ていたことに私は申し訳ないと心から思う。

今はもう、私にとって彼らは近しい存在だ。互いを知れば互いの距離は短くなる。日本と中央アジア、イラン、そしてその他のアジアの国々も古来からシルクロードで結ばれて、すでに互いに知り合っていたのだ。せっかくそうした過去があるのだから、私たちも彼らから目を背けず、壁を作らず、もっと彼らを知り、もっと近しい存在になるべきなのではないだろうか。

日本人はシルクロードが大好きだけれど、過去の歴史ばかりを追っている部分がある。もちろん歴史を顧みることも必要だけれど、その歴史をふまえて、今を生きる人々の心の中で繋がるシルクロードをもっと考えることができたらと、この旅行を終えて思った。

さて、次の旅行は――はてさて、いつになることやら、どこへ向かって行くのやら……。


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を利用して作りました。