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2.文明の行き交う国−イラン


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地図 : ルートマップ  詳細   西アジア(古代)

◇ スモッグの大都会・テヘラン

4月30日、雨の中成田へ向かい、私は西遊旅行社のツアーメンバーとなって、イラン航空テヘラン行きの飛行機に乗った。ゴールデンウィーク中なので、機内は日本人のツアー客でいっぱいだ。

テヘランまで直行なのだが、11時間もかかった。北極回りのヨーロッパ便とほとんど変わらない。地図だとテヘランの方がよほど近く見えるのだけど、地球は丸い。ヨーロッパへ縦に回るのとイランまで横に回るのでは、距離はほとんど同じということになる。

飛行ルートは中国の北京、ウルムチを通り、天山山脈を越えてウズベキスタン、トルクメニスタンを通ってイランへ入っていく。今まで旅した所を飛び越えていくのはなかなか感慨深いことだ。窓際の席じゃなかったので、トイレに立った時、真下に見える天山山脈をちらっと見ただけだったのが残念だった。本当は夜になって暗くなってしまうまで、窓に張りついて大好きな中央アジアの大地を眺めたかったのだ。

機内はイラン航空だから当然酒のサービスはない。食事もチキンかビーフ、前の方の真ん中の座席が取り払ってあって個室の礼拝室になっているのには驚いた。パキスタン航空にはそういう施設は機内になかったはずだ。もうよく覚えてないけど。ビーマン・バングラデシュ航空じゃ乗務員が通路で礼拝してたし…。

さぁすが、イランだわ〜、と感心している場合ではない。いよいよテヘラン着陸という時になって、例の女性はコート、スカーフ着用を言い渡された。イラン・イスラム革命からはや22年経ち、ずいぶん旅行しやすい国になってきたが、この決まりだけは未だに無くならない。厳格なイスラム教国は他にもあるが、外国人の旅行者にまで服装の規定を設けているのはイランだけだ。

そもそもイスラムの教えで肌を隠すのは、自らの慎み深さを表すものなのだ。つまりそれはあくまで自発的な行為で、人に強制されるものではないはずなんだけど、そんなことを言って文句を言っても、入国させてもらえないだけなので、おとなしくコートを着てスカーフをかぶる。

空港のパスポートチェックも両替もやたらと時間がかかった。もうここからすでにイランペースだ。これから先、一事が万事こののんびりペースだそうだからイライラしてはいけない。ひたすら我慢の子である。

テヘランはアルボルズ山脈の麓の斜面に広がっており、イラン一の都会だけあって広がり方も普通の街より並はずれて大きい。標高は低い所で1100mだが、北部の最も高い所で1700mもある。しかし結構暑い。日本のレインコートはどんなに薄地のものでも防雨防風用にできているので、余計に蒸れて暑い。次の日からはTシャツ素材のゆったりしたワンピースに薄手のズボンをはき、スカーフも木綿のものにした。

テヘランの見学は考古学博物館にガラス陶器博物館。考古学博物館はイスラム以前、以後と展示が分かれ、以前の方は先史時代から紀元前2700〜前600年頃のエラム王国時代、アケメネス朝〜パルティア〜サーサーン朝までの遺跡の出土品が時代毎に並べられ、圧巻である。

ハンムラビ法典エラム王国時代の所にハンムラビ法典*1のレプリカがあった。あれ、ハンムラビ法典てバビロニア(今のイラク)のものじゃないの?、と不思議に思っていたら、出土したのはイランのシューシュ(スーサ)なのだそうだ。ようするにエラムがバビロニアからぶんどって来たものなのね。ツアー仲間が「イラクにもあったよ、このレプリカ」とおっしゃった。そりゃそうだ、もともとバビロニアのものだもの。しかし最終的にはフランスがぶんどって、今はルーブルに本物がある。

イスラム以後の展示品は美術品、手工芸品が主である。金属細工や陶芸、ミニアチュール(細密画)など、こちらも見ていて飽きない。面白いのは陶芸で、9−10世紀頃の見事なペルシア三彩に感激していると、後は青の染付、赤絵、青磁と続き、それは中国の陶芸の歴史と同じで、常に中国の影響を受けていることがわかる。

ペルシア文化はどの時代でも、東西の文化が入り混じりながら成り立っている。この博物館一館を見ただけでもそれがよくわかった。ペルシア文化と聞いてオリジナルな特徴が思い浮かんでこなかったのもそのせいなのだ。

古くはエジプト、メソポタミア、アッシリア等の影響を受け、それからギリシア、ローマ、インド、中国、そして遊牧民たちの影響を混ぜ込んで、複雑に絡み合いながらマッチングしている。それがオリジナルなペルシア文化なのだ。そういう点はちょっと日本と似ているかもしれない。もっとも、日本の入り混じりは大陸のはずれの吹きだまりに寄せ集まってできたものだけど、イランのはまさしく交差点のど真ん中のるつぼ状態だから、ダイナミズムが違うけどね。

ガラスと陶器の博物館は、古い歴史を持つペルシアガラスと陶器を集めた博物館で、建物はガジャール朝時代の権力者の邸宅である。ガジャール朝は日本の明治時代頃の王朝で、華美な装飾はそれまでの青を基調としたものから、赤を基調としたきらびやかなものに変わっている。西欧の影響を色濃く受けていて、明治時代と同じだなあ、なんてそういう時代的背景を考えるのも面白い。

テヘランの街並みは統一感に欠けていて、あまりきれいに見えない。古くからある街ではないので、趣のある古い建物なんかはほとんどないし、あっちこっちで好き勝手にビルを建てていて、そのビルもあまりおしゃれじゃないし。

道路とかはきれいに掃除してあって他のアジアの街よりずっときれいなんだけど、車が多いのは困りものだ。もの凄いスモッグなのだ。朝、高層ホテルの部屋の窓から見下ろしたら、晴れているのに街がうっすら澱んでいた。昼間なんか目がちかちかするほどだ。本来なら抜けるような青い空も、街を彩る豊かなプラタナスの並木もスモッグで汚れ、なんだかかわいそうな気がした。

おかげで街の印象はすこぶる悪く、雪の見えるアルボルズ山脈の眺めだけを慰みにテヘランを後にした。


*1 ハンムラビ法典
バビロン第1王朝第6代ハンムラビ王による現存する世界最古の法典。「目には目を」などの復讐法はこの法典からの出自である。


● イランで「着る」 ●●

イランを旅行するときは、男性はノーネクタイ、女性はズボンにスカーフ・コート着用が基本だ。ではイランでの女性の服装はどんなものか、というと……
チャドルまず現地の人はチャドルを被るか、マーントーを着てマグネを被るのが基本スタイル。
チャドルは頭の先から足の先まですっぽり隠れる大きな布。被りやすいように縫い合わせたのもある。色はほとんど黒。
マーントーマーントーはイスラムコートとも言う。長袖で膝より下の長さのコート。雨用ではないので軽くて通気性の良い素材で作られている。動きやすいよう両脇にスリットが入っているものもある。デザインはいろいろで流行みたいのもあるようだ。長さも人によって微妙に違う。色は黒でなくてもよいが地味な色。
マグネはイスラムスカーフ。下図のようにして被る。普通のスカーフよりずれなくて便利なので、私もバザールで買って着用していた。色は黒、紺、グレー、ダークグリーンの四色。1枚1万5千リアル(220円ぐらい)を2枚買って2千リアルおまけしてもらった。
旅行者はスカーフにレインコートだけど、レインコートは暑い!蒸れる! 雨はほとんど降らないのでとにかく風通しの良いものを。コートじゃなくても、ゆったりしたワンピースとか裾の長い長袖シャツ、あるいはパジャマでも、とにかく色が地味で体が隠れればなんでもよいのだ。スカーフも木綿の方がよい。ただし透けるのはあまりよくないかも。

マグネ図解
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