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2.文明の行き交う国−イラン


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◇ 10年後の決断

「なんでイランなの? 見るとこあるの?」

私がイランへ行くのだと言うと、たいていの人はこう聞いた。そして次の言葉は「イランって、危なくないの?」だった。

ことほど左様にイランという国は知られていない。イランというとまずホメイニ師*1という言葉が浮かび、過激なイスラムの国という印象が浮かぶ。お隣のイラクと戦争*2をしていたことぐらいは覚えている人もいるかもしれない。

一方でイランを知らない人でも、ペルセポリスという言葉は歴史の授業で聞いたことがあるかもしれないし、アラベスク*3に彩られた玉ねぎドームのモスクを写真で見たことがある人もいるだろう。だがそれと、現在のイランという国が結びついていないのだ。

私はそれらのことと、治安は全然悪くないということを説明しながら、実は自分もイランについてそれほど知らないことを痛感していた。

高校生の頃からシルクロードは大好きだったが、どちらかというと中央アジアばかりに興味が偏り、歴史を学んでもパルティアよりはバクトリア、サーサーン朝よりはクシャーン朝だったし、イスラム時代になってもイラン固有の文化がどういうものか今一つつかみきれていなかった。イラン行きが結局後回しになっていたのも、その興味の偏りが原因だった。

今回、急にイラン行きを決断できたのは、またしても物語のおかげだった。自分の書く物語の舞台を見に行こう、という気持ちが、今まで興味の薄かった未知の土地へと私を押しやったのだ。ここ数年、中国へ行って海外旅行というハードルはすでに低くなっていたし、幸い臨時収入もあった。本当によいチャンスだった。この機会を逃したら、もう二度と行けないかもしれないと思った。

「危ないからダメ」と言っていた夫も、最後にはあきれ顔で「ダメって言ったって、行くんだろう」と諦めてくれた。

ネパール、インド、パキスタン、中国、中央アジアと旅を重ねて、中央アジアから帰った時、もしまたシルクロードの旅に出ることができたら、次こそはイランだな、と思っていた。それから10年、あの頃の熱い想いはもういささか冷めてしまったけれど、もう一度シルクロードへ、夢の残りを携えてようやく旅に出たのだった。


*1 ホメイニ師
イラン・イスラム革命の指導者。王制批判運動の中心的人物だったため国外追放されていたが、1979年国王の独裁政治に国民が反旗を翻し王制を打倒、ホメイニ師は国民に迎えられ帰国し革命を指導した。革命成立後はイラン・イスラム共和国の最高指導者となった。
*2 イラクと戦争
1980年、イラク軍によるイラン領への攻撃をきっかけに始まった戦争。イラクはイラン革命の波及を防ぎ、チグリス・ユーフラテス河口の領有権問題で有利に立とうとの思惑だった。戦争は長期化したが、88年イランが国連安保理による停戦を受け入れ終結した。長期の戦争は両国の経済に大きな打撃を残している。
*3 アラベスク
イスラム文化から生まれた文様。植物の茎・葉を図案化して、唐草文様や幾何文様さらにアラビア文字を組合せてデザインしたもの。

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を利用して作りました。