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「なんでイランなの? 見るとこあるの?」
私がイランへ行くのだと言うと、たいていの人はこう聞いた。そして次の言葉は「イランって、危なくないの?」だった。
ことほど左様にイランという国は知られていない。イランというとまずホメイニ師*1という言葉が浮かび、過激なイスラムの国という印象が浮かぶ。お隣のイラクと戦争*2をしていたことぐらいは覚えている人もいるかもしれない。
一方でイランを知らない人でも、ペルセポリスという言葉は歴史の授業で聞いたことがあるかもしれないし、アラベスク*3に彩られた玉ねぎドームのモスクを写真で見たことがある人もいるだろう。だがそれと、現在のイランという国が結びついていないのだ。
私はそれらのことと、治安は全然悪くないということを説明しながら、実は自分もイランについてそれほど知らないことを痛感していた。
高校生の頃からシルクロードは大好きだったが、どちらかというと中央アジアばかりに興味が偏り、歴史を学んでもパルティアよりはバクトリア、サーサーン朝よりはクシャーン朝だったし、イスラム時代になってもイラン固有の文化がどういうものか今一つつかみきれていなかった。イラン行きが結局後回しになっていたのも、その興味の偏りが原因だった。
今回、急にイラン行きを決断できたのは、またしても物語のおかげだった。自分の書く物語の舞台を見に行こう、という気持ちが、今まで興味の薄かった未知の土地へと私を押しやったのだ。ここ数年、中国へ行って海外旅行というハードルはすでに低くなっていたし、幸い臨時収入もあった。本当によいチャンスだった。この機会を逃したら、もう二度と行けないかもしれないと思った。
「危ないからダメ」と言っていた夫も、最後にはあきれ顔で「ダメって言ったって、行くんだろう」と諦めてくれた。
ネパール、インド、パキスタン、中国、中央アジアと旅を重ねて、中央アジアから帰った時、もしまたシルクロードの旅に出ることができたら、次こそはイランだな、と思っていた。それから10年、あの頃の熱い想いはもういささか冷めてしまったけれど、もう一度シルクロードへ、夢の残りを携えてようやく旅に出たのだった。
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