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年表 : | アジア主要国年表 古代西アジア年表 | 地図 : | ルートマップ 詳細 西アジア(古代) |
ヒワはブハラよりさらに小さい町だ。そしてより多くの古い街並みが残されている。ブハラと違って旧市街を囲む城壁が残されていて、その内部が野外博物館として保存されているのだ。城内には普通の民家もあり2000人ぐらいの人が住んでいるそうだが、歩いているのはほとんど観光客。お店やお土産物屋さんとかもあるけれど、商売っけもなくて実に静かなものだ。
西の城門を入ると、目の前に巨大な青い煙突のような低い塔が見える。カルタ・ミナルというヒワのシンボルの塔で、もちろんもっと高く、ブハラのカリャン・ミナレットより高くなるはずだったのに、時の権力者が戦争のために建造を途中で放棄してしまったのだ。しかし、これはこれで非常に目立つ存在になっている。
クニャ・アルク(城砦)の中のモスクはブハラのボロ・ハウズ・モスクと同じように、前面が木の列柱で支えられている。町の中ほどにあるジュマ・モスク(金曜モスク)などは礼拝室全体に木の列柱があり、イスラムの寺院には思えないほどだ。ここら辺は山も近くにあるし、木がふんだんに手に入ったからなのだろうか。あるいは、木で柱を造ることが一番贅沢な装飾として珍重されたのだろうか。
あるいは、中国の影響を受けているのかもしれない。クニャ・アルク・モスクやタシュ・ハウリ宮殿のハーレムに残る柱や天井の模様や彩色にも、何となく中国っぽいデザインがあったから。時代的にはどれも17,8世紀と比較的新しいもので、もちろん中国の影響を受けていたっておかしくはないだろう。
中世から近世にかけての中央アジアは交易路として栄えたそれ以前の時代に比べれば、大多数の交易品が海を渡るようになりあまり注目されなくなってしまったが、往来が全くなくなってしまったわけではないのだ。ティムール朝のような大帝国の時代もその後の小国分裂の時代も、人々は行き交い文化が往来していた。この小さな町に残されたたくさんのメドレセやモスク、そして聖人の廟、バザール等が立派にそれを示している。今は人影もなく、静かに昔日の面影を見せているに過ぎないけれど……。
しかしそんな静かな博物館の展示品のような町にも、まだわずかながら人の賑わいがあった。サイード・アラウッディン廟は小さな廟だが、第3のメッカといわれている。第2はサマルカンドのシャーヒ・ジンダ廟で、つまりはここへ来て参拝すればメッカへ行ったのと同じことになるのだそうだ。メッカへの巡礼はムスリムの義務だけど、メッカは余りにも遠く遙かな地だ。そこでメッカへ行けない人のために、こうした救済措置(?)が取られているのだろう。
日本にもあるよね、こういうの。ここのお寺にお参りすれば四国八十八カ所へ行ったのと同じ功徳がある、みたいなの。信仰の形って主義主張が違ってもあまり変わらないものなのかもしれない。廟には3人のおばあさんが熱心に礼拝していた。老人が信心深いのもどこの国でも同じだ。パフラバン・マフムード廟の中庭には、その水を飲むと子が授かるという、いわゆる「子宝の井戸」があって、新婚さんが親類縁者に付き添われてお参りに来ていた。こういうのも日本にもよくあるよね、おなじおなじ……。
やっぱり所変わっても人ってあんまり変わらないのかしら。人の喜びや悲しみや人の願いは、誰の心にも同じようにあるのだものね。日本から何千キロも離れた中央アジアの真ん中で、良い子が授かるように子宝の井戸を訪れた新婚さんご一行を見て、日本とあまり変わらないなあと思いつつも、確かにそれが活きている人間の存在に他ならなかった。彼らだけが今現実に活きている存在だったのだ。古ぼけた写真のような静かな風景の中で、賑やかな彼らだけがカラフルで華やかで、活き活きとした存在に映った。
サマルカンド・ブハラ・ヒワ、三つの古い町を見ただけで、ツアーは慌ただしく太陽輝く中央アジアから秋深いモスクワへと戻った。乾燥と寒暖のせいでまたしても砂漠風邪をひき、鼻水を手土産にシルクロードを去った。あっという間だったけど、見たかったものはも見たという満足感はあった。昔のように特別な感慨はなく、私にしてはあっさりした別れだった。もう昔のように深くものを想うことはなくなってしまったのだろうか。
帰国後、たまたま見合いがうまくいってしまい半年後に結婚、中央アジアへの旅は本当に年貢の納め旅になってしまった。もう当分は「自分の旅」はできなくなる。けれど今はとりあえずこれで満足している。そして満足している自分を時々不思議に思っている。こんな風に年貢を納めた自分を……。
(1.シルクロードの中心地−中央アジア・・・おしまい)
● 中央アジアのお料理 ●● |
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中央アジアで食べられる料理は、シルクロードの中心地らしく東西の料理が混在している。
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