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1.シルクロードの中心地−中央アジア


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◇ 石の町・タシケント

中央アジア・ウズベク共和国(現在のウズベキスタン)の首都タシケントは中国の史書に石国と書かれている所で、現在の都市名もタシュ(石)ケント(町)と変わっていない。残念ながら現在の町はほとんどが1966年の大地震の後新しく造られた町で、古いものはあまり残っていない。

町の中心にあるナボイ劇場という立派な劇場は第二次大戦後、日本人捕虜の強制労働によって造られたのだそうだが、大地震にあってもビクともしなかった。日本人の技術力を示すものとして現地の人に知られていると聞いたが、当の日本人は全然知らなかった。だいたい、ツアーメンバーのおじいさんが終戦後タシケントに抑留されていたと聞いて、初めてタシケントにも日本人捕虜がいたことを知ったのだもの。

そしてこの町には極東から連れてこられた朝鮮族の人々も住んでいる。表舞台には現れてこない様々な隠された歴史がこの町にも流れている。

レーニン像今でも歴史は動いている。ソ連の代表的な都市には必ずあるレーニン広場とレーニン像が次々と名前を変え、像が取り壊されているが、タシケントも例外ではなくレーニン広場は独立広場と改名され、まだ残っていたレーニン像も風前の灯火だと聞いた。何の面白みもない像だがソ連邦時代の最後の生き(?)証人として、私はそれをカメラに納めた。

観光した中で唯一、古い歴史的建物がクケリダーシュのメドレセ(神学校)だった。16世紀半ばに創建され、現在は当時とはずいぶん外観が変わってしまったそうだが、チョルスと呼ばれる三叉路の前に堂々と立つ門構えは、古くから町の中心として賑わっただろうことを感じさせた。現在でも門前には土産物屋などが並び、新市街とは全く違う雑多な雰囲気を漂わせている。やっぱりシルクロードはこうでなきゃね。

チョルスとは「四つ辻」という意味だそうで、通常はその交差点の上に覆いをかけるように置かれるドーム天井の商店街の入った建物を指す。この町のチョルスはもう建物がなくなって名前だけが残ったようだが、古来この三叉路は西はサマルカンドを経てペルシアへ、北はシベリアへ、東は中国に通じる道だった。そう聞くと、やはり中央アジアはシルクロードの中心地なのだなあという思いが深くなる。

旧市街地には泥やレンガの古い軒の低い家々が残っていて、その向こうには新しい高層アパートが建ち並んでいるのが見える。そんな奇妙な風景も、移り変わるシルクロードの歴史の一つに過ぎないのだろうか。

夜中のフライトで疲れがドッと出て、昼食はほとんど食べられず、そのまま空港へ、そしてサマルカンドへ飛んだ。


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を利用して作りました。