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1.シルクロードの中心地−中央アジア


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地図 : ルートマップ  詳細   西アジア(古代)

◇ モスクワ経由

20代の後半から、私は宙ぶらりんな状態にいた。腰掛けOLに未来はないと会社を辞め、手に職をつけて仕事のできる女になろうと勉強もした。しかし、都合のよい仕事などなかなか見つかるはずもなく、かといって結婚に逃げるには相手がいなかった。将来のことを考えると、気持ちはしぼむ一方、落ち込む一方だった。

落ち込んでいても仕方がない、ここは一つ旅行でも行って気を晴らそう――私はいつもの手段に出た。落ち込んだ時、ストレスがたまった時、私が取る解消方法はいつも旅行だ。ヒマはある。お金も多少ならある。それじゃまた、シルクロードへ行ってやろうか。

そんなわけで、ソ連領中央アジアへの旅を企てていた時、ちょうどモスクワでクーデターが起こった。一瞬行けなくなるのではないかと青ざめたが、クーデターは失敗。10月、私は計画通り8日間のツアーに入って、アエロフロートでモスクワへ向かうことができた。30歳になったし、キャリアガールになるには根性がなさ過ぎたし、親も心配してるし、これを年貢の納め時として、帰ったらおとなしく親の言うことを聞いて見合いに専念するか、と決意しての旅だった。

10月のシベリアはもう凍っていて、飛行機の窓から眺める大地は真っ白だった。アエロフロートは座席が狭くてきゅうくつだったが、幸い空いていたのでひとりで3席占領して足を伸ばして座ることができた。そして、今までの旅行の中で一番長い時間飛行機に乗って、ヨーロッパの片隅、秋のモスクワに着いた。

モスクワは少し遅い白樺やポプラの黄葉が美しく、どっしりと古めかしい建物がとてもすてきな街だった。中央アジアへ向かう飛行機がストで遅れたおかげで、予定になかったモスクワ見物ができた。

聖ワシリー寺院地下宮殿のような立派で豪華な地下鉄の駅を見学しつつ、地下鉄に乗って赤の広場へ行く。赤の広場は古い立派な宮殿のような建物のグム百貨店と、クレムリン宮殿の城壁の間にある石畳の巨大な広場だ。奥に立つお菓子の家みたいなかわいらしいデザインと色彩の聖ワシリー寺院は広場のシンボル。赤の広場おなじみの光景が目の前に広がった。

寺院に向かって歩いていくと、中ほどにレーニン廟がある。ちょうど廟の前に立つ衛兵の交替の時間で、きびきびと動く兵隊さんたちを見ることができた。どの兵隊さんもみんないい男だ。透き通った白い肌、金髪、長身長足、ハンサム! よだれが出ちゃう、グフフ……。そういえば、白人の国へ来たのは初めてだった。

街の中はクーデターがあったとは思えないほど普通だった。KGB*1の前に立っていたジェルジェンスキーという要人の像が取り外され、代わりにロシアの国旗が飾ってあったのを見て、そんなこともあったんだなあと思うだけ。しかし変革の嵐に見舞われ物不足に陥っているという噂どおり、街の商店には行列ができ、ホテルの食事もあまり良いものではなかった。

まる一日モスクワで時間をつぶし、夜半、ようやく飛行機が飛んで、私たちは中央アジアのタシケントへ向かった。


*1 KGB
ソ連国家保安委員会の略称。国家体制擁護のための国内外の情報活動、反体制活動の取り締まりなどを主要任務とした。1991年解体され、三つの機関に分割された。KGBのスパイといえば、スパイ映画なんかではおなじみだろう。ジェルジェンスキーという人は確かKGBを作った人と聞いたような気がするが、よく覚えていない。

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