第1場 4・迷妄の森 - 第2場 第3場

「そうね、わたしたち、先生と弟子よ、まるで」

冬の最初の雪が降った翌朝、ティアーナは薄く積もった雪を蹴散らしながら進むデューカに乗って村へ行き、初めて自分の作った薬をドーラに渡した。ドーラは大丈夫かねと顔をしかめながらそれを受け取り、ユリウスとの生活はどうなのかと聞いた。その時彼女はそう答えたのだった。ドーラとは度々顔は合わせていたが、ゆっくり話すのは久し振りだった。

「先生と弟子?なんだいそれは」ドーラは思い切りいぶかしげな顔をティアーナに向けた。

「だって教わることが山ほどあるのよ。教わらなきゃ森の中で暮らしていけないし……。ユーリはよく教えてくれるわ、ほんと先生みたいにね。だからわたしは弟子なの」

「それで薬の調合まで教わってるのかい?」

「そうよ、役に立つ弟子になりたいもの」

「ふーん、弟子ねえ……」

ドーラは納得のいかない顔つきで、横目でティアーナをジロリと見た。

「それで、おまえは今、幸せかい?」

ティアーナはドーラの問いに首をかしげて考え込んだ。

「よく、わからないわ。幸せかどうかなんて考えたこともないし……。でも楽しいことならいろいろとあるわよ。だからきっと幸せなんだと思うわ」

「楽しいか……、まあ、楽しいんだったら問題ないだろうがね。ユリウスはどうしてる?」

ドーラはニヤリと笑って質問を続けた。

「ユーリは変わらないわよ、全然……。でも、そうね、ユーリはユーリで楽しんでるみたい、一人で」

「一人で楽しんでる?」

「ええ。わたしのこと見てて、よく笑うの。わたし、何か変なとこあるかしら?」

「さあね」

唐突なティアーナの問いかけに、ドーラはピンと来ずに首をかしげた。

「こないだもね、明け方にすごく眠そうな顔して帰って来てすぐ寝ちゃったのに、わたしが2時間ほど畑に出て戻ってくるともう起きてて、今日は天気もいいし暇だから、これから出かけようかって言うの。よくそんな元気があるなと思いながら、わたし、ユーリを待たせて大急ぎでお弁当を用意したのよ。そしたら彼、慌てて何をしてるのかと思ったら弁当かって言いながら笑ってるの、一人で。何がおかしいの?って聞いても、おかしいのは自分の方だから気にしないでって言うばかりで。ねえ、婆さま、それってそんなにおかしいことかしら?お弁当は必要よ。お昼になればおなかはすくもの」

ティアーナはドーラに真剣に訴えた。半ば呆れ顔になって、ドーラはそれに答えた。

「そりゃティアーナ、おまえは普通だよ。ユリウスの方がおかしいのさ。おまえは気にしなくていいんだよ」

「でも」

「ユリウスは早くに親を亡くしたし、ずっと大学にいただろう。普通の暮らしをしたことがないんだよ。だからおまえとの生活も、あの男にとっちゃ新鮮な興味深いことなのさ」

「興味深いこと……、そうね」ティアーナはユリウスの経歴を思い出し納得した。

「ユーリにとっては何でも興味深いことなんだわ、お仕事のことと同じように、豆むきもわたしのことも」

「豆むき?」ドーラが素っ頓狂な声を上げた。

「あんなに楽しそうに豆むきする人、初めて見たわ。豆むきがそんなに面白いのって聞いたら、面白いよ、律象法を論じるのと同じくらい興味深いことだって言うの」

「やれやれ、おまえとユリウスが仲良くやっているのはよーくわかったよ。だけどあたしゃ、もっと違うのろけ話も聞きたいね」

両手を腰に当て、身を乗り出すようにしてドーラは薄笑いを浮かべた。

「どんなこと?」

「おまえの楽しいことの中に、あっちの方は入ってないのかい?」

「え、あっちって?」

ドーラはますますニヤニヤと笑いながらティアーナにささやいた。

「ユリウスはおまえをよくしてくれるかと聞いてるんだよ」

「ユーリは優しいわよ、とっても」

ティアーナがドーラのニヤニヤ笑いに戸惑いながら答えると、ドーラはあからさまにがっかりした顔で「なんだ、優しいだけかい」と言ったので、ようやく話がかみ合ってないことに彼女は気がついた。

「婆さま!何の話?」

ドーラもティアーナがまだわかってないのに気づいて、じれったそうに声を上げた。

「ああ!もう、鈍い子だね。おまえたちの夜のお楽しみはどうかと聞いてるのさ。え?どうだい?賢者に抱かれるってのは。どんなふうにおまえをよくしてくれるんだい?普通の男とは違うだろう、やっぱり」

ティアーナは見る見る間に真っ赤になって怒り出した。

「そんなの、違わないわよ!!普通よ!普通に決まってるでしょう!!もう婆さまったら、何を言い出すの!」

ムキになって怒るティアーナを見て、ドーラはククッと笑い声を漏らし、それからすまし顔で言った。

「そこまで断言できるってことは、ちゃんと男と女の関係はあるってことだね。やれやれ」

「婆さま!」

「おまえが先生と弟子だなんて言い出すから、夫婦の関係を忘れちまったのかと思って心配したんだよ、まったく」

ドーラは肩をすくめた。からかい半分にかまを掛けられたのだとわかって、ティアーナは頬を赤く染めたまま、すねた表情で横を向いた。

「やあね、婆さま、変な心配しないでよ」

ティアーナはそれ以上ドーラの所にいると、また何を言われるかわからないので、急いでドーラの家を辞した。

それからもドーラと会って話す機会があると、その都度、からかわれたり余計なせんさくをされたが、ティアーナは時には怒りながら、時にはうまく受け流して応対していた。嫌がらずにドーラの相手になっていたのは、ドーラが自分とユリウスのことを気遣ってくれているのがわかっていたからだった。静かな冬が過ぎ、また春が来てあわただしい日々を過ごし、ティアーナが森の生活に慣れていくにつれ、ドーラもやっと安心したのか、時折一言二言からかいの言葉を投げる程度で、もうことさら二人のことをあれこれ聞くようなことはしなくなった。


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