作者にも言わせて!!

―― 第6回 ――

気について

第4回『東方より来たりし知恵』でも少し書きましたが、この物語の中に出てくる魔法は「気」の力を使ったものです。 魔法ってどんなものだろうと考えて、何らかのエネルギーによって、不可能を可能にする超能力のようなものと設定しました。 そんでもって、そのエネルギーは別に超能力でも、オーラでも呼び名は何でもよかったんだけど、より自然なかたち「気」にするとうまく表現できたので使ったわけです。

私自身、気功を習い始めてようやくわかってきたのですが、「気」は確かに存在するのです。 練功の時、手のひらの中に暖かいものを感じたり、圧力を感じたり、体がひとりでに動いたり……。 私の先生が外気治療する時に、手のひらから白い煙みたいなものが流れたり、風を送ってるわけではないのに、患者さんの着ているTシャツがゆらゆら動いているのを見たこともあります。 中国では硬気功と呼ばれる、それこそ超能力のような技も見ました。 針金を首にギリギリ巻き付けても何ともなかったり、鉄の玉や剣を飲み込んで吐き出したり、ガラスを食べちゃったり……。

どうしてそんなことができるのか、ホントに不思議。 それこそ魔法のようです。 私の先生は人の持ってるオーラも見えるって言うし……。 もっとも、昔の人間はもっと身近に「気」を感じていたんでしょうね。 現に「殺気」とか「気合」とか「気が向く」とか「気が立つ」とか、「気」を使った言葉っていっぱいあるから、昔の人は「気」に敏感だったのでしょう。 今の私たちが、本来人間の持っていた能力を失ってしまっただけなのかもしれません。

中医学の先生から「生あるものには気がある」と習いましたが、植物の「気」も感じることができます。 ベランダの植木鉢に植えた花の芽に手をかざすと、あったかいものを感じます。 あんなに小さいものに、気功初心者の私にもわかるほどのパワーがあるなんて、植物の持ってる力ってすごいなと思います。

物語の中では、「気」をかなり拡大解釈して使っています。 フィクションですから、見栄えのいいように光を多用して……。 生あるものの気だけでなく、例えば大気中にも様々な気が流れている、死者の散じた気すら見えない粒々になって大気中に散っていて、時にそれが霊という形になることもある、なんてのも拡大解釈です。 あくまでもフィクションですからね。 でも、「気」を身近に感じてなければ、きっとこんな風には書けなかったと思います。

彼は頬杖をついて彼女をじっと見た。

それじゃ次回は、物語の中の物語、ティアーナさんの作ったお話のあらすじを紹介します。