作者にも言わせて!!

―― 第3回 ――

キリスト教的なものからの離脱

だいたいファンタジックなおとぎ話というと、剣と魔法、すなわち騎士がいて、お姫様がいて、魔法使いがいて、うんぬんかんぬんというのが定番です。 そして、こういうお話の元になった『アーサー王と円卓の騎士』とか『ニーベルンゲンの歌』などの舞台は、もちろん中世ヨーロッパです。 私も憧れのままに、中世ヨーロッパ風の舞台設定をしてしまったのですが、一つ大きな問題がありました。 中世ヨーロッパというのは、政治社会、人々の生活慣習からそれに関わる事物まで、キリスト教の影響が色濃く反映されている世界なのです。 私は宗教にキリスト教を持ち込みたくなかったので、中世ヨーロッパ風の舞台からキリスト教的なものを除いていく作業を、イメージの中で行なわなければなりませんでした。

ユーレシアの人々が信じている太陽神エイロスと月の女神ルディアは、私の考えていた別の物語に出てくる神様を名前だけ変えて横流ししたものですが、西洋風の社会に、陰陽を基調とする東洋風な信仰をあえて組み込んでみました。 太陽と月が神様なら、星々は精霊です。 精霊はそれこそ星の数ほどいて、地上の自然の中にも宿っていました。 神様に近い存在だけど、人に姿を見せられるという点で、神様とは違っていました。 しかし、今はもう精霊の存在はなく、その力だけが彼らの宿主(星や自然現象、高山、大木など神秘的なもの)に残っていると彼らは信じています。 精霊と同じようなもので、獣の姿をした幻獣は、まだ人の住む地にも存在するという設定ですが、詳しいことは考えていません。

彼らの宗教において、キリスト教ともっとも趣を異にする部分は、天国と地獄の概念がないということでしょうか。 彼らの死生感ではあの世、つまり死後の世界はこの世にあって、自分たちに見えないだけ、要するに肉体は滅びても、魂は別の形で生き続けるのだとされています。 天国も地獄もなく、死んだら別の形になる、それだけ。 あくまでも現世主義なのです。 子供たちは、罪を犯せば地獄に落ちると教えられるのではなく、精霊の怒りに触れるぞ、と教えられます。 実際、罪人が雷に打たれて死んだり、森に隠れた盗賊が森の獣に襲われたりなんてことがよくあったのです。 この世界ではね。

これはどちらかというと、仏教が入る前の日本人の死生感ですね。 でも西洋だってキリスト教以前は、これと似たような考えもあったのではないかと思ったりします。 多神教の世界はヴァリエーションに富んでますから……。

バイオン神殿

では、次回は『東方より来たりし知恵』について書きます。