きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


ジェンダーは越えられない…


10月17日 (金) 秋晴れ!

10月は番組改編期、我が家も恒例のアニメ新番組チェックに忙しい。
前クールは「ラスト・エグザイル」と「すてプリ」が群を抜いて優秀でしたが、今クールはどうでしょう。
今のところこれは!と思うものは「フルメタ」だけだなあ。
最近のアニメの傾向は映像重視でお話はどーでもいいって感じ。よくてそこそこ。
残念だけど、いい話書ける人がなかなかいないようです。

んで、こないだ「すてプリ」の後番組「まぶらほ」(変な題名ばかりだね。「すてプリ」は略称だが)を見たが、これが私の大嫌いな「冴えない男子一人に巨乳美少女多数がやたら絡む」路線のやつだった。
だいたい、巨乳美少女という現実味のない男の妄想の権化のようなキャラだけでも嫌いなのに(巨乳が出てくるたびに、そんなにでかくてどうして前に出てるのよ、おっぱいにだけ重力制御装置がついてんのか、とかそいつがプルンと揺れるたびに、シリコン入ってたってそんなふうには揺れないぞ金属バネでも入ってんのか、といちいち突っ込んでいる)、主人公の男子がなぜかいつもいつもひたすら冴えない情けないどーでもいいような存在感の薄い男なのがさらに嫌悪感を増してくれるのだ。
なぜそのどーでもいい男がひたすらもてまくるのか、作品によっては適当に理由が付けられているが、それもまったくどーでもいいような理由で、その男には隠された魅力や色気があるとかいうのではない。
もちろん、作品によってはお話が進むにつれてその男の魅力を語ろうとするものもあるだろうが、それに説得力があるものはない(見てないけどね。(^o^; どんな理由があったって説得力なんてないに違いないと思っちゃう程度の内容なんだもん)。
この路線って、どうやらエロゲーもしくはそれに近い男子向けゲームのメディアミックス路線?に乗っかったアニメらしいんだけど、となると主人公の男子はゲームをしている男子の等身大ということなのか。
ゲームの主人公=自分は顔もよくないし背も高くない、特に何かに秀でているわけでもないし、人に自慢できる特技があるわけでもない、おとなしい目立たないごくごく普通の男子です、と。
そんな主人公=自分が、かわいくっておっぱいがでかくて、おとなしくて素直で、ちょっと生意気な子もたまにはいるけど、でもみんな純情で自分を慕ってくれる女の子たちとあーんなことしたり、こーんなことしたり。。。という誇大妄想夢の中ゲームをそのままアニメにしちゃったのか。
それって、ゲームは自分の世界こもりきりでいいかもしれないけど、アニメのオープンな環境では自意識過剰すぎてやっぱり嫌いというか恐い気もする。
アニメでも主人公=自分が○○ちゃん萌え〜〜などと言いながら、妄想しつつ見ているのだろうか。
そこまで××な人はいないと思うが。

とにかくその自意識過剰妄想肥大冴えないダメ男×巨乳美少女軍団萌え萌え話の悪口をドバドバ言ってたら、オットに「それは偏見だよ。いくら見るに堪えない作品でもあれはあれで一つの表現の仕方なのだし、あーゆーアニメが好きって人がいたって、そういう人が×××で●●●な人とは限らない。もちろん犯罪とも無関係だ。そういう悪口を言うのはやめなさい(筆者注:×及び●部は聞くに堪えない私の悪口)」と諫められた。
ん〜、確かになあ。
毛嫌いしすぎなのは確かなのだ。
だって自分だってイケナイ腐女子の妄想バナシは嫌いじゃないし。
どう違うのだ!と追求されれば、エヘヘと頭をかくしかないのだ。
ではなぜそこまで嫌いなのか、自分なりに分析してみた。
以下、自分なりの結論である。

冴えないダメ男×巨乳美少女軍団、というのは主人公=自分×アコガレの異性いろんなバージョンという図式である。
アコガレの異性が巨乳美少女というのはチトねじくれている気がするが、その辺の男子のねじれ願望について言及するとそれだけで一文書けてしまうのでここでは省略する。
その図式はひっくり返せば、ドジでのろまなカメ子×かっこよくて優しいアコガレの先輩たち、という少女漫画によくある図式に相当するのである。
つまり男子も女子も、ごく普通の冴えない現実世界の自分がアコガレの異性と仲良くできるという願望をお話やゲームの中で成就させているだけなのである。
わたくしの場合、ドジでのろまなカメ子×かっこよくて優しいアコガレの先輩たちという少女漫画は決して嫌いではない。
かっこいい先輩たちがかっこよく描けていると、萌え〜となるし、まあほとんどの場合、主人公のドジでのろまなカメ子は見てないことの方が多いだろう。
主人公だから一生懸命何かをしてアコガレの先輩に認められるというオハナシが必ずあってそれも一応読んではいるのだが、そこに感情移入することはあまりない。
その子ががんばったから、自分もがんばろう!というふうにはならないのである。
問題は、実はここにあったのである。
等身大の主人公はこちら側にいて目線の先にはない。
先にあるのはかっこいい先輩ばかりで、それを鑑賞しているようなものだ。
主人公はこちら側にいるが、決して自分とは混同しない。その子はその子、自分は自分である。
そういう距離感を持って少女漫画を見ている。
しかしながら、そんなわたくしが冴えないダメ男×巨乳美少女軍団アニメを見ると、どうして逆上してしまうのかというと、主人公が男だからなのである。
主人公と自分が微妙な距離感を持って同じ側に立てるのは、主人公が同じ女だから、男だとどうしても目に入ってしまうのである。
その男が冴えない情けないどーでもいいような存在感の薄い男だと、それだけでげんなりしてしまう上に、冴えないダメ男×巨乳美少女軍団という図式を真横から見てしまい、そんなのあり得ない、嘘すぎる、寒すぎる、オハナシがまるでなってない!とマジにとってしまうのである。
女子が少女漫画を見る時と同じように、男子も冴えないダメ男×巨乳美少女軍団アニメを見る時、決して先に述べたように主人公と自分を同一視し、その上で妄想を抱くというような自意識過剰なマネはしていないだろう。
ただ単に、彼らの目線の先にいるのは様々な巨乳美少女だけであり、それを鑑賞しているにすぎないのである。
そういう一方向的な見方でしかこの漫画やアニメは見ることができないのである。
もう一つ、嫌いな理由を挙げるとすれば、それはドジでのろまなカメ子に対する苛立ちが、冴えないダメ男には増幅するという点であろう。
等身大の自分的な女子を主人公に据えるのは、自分とまったくかけ離れた何でもそつなくこなす美女が主人公では、それが対象物に映ってしまい、同じ視点に立てなくなってしまうからだ。
感情移入しなくても、やはり主人公は自分に近いあまり特徴のない女子の方がよい。
しかしながら、そういったドジでのろまなカメ子さんは自分に近いが故に苛立たしい存在でもある。
人間として女として冴えない自分への苛立ちが、主人公にも反映されてしまうのである。
女子の主人公でさえ苛立ってしまうのに、それが男子だったらもっと腹が立つ。
男だから女だから、とはできるだけ言いたくはないが、それでも「男だろ!そんな情けない態度とるな!オロオロするな!ニヤニヤするな!フニャフニャするな!」と言いたくなってしまうのである。
おおげさな、と思われるかもしれないが冴えないダメ男×巨乳美少女軍団アニメの主人公は特にフニャフニャしている。
演出上、ホニャホニャの美少女に合わせるためにフニャフニャにしているのかもしれないが、そんなプランプランな骨抜きのオハナシからは何も得るものはないのである。

ってなわけで、わたくしにとってあの手のアニメはどうがんばっても理解できぬ異界のもの、OPアニメを見ただけでそれと悟りさっさとチャンネルを変えるに限るとごく当たり前の結論に達したのでございます。


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