きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


モノカキのお道具、その後


1月 8日 (水) 寒くて風邪ひきそう

お正月に「ディマシュクのウード弾き」を書きダメしようと、今使っているエディターを開こうとしたら、メモリが一杯のため開きませんとエラーメッセージが出て動かない。
メモリなんてまだまだ余裕があるはずなのに一杯なんてどうゆうこと? とはぎさんに相談してみると、おそらくバグエラーであろうとのこと。
使い勝手はそれほど悪くなかったのだが、その他にもバグでおかしな動作をしていたりすることもあり、また書籍用と銘打った特殊なアウトラインエディタだったため、容量も食うし、そんなこんなでまたエディタを変えることにした。

「また変えるの?」とはぎさんに呆れられながら、ベクターでエディタを探してひとつ見つけてダウンロードしてみたんだが、どーもこれもまた「使えない!」ってことになりそうな雰囲気がした。
というのもまた一から操作を憶えるのに苦痛を憶えてしまったからだ。
簡単な操作で簡単に使えれば言うことなしなのだが、そういうソフトは自分の思い通りには動かない。
ソフトというのは他の道具と一緒で、自分で手なずけて使い込んであげないと「自分のもの」にはならないのだ。
製品もののように最初から様々な機能がついていて便利にしてあるものもあるが、そこに自分の欲しい機能があって使えたとしても、今度はいらないものまでついてきて、それはそれで不便だったりする。
ソフトは自分からこちらの方に近づいてはくれない。
こちらから歩み寄ってそのソフトを知り、使い方を考え、地道にカスタマイズしていくしかない。
それなのに、私はそれをしないからエディタ放浪してしまうわけだ。

まあ、使い方がわかりにくい、ということもあるけどね。
エディタというのはワープロと違ってデータ入力のためのものだから、エディタを使う限りはその操作はデータ入力だと考えなければならない。
でもプログラマでもない限り、そういう考え方ってなかなかなじめないものなのだ。
書かれた文章が見た目で整形されてないと不完全な気がしてしまう。
機能を使いこなすにも専門用語を理解しなければならなかったりする。
カスタマイズできないのはそういったハードルの高さにあるのだ。
だが、PCやウェブで文章を書いたり保存したり発表したりするには、やはり文章はデータである、という考え方が不可欠みたいだ。
散々わがままを言い、エディタ放浪し、失敗したあげくはぎさんに諭されて、私もようやくその考え方に従う気になった。
わからないことだらけだけど、少しずつでも勉強してソフトに歩み寄ろうという気になりました。

というわけで、新しいエディタははぎさんが今使っているものを自分用にカスタマイズして使うことにした。
もっともシンプルなテキストエディタだが、意外と機能は充実していていろいろとカスタマイズできるし、アウトライン機能も一応ついている。
見た目のシンプルさで機能なさそう、自分には使えなさそうと思いこんでいたんですね〜。
これを使いこなせればもうエディタ放浪しなくて済むなあ。
ただ、文章整形機能はついてないので、印刷出力をどうするかという問題がある。
オフラインの友達に読んでもらうには印刷するしかないし、テキストずらだらのプリントじゃ読みにくいしどうしよう、と考えていたら、はぎさんが「HTMLで整形すれば」と言いだした。
ええ〜、それってあり? と、最初はびっくりしたが、よくよく考えたらHTMLってソフトの機能に頼らずにしかも簡単に文章整形できる方法なんだよね。
うわ〜、目から鱗だ!
さすがはぎさん、だてに何年もソフト屋さんをやっていない。
発想そのものが私とは雲泥の差だ。

というわけで、今まで私の小説はウェブ用のHTML版とダウンロード用のテキスト版、印刷出力用のワープロ版と三種類も文書を抱えていたのだが、ワープロ版をなくして二つに整理できそうだ。
小説全体を入れるHTML文書は印刷用に整形して、そこから一章ずつウェブ用HTMLに落としていけばよく、タグを取れば即ダウンロード用テキスト文書になる。
テキストで先に書いておいて、後でHTML文書にはめ込んでもいい。
ここ数年の悩みがやっと解決しそうだ。
それにはエディタの使い方の勉強と、効率よくHTMLにするお勉強もしなきゃならないんだけどね。
最近はシロウトWeb小説家のためのサイト作り講座を開いてくれている人もいるので、それを見ながら少しずつ勉強しようっと。
結局、いつまでもお勉強はつきまとうなあ。
あ、でも下書きの紙に鉛筆書きはまだやめてませんよ、やめられません<モノカキの意地みたいなもので・・・。


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