きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


お金じゃないのよ、人生は


12月 14日 (土) 久しぶりにポカポカ陽気

ついに「配偶者特別控除」が廃止になるらしい。
去年あたり、専業主婦への攻撃本が出て、働く主婦vs専業主婦バトルがTVタックルでかまびすしく展開されていたが、なんかその専業主婦攻撃に政府が便乗しているようで、嫌な感じだ。
充分な検討もせず、制度的に筋道を立てるでもなく、そういう風潮にのって、取りあえず廃止!というのはちょっと安易すぎないか。

専業主婦攻撃は、専業主婦が旦那に食わせてもらって家で三食昼寝付きなのに税金まで払わないなんて優遇されすぎだ!という趣旨で、対する専業主婦の意見は、夫の世話をするのだって立派な仕事だし子育てだって立派な仕事よ、お金はもらえないけど仕事はしてるわ!というものだった。
これはでも、どちらも極論みたいなもので、専業主婦の中には家事は適当にやって後は遊んでいる人もいれば働きたいのに忙しすぎて働けない人もいる。
働く主婦だって、家計が苦しくってやむを得ず働いている人もいればリッチに遊んで暮らすために働いている人だっている。
だからどちらがどうとは決めつけられないと思うのだが、だからこそ働かないものは扶養控除のみ、働く人は一律に税金払え!と線引きしてしまうのはいかがなものかと思うのだ。
奥さんたちも家に閉じこもってないで一人の日本人として働いて税金払って下さい、というのなら、まず最初にそのように法制度を整備するべきだし、雇う側もパートナーの旦那さんたちも夫婦平等に働く、働く条件も一緒、家事も育児も一緒にやるものと意識改革しなければならない。
それもなしに税制だけ変えるのなんて無理な話だ。

実際、家事も育児もお金にはならないが立派な労働であることには変わりない。
お金に換算すると、旦那さんの給料ではとても払えない金額になると試算されていたこともあったようだけど、夫婦共働きで手の回らなくなった家事や育児をお手伝いさんやベビーシッターに頼むとしたら、大変な金額になることは間違いない。
その無償の労働をどう考えるのか。
お金にならない労働は価値のないものだとみんなが言い切るのだとしたら、この国は本当に余裕のない発展性のない未熟な国だと失望するしかないね。
お金にならない労働は家事育児だけではない。
老人や病人の介護だってあるし、ボランティア活動だってある。
極端な話、三食昼寝付き主婦だって、旦那さんからいつも笑顔でお世話してくれるならそれでいいと言われているのなら、それだって立派な価値のあるお仕事じゃないのか。
わたしは子供もいないのに専業主婦になって、空いた時間に小説を書くなんていう全くお金にならない無駄な、一番に専業主婦攻撃の対象となってしまう堕落主婦をやっていたが、それまでのフルタイム主婦時代は本当に疲れていたし心がすさんでいた。
無理して働かなくなって、収入は減ったけど支出も減った。
心のゆとりのことまで収支に入れてしまえば、トントンなんじゃないか、と思っている。
何に価値を見いだし、何にお金を使うか、どうやってお金を得るか、それを選んで決めるのは個人であり、家庭であって、その選択は千差万別なのだ。
だから、人んちの事情に口出ししてほしくないし、決してひとくくりでくくってほしくない。

例えばボランティア活動なんかだっていわば政府や人の手の届かないところをボランティアでカバーしているようなものだから、働かないでボランティアばかりしてって責められないよね。
旦那の稼ぎにぶら下がって書いた私の小説だって、誰かの心に響いたとすれば決してそれは無駄なものではなく、役に立つものとして消化されたってことになるでしょう。(ちょっとこじつけ (^o^;)
金は天下の回りもの、私が必死に稼いで税金払って、まるで遊んでいるあの人にあげてるようなものじゃないと思っても、それは巡り巡って、自分に返ってきているのかもしれない。
だから働く本当の価値って実はお金じゃないんだよね。
「北の国から2002遺言」で純君が借金の返済をすっぽかしたまま富良野に帰ってきて、債権者のおじいさんに謝りに行ったところ、おじいさんはお金なんかいいと言ってくれて、それで純君はお金の代わりに何を返そうかと考えて、寝たきりのおじいさんを看病し始めた。
私はそれを見て、「ああ、お金じゃないんだなあ」とつくづく思ったよ。
無償の働きも役に立つものとして認めてあげられる、そういうゆとりのある人間、社会でありたいと思ったわけ。
でも世の中の大半の人は物事の価値をお金でしか判断できなくなってしまっているんだよね、きっと。

最近、消防士になりたい若者が増えているそうだが、それも人の役に立つ仕事、やりがいのある仕事がしたいというのが理由なんだそうだ。
消防士なんて仕事きついし、命に関わる大変な仕事だけど、直接人を助けてうまくいけば感謝される、つまりお金じゃない価値を得られる仕事なんだよね。
そういうものに惹かれる若者が増えてきたってことは、何でもお金で片付ける昨今の風潮に限界が来たってことなのかなあ。
そういう私も、フーレセラピーをやり始めて、人のためになる仕事にやりがいを見出して、喜びを感じている一人なんです。
今は稼ぎなんてほとんどなくて、相変わらず旦那にぶら下がっているけれど、この仕事はやってよかったと思える仕事、人生の喜びとなる仕事と思えるのだ。
この仕事を維持するためなら、他にパートタイムの仕事を持ったっていいとすら思っている。
本業にしろ副業にしろ、お金で片付けられない喜びを得る仕事ができたなら、それは潤いのある人生と言えるでしょうなあ。


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