きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


世界にはいろんな人たちがいる


6月22日(土) 梅雨らしい曇り空

日本が負けてしまった次の日だったかな、「めざましTV」を見ていたら、軽部さんが「もし日本が勝っていたら、TBSにも日本戦中継の機会があったのに残念でしたね〜、お気の毒」と揶揄するように言っていた。
その言い方がとても嘲笑的というかいやらしい言い方だったので、私は思わず「カルベ、ひっこめ!」とTVに向かって悪態を付いてしまった。
人の傷口に塩を塗るような、落ち込んでいるときに追い打ちをかけるような嘲笑や揶揄が私は大嫌いなのだ。
韓国サッカー協会の会長が「FIFAのランキングは日本が上だが、日本は大したことない相手に勝って16強、韓国はポルトガル、イタリアなどの強豪に勝って8強、どちらが強いかこれではっきりした」というような勝利宣言(対日本にだけど)をしたらしいけど、人が負けて落ち込んでいるときにどうしてそういう追い打ちをかけるのだろう。
いい加減にしろ!と逆切れしそうだった。
せっかく共同開催で一緒にがんばろうって盛り上がっていたのに、ほんとデリカシーにかける発言だよなー。
それに比べて、トルコは親日的ということもあるけど、勝って大騒ぎしている人たちにインタビューしても「日本も強かったよ」とか「日本もがんばったよね」とか付け加えてくれていた。
やさしいな〜、トルコの人たち。
日本と韓国はもちろんしのぎを削るライバルだけど、ライバルがいるからお互いが強くなれる。
長い間W杯で勝てなかった韓国が今回勝てたのも、ライバル日本がやっと力を付けて追いついてきたからと言えなくもないだろう。
まあでも、そんな日本に勝つことだけにこだわっている人たちは韓国でも古い人間なんだろうな。
フランス大会の予選で「一緒にW杯に行こう」と言ってくれた韓国サポーターにはほんとにアジアのサッカーを盛り上げようという気持ちが伝わって感激したし、なにより選手たちはもうそんなことにはこだわっていていない。
もっと上を目指すために韓国の選手だってJリーグに来ているものね。
もっと気持ちよくお互いの健闘をたたえつつしのぎを削っていければいいと思うなあ。

ところで、サッカー専門検索エンジンの掲示板に韓国の応援は北朝鮮のマスゲームを思わせる、という発言があって、大いにうなずいてしまった。
ああいうことが得意な民族なんですねー、きっと。
5万人の一糸乱れぬマスゲームを見ても、不気味(byわたし)と感じたり、金と名誉のためだろう(byオット)とか穿った見方をしてしまうのは、日本人の見方でしかない。
別に金や名誉のためでなく、こんなにそろっちゃ気持ち悪いとも思わず、彼らは5万人でも10万人でも純粋に心を一つにして何かを成し遂げることができてしまう人たちなのだろう。
単一民族国家の中でももっとも血が濃いんじゃないかとも思ってしまう。
ヨーロッパの強豪が韓国に苦戦しているのも、彼らにはない泥臭い根性と血のつながりをも感じさせる一体感とパッション、みたいなものに翻弄されてしまったからなのかもしれない。

サッカーを見ていると国民性が見て取れて、ほんとうに面白い。
日本はやはりシャイで内向的な性格が出てしまう。
大会の運営や応援も外面ばかりが目だって、ソフトの部分や内面から出てくる行動が少ないように見える。
勝って大騒ぎしていた若者たちも、ただ騒ぎたいから、ただ目立ちたいからでやっているのが見え見えなんだもん。
ドイツ、スウェーデンなどヨーロッパでもゲルマン系の国は堅く守ってカウンターのチームが多い。
攻撃もサイドからセンタリング入れてデカサを生かしたヘディングで一発。
単調だと批判されるけど確実にってとこがいかにもドイツらしかったりする。
イングランドやイタリアも守りのチームだけど、攻めはもっと多彩になる。
洗練された感じは見えるけど、なんか線が細くて韓国みたいなチームには通用しないみたい。
一番洗練されているのはフランスなのかなあ。
そういえば前回フランス大会ではフランス人は大会が始まった当初はあまり関心がないように見えていたのに、優勝するとあの騒ぎですごくびっくりしたという記事を読んだけど、それって興味があるのにないふりをしていたのか、自国が勝ったから突然盛り上がったのか。
どちらにしても、パッションはあるくせにとりあえずはちょっと斜に構えてしまうフランス人らしいとうなずいてしまった。
南米のチームはやはり攻撃主体のチームだなあ。
サッカーはゴールに行くものって考えが徹底している。
フィジカルも技術もとにかく攻撃のために注がれる。
早くてリズムが良くて、いつも楽しそうに見える。
ただ自分たちが乗れないとそのままトーンダウンしていくときもあるけど。
割とさっぱりしてるよね。
アフリカはよくわからない。
急に良くなったり悪くなったり、フィジカルは最高なのに、そのムラのせいでなかなか上へ行けない。
まとまりのなさはアジアのチームとは好対照だね。
セネガルは今回そのへんのところをうまく調整しているようなので、上がってきたけど。

サッカー選手はいつも自国でプレーしているとは限らない。
むしろ自国にいない選手の方が多いぐらいなのに、W杯で自国に帰ってくるとやはり国民性が出るのは不思議だ。
でも最近は移民の選手も多いし、そういう色分けもだんだんなくなってくるのかもしれないな。
「お国のために」なんていうガチガチのナショナリズムじゃなくて、人種や民族にとらわれず、今、同じこの国に属する者としてこの国に属するチームを応援する、そんな柔らかなナショナリズムなら私にもすんなり受け入れられる。
いろんな人がいて、いろんな国があって、世界がある。
私という個人がいて、私のいる日本があって、日本のあるアジアがあって、世界がある。
個人を大切にしながら、小さな枠にとらわれず、大きな枠もその外側も意識して生きていく。
その大切さをW杯で学んだ気がする。


戻る Copyright(c) 2002 K.Mizutani.All rights reserved. メール