きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


見捨てることなく


4月1日(月) 入学式もまだなのにサクラチル

今日はエイプリルフールの日だけど、至ってまじめに書く。
今日やっと、ペシャワール会にお金を払い込んで入会手続きをした。
テロ事件の後、ちょこちょことあちこちにバラバラに寄付していたが、これからはしばらくペシャワール会一本に絞って長く支援をしていこうと思っている。

アフガニスタンにソ連が侵攻してからもう23年の月日が経つ。
私が高校生だったあの頃、まだ冷戦時代ではあったけれど、東南アジアではまだ戦火が続いていたけれど、アジアはアジアハイウエイで結ばれ、遠くヨーロッパまで道が続き、人々が行き交っていた。
カルカッタ、デリー、ラワルピンディ、ペシャワール、カブール、カンダハル、マシャッド、テヘラン、アンカラ、イスタンブール、そしてロンドンまで――それらの町を結ぶ遠距離バスが走り、旅人たちは自由に行き来していた。
シルクロードの国々に興味を持ち、中でもその一番真ん中の国アフガニスタンに惹かれていた私は、大学生になったらバイトしてお金を貯めて、その遠距離バスに乗ろうと思っていた。
夢を描いていた。
ところが、突然のソ連侵攻。
夢は崩れ去り、アフガニスタンは遠いあこがれの国になってしまった。

10年後、ソ連は撤退し、やっともう一度希望が見えてきた。
アフガニスタンの人々が自分たちで国を立て直し、安定したら、旅行者も入れるようになると期待していた。
だが、連立政権は失敗、泥沼の内戦へ突入、アフガンの人々はお互いに殺し合うようになってしまった。
あの頃、私はアフガンの人々に心底失望し、「自分たちで平和を投げ出すのなら、自分たちで戦いを選ぶのなら、いいよ、勝手にやりなよ。私はもう諦めるから、気の済むまで殺し合ったら」なんて投げやりに思っていた。
好きで憧れていたのに、私はあの国を見捨ててしまったのだ。
もう一生あの国の土を踏むことはないだろうと、勝手に諦めてしまった。
そしてさらに10余年。

あの事件が皮肉にも世界中から見捨てられた国に光を当てた。
私も見捨てて顧みなかったあの国を再び見つめた。
混迷するあの国の未来を思うとやっぱり哀しかった。
まだ好きな気持ちはなくなっていなかった。
見捨てられていても悲惨な状況にあっても、人々はまだちゃんと生きていたし、見捨てずに援助し続けている人たちがいることも知った。
危険を顧みず、本当の彼らの姿を理解し、誰に頼ることなく地道に援助し続けている人々がいたのだ。
その人たちのことを知り、私は外面的なことだけで判断し、あの国を見捨てたことを恥ずかしく思った。
もちろん、私が見捨てようが見捨てまいがあの国には全然関係ないことなのだが、それでも好きだと思っているなら見捨てるべきではなかったのだ。
好きならば、彼らがなぜ戦いを選んだのか、なぜ、何を苦しんでいるのか、理解しようと努力するべきだったのだ。
それを私はしなかった。本当に身勝手な「好き」だった。

あの悲惨な事件はいろんなことを気づかせてくれた。
色々考えたし、色々反省した。
それらのことを決して無駄にはしない。
もう、あの国を見捨てたりはしない。
これからはきちんと向き合って、自分にできることは少しずつでもしていこうと思う。
それでペシャワール会に入った。
今のところ、後は祈ることぐらいしかできないけれど。
たとえ、あの国に行けなくても、なにかあの国のために役に立つことができたらいいな。
ただ、私はアフガニスタンが好きだから。

もしかしたら、いつか行けるかもしれない。
そんな希望も最近では持てるようになってきた。
私が見たかった仏教遺跡も古いイスラムのモスクも塔も、もう見られなくなっちゃったけれど。
高い山と乾いた大地、透明な空気の中に身を置くことはできるかもしれない。
あの地に身を置く自分が想像できるようになってきたのだ。
これは個人的なことだけど、でもこれはとても良い兆しなのかもしれない。
個人の中に希望の種が蒔かれれば、たくさんの個人の希望の種が蒔かれれば、きっとたくさんの希望の芽が出る。
たくさん芽が出れば花が咲く可能性が大きくなる。
そしていつかきっと、それが実を結ぶ。
その時まで…


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