きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


お久しぶりに、いろいろと


1月 4日(金) 晴れ

皆様〜、あけましておめでとうございます!
せっかくの年頭なので、ちゃんと雑記のコーナーでもの申すことにしました。
そうそう、年賀状も作ったよ。
たいしたものじゃございませんが、イランの写真を使ってみました。
本当の賀状に印刷したやつと同じですが、よろしければ見てください。
こちらです。

さて、今年の目標ですが、う〜ん、何をやると決めてかかってもそれでちゃんとやったためしがないのでな〜
ま、とにかく「私の西遊記」は終わらせて、「ディマシュクのウード弾き」の第3話に取りかかります。
ホントに遅くてごめんなさい。
後は、アフガン関係で何かやりたいのだけど、それは何をやるのかまだ決めてません。
ボランティア団体の会員になるとか、アフガン関連のコンテンツを立ち上げるとか、私にできそうなことからやるけど、まだちょっと保留中です。
これから先、なが〜い目で見て少しずつやっていきたいな。
モノカキと同様にライフワークにしたいです。
ただ、自分にできることってホントになくって、せめてエーゴができればな、とか、何か技術をもってればな、なんて思うばかり。
こういう時、動き慣れてないとなかなか動けないんだよな。
誰か良い知恵を貸してくれるといいんですけど…、他力本願てのも情けない…。

ま、情けない目標はこのくらいにして、今日は最近読んだ本についてちょっと。
bbsじゃ書ききれないので、こちらに書きます。
まずは前に「お気に入り」のコーナーでも紹介した「イティハーサ」について。(本については「毎週のお気に入り」を参照して下さい)
長いお話でなかなか説明しきれないので、本を読んで受けた自分のイメージや考えだけを述べることにする。
この漫画は意識、知識、情報についての考え方がとても面白い。
人間を構成するものはまず肉体、そして心と言えるだろう。
心というものもつかみ所がなくって、あるとかないとか、どこにあるとか、諸説紛々としているけど、さらにとらえ所のない情報体としての人間のあり方を考えている所が凄い。
情報は人間の中に蓄積する。
今を生きる自分の意識や肉体が得た情報だけでなく、輪廻転生を繰り返してきた前世の情報もまたこの体の中に詰め込まれている。
この命が滅んで情報の糸が解けても、またどこかでその糸は結ばれ人間として結実する。
なるほど、情報という面でもそういう考え方はできるのか、と思った。
最近はこの世の事象はある・ないと考えるより、結・解と考える方があってるな、と思っていたのだ。
肉体でも意識でも物質でも、「ある」という状態は何かが結実している状態なのだ。
「ない」という状態は、その何かがなくなったのではなく、解けて離散しているだけだ。
そう考えると、今まで「ない」と思っていた世界がとたんに豊かで満ち足りた場所に思えてくる。
そこには何もないのではない、物質の元となる粒も肉体の元となる粒も意識や情報の細粒も、全という名の海に溶け込んで漂っているのかもしれない。
死というものも人が解けたにすぎない。
輪廻転生を信じているわけではないが、死によって解けてしまった情報がまた別の肉体に形を変えて結実することはあるかもしれないと思うようになった。

もう一つ、「イティハーサ」の登場人物、青比古は自意識がなくなって自分を失ってしまうのだけど、なるほど入れ物としての肉体はまだ結実したままでも、意識が解けてしまうこともあるのだな、と思った。
青比古はもともと意識のゆるい人だった。
自分のことなどほとんど気にしない、自分の痛みも他人の痛みも同じように感じる、その区別すらつかなくなっている…。
そういう人の意識は自分をはみ出て外へと拡散している。
青比古のものに捕らわれない考え方は一種悟りのようなものなのかもしれない。
仏陀の悟りというものも、自分の意識を最大限ゆるめて、拡散したものなのかもしれない。
問題は、その状態から戻ってこれるかどうかなんだけどねー。

うちの亭主も青比古さんほどじゃないにしても、結構意識のゆるい人なのだ。
だからとても視野の広い考え方をしている。
私なんか、がちがちに固まってるもんなー。
自意識の固まりだもの。
もうちょっとゆるくしてもいいんだけど、なかなかねー。
ま、そういう考え方に気づいたってことだけでも、よしとするか…。


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