きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


がんばれ!


9月 第3週

9月17日(月)−アメリカのアフガニスタンへの攻撃はいよいよ現実となりそうだ。
なんともやり切れない気持ちのまま、今日は午後ずっとアフガニスタンやアフガン難民を検索にかけて、関連記事を見て回っていた。
ネットとは本当に便利なものだ。
TVや新聞にも載ってないようなdeepな記事が日本語で読めたり、アフガン難民のレポートも写真入りで詳しく見ることができる。
援助団体もすぐ見つかって、どんな活動をしているかも見ることができた。
けれど私ができることなんて、わずかばかりのお金を出すだけぐらい、なんとも空しい限りだ。

ずっとアフガニスタンへ行きたかった。
険しい山と深い谷と熱砂の沙漠の中に、古の遺跡があり、人の往来の跡があり、今もなお素朴な人々が往来しているその国を、この目で見て肌に触れて感じたかった。
古来から戦の多い土地ではあったけれど、それでも文物は遺り、町は賑わい、人々は生きてきた。
しかし現代というこの時代の戦は、簡単に命を消し去り、町を消し去り、文物を消し去ってしまう。
なんと残酷な時代なのだろう。
私のささやかな願いも、遠く儚く夢見ていた憧れさえも、今はもう跡形もなく消え去っている。

戦の犠牲になるのはいつも女子供だ。
なんとか彼女たちの助けになりたい、自分の好きだった国への叶わない想いの代わりに、なにか自分にできることはないのか、と思っても、私にできることはあまりにも少ない。
空しくて悔しくて涙が出る。
けれど、決して希望を捨ててはいけない。
今日を必死に生きている人たちのために、少しでもささやかでも、自分がより良く生きること、人間の良心を信じることを諦めちゃいけない。
「がんばれ!私はいつも応援しているよ!」
この気持ちが少しでも彼女たちに届くように、想いを込めて、ここに記しておこう。
それがまず第一歩。

9月19日(水)−月曜日から、私は結構まいっている。
昨日は旧友に会って、いろいろ話をして気も晴れたが、帰ってくるとやっぱりどんより。
胃も痛いし、時々泣いたりするもんだから、目の奥が腫れぼったい。
昨日は嫌な夢まで見た。
前後のいきさつはもう忘れたけど、槍かモリのようなものでみぞおちを突き刺される夢。
みぞおちが痛くて目が覚めた。
なんだかこんなにまいってしまうのも久し振り。
あたしって、ほんとにあの国を愛してたんだなあ、とつくづく思う。
まったく、行ったこともないくせにね。
朝は朝で、こないだ実家から取ってきた古い写真――大学時代の先輩がアフガンで写した少女の写真(大学祭で売り物にしていてたのをせがんで貰った)――を眺めて、もうこの子たちも立派な大人、今どんな生活をしているのだろうと勝手に想いを馳せて泣いていた。
ますます気分はどんよりだ。

パキスタンも苦境に立たされている。
タリバーンを支援していたのはいろいろなお家の事情からで、最近は自分とこも経済制裁受けて苦しい上にカシミール紛争なんかも抱えているから、アメリカには一応恩を売っとかなきゃなんないし、けど自国の反米感情も結構強い。
実際に攻撃が始まったら、パキも無傷じゃいられないし、追い出しかかっていた難民もまたあふれ出すだろう。
なんとかうまいこと交渉してほしいものだけど…
パキスタンも旅行中は「こんにゃろ〜」と思うこともあったけど、やっぱり好きな国なのでこの苦境はなんとも忍びない。
がんばれ、パキ!

とにかくアフガン難民の救援にわずかなお金でもと思ったが、よくよく考えたらどの支援団体も帰国を余儀なくされて動けない状態なのに、お金を送ってもしょうがないかも。
まあ腐るもんじゃないから、送ってもいいんだけど、もうちょっと様子を見て動きがあったらにしよう。
こういう緊急の時はユニセフみたいな大きいところにまず送った方がいいかもしれないしね。
とりあえず9月30日に黒柳さんのアフガンレポートがTVであるようなので、それを見てからだ。
しかしユニセフ親善大使としての黒柳さんの活動は日本ユニセフ協会とは関係ないみたいだ。
募金の送り先も違うし、ちょっと混乱するなあと思ってよく見たら、ユニセフ親善大使というのはユニセフの本部が定めるもので活動はやはり別らしい。
ちなみに日本のユニセフ協会大使はアグネス・チャンさんだった。
黒柳さんの活動はTVや新聞で見るから目立つけど、募金がいくらあってそれをどこに届けたかどのように使われたか、よくわからない。
TVでは言ってるのかもしれないけど、Webでもわかるようにしておいてほしいなあ。

さっき、私の親しい友人のサイトの記事にいちゃもんのメールを送った。
彼女のまっすぐな気持ちがわかるだけに、けちをつけるのは忍びなかった。
でも、言わずにはいられなかった――ああ、私っていつもそれで失敗するのに…
一生懸命集中して書いたので、なんだかぐったりしちゃった。
疲れるぐらいなら、いちゃもんなんてやめときゃいいのにね。<ほんとに私って単純バカだ。

あああ゛〜〜、こんなことで心は千々乱れ、胸はつぶれそうになって泣いたりため息ついたりしても、なんにもならないじゃないか!
他に考えることがないからこんなことを考えている=お気楽人とも言えるが、こんなことでめげていては真のお気楽人とはいえない。
がんばれ、私! めげるな、私!

9月20日(木)−胃が痛いとか言っても、メシはしっかり食うし、夢見が悪いと言っても、その後しっかりぐっすり寝ている。
まあ、私の心痛なんてそんなもんさ。
やはりお気楽人だよね。
おかげで今日はだいぶ気持ちも回復してきて、友人たちとのサークルの会合もちゃんとできた。
サークルが終わった後は、またネット検索。
今日はこんなのを見つけた。
「アメリカの新聞に平和の全面広告を載せよう」 GLOBAL PEACE CAMPAIGN
これならすぐにでも協力できる。
早速明日、募金してこようっと。
それから国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方−千田悦子(ちだ・えつこ)さんという方の手記が日本国際ボランティアセンター(JVC)の情報ステーションに載っていた。
アフガンの現在の情勢と実情が書かれている貴重な手記だ。
アフガンの人々の苦しみも、この方の心痛もひしひしと伝わってくる。
暴力に頼らず、テロだけをなくす方法はないのだろうか。
宗教は何もできないのだろうか。
私としては、イスラームの宗教関係者こそがもっとこの状況を救うべく動いてほしいと思うのだけど。
でもテロリストは彼らの言葉も聞かないのだろうな…。
もはや宗教には人々を平和へ導く力はないのかしらん。
とにかく、がんばろう、みんな!

9月21日(金)−昨夜は新聞で見つけた 「報復ではなく平和と正義を求める」嘆願書(ブッシュ大統領宛) に署名をしようと四苦八苦。
うう、英語がわからんと不便やわ〜。
「どうして署名するのか」というアンケートに答える英文を考えるだけでも1時間ぐらいかかったよ。<中学生以下。
それにどういうサイトかイマイチわからなくてちょっと不安もあったので、「英語がわからんから助けて」とオットに見てもらった。
オットも自分の専門分野外なので、いつものように勘を働かせて読むということができないらしく、Mozillaを立ち上げてそれの翻訳サービスを使っていた。
ほんとに彼はいろいろと便利なものを知っている――ドラえもんみたい。
それはともかく、変な訳ながらもなんとなく雰囲気はわかり、さらにオットにこれ大丈夫かな、やらないほうがいいかな、と確認してみたが、何も言わず代わって署名してくれた。
なにしろアフガンのことで熱に浮かされたみたいになってたから、こういう時側で冷静に判断してくれる人がいるとありがたい。

ニュースやワイドショーなどでしきりにウサマ・ビン・ラディン氏のことが取りざたされているが、それを見ているとサリン事件の時の麻原を思いだしてしまう。
いかにも狂信的に恐ろしげに取り上げているところもさることながら、ビン・ラディン氏自身も、状況から彼以外に考えられないと思われているが証拠もなく「私はやっていない」と言い張っているところや、姿を見せず隠れているところなどなんとなく麻原を思い起こさせる。
本当にやっていないのだったら、姿を見せて自分の無実を証明してみてはどうか、とも思う。
姿を見せることは危険なことかもしれないが、正義のためならば死をも恐れないのがイスラーム過激派の信念ではないのか。
戦い続けるためにはどんなことをしても生き延びるのだ、と思っているのかもしれないが、その戦いのために鉄砲玉のように命を投げ出していく兵士たちの命と立派な地下基地で守られた彼の命、同じ組織の人間なのにあまりに違いすぎるではないか。
命を投げ出せとは言わないが、それぐらいの覚悟で出てきたっていいような気がする。

苦境のパキスタンでも反米デモをやっている人々がいる。
「アメリカ出ていけ」なんてシュプレヒコールを挙げているのを見ると、なんとなく太平洋戦争時の日本国民が思い浮かぶ。
防空頭巾をかぶったおばちゃんたちが「アメリカ兵を追い出せ」と竹槍構えている、あれね。
大義のためなら死をも恐れず、てのも昔の日本にあったなあ。
イスラーム世界の人々は日本から遠いし、ずいぶん違う人々と思っちゃうけど、あの戦争のことを考えるとその心情もわからないではない。
だからそういうことを経験した日本人が説得することはできないのだろうか。
戦争の悲惨さも怨恨を乗り越えることも日本人は経験している。
アメリカへの恨み辛みもわかってあげられるし、それを乗り越えていくためにどうしたらいいか、一緒に考えてあげることはできないのだろうか。
イスラーム史の板垣先生がTVで「日本はアメリカとイスラーム諸国の間に入って仲介役をすることが必要、それが国際貢献だ」とおっしゃっていた。
アメリカ一辺倒な日本にはなかなか難しいことかもしれないが、なんとかそういう方面で頑張ってほしい。
私たちも勇気を持って、武力ではない貢献を世界に示すことができれば。


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