きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


憎しみの連鎖


9月 13日(木) 台風もどこへやら

日記はお休みのハズなのに、なぜかそういう時に限って書くことが次から次へと出てくる。
火曜日、人気番組「プロジェクトX」が終わった直後のニュースが第一報だったから、あの衝撃的なライブ映像を見た人は多いのではないかしら。
私もしっかり見てしまい、野次馬根性が強いので今回も(そうだ、サリン事件の時も阪神大震災の時も日航機墜落の時もそうだった)その後ずっとテレビに釘付けだった。<要するにヒマ人 (^^;
テロ行為もとうとうここまで来てしまったか、と暗澹たる気持ちになってしまう。
この事件に罪もない人々が大勢巻き込まれてしまったことは悲劇としか言いようがない。
亡くなられた方には心から哀悼の意を表し、怪我をされた方には一日も早い回復をお祈りするとともに、二度とこのようなことが起こらぬよう人間の理性と良心に願うばかりだ。
悪逆非道のテロリズムは非難してしかるべきだが、犯人はイスラーム原理主義の一派だとほぼ確定のようなので、ここはまず素人オリエンタリスト(?)として、冷静にコメントしなければなるまい。<何様じゃ、おまえは!

ちょうど東京新聞の書評に「イスラーム世界の二千年」(バーナード・ルイス著、思想社)という本が載っていて、面白そうなので読んでみたいなあと思っていたところだった。(買うにはちょっと高いので図書館に頼もうかと思案中だった)
その書評には「…もろい中東はヨーロッパ近代の脅威に直面すると無惨な分裂状況を呈した。本書が中世に比べて近現代中東の叙述が悲観的なのも、中東がユーゴスラビアのように分裂し、暴力が蔓延して原理主義的な不寛容が支配することへの危惧からだ…」と書かれていたが(東京新聞より抜粋、評者・臼杵 陽)、このテロ事件で本当にルイス先生が危惧している通りになっている、と再認識してしまった。

古代から多民族多宗教のモザイク状態だった西アジアは、中世、イスラーム世界として一つにまとまることで繁栄していた。
いわゆるパックス・イスラミカ(イスラームによる平和)の時代で、アッバース朝以後は国家は分裂してしまったが、それでも一つの共通認識のもとに秩序ある世界を形成していたのだ。
なぜイスラームがそれだけの広がりを見せ、それだけの世界を支える基盤となり得たのか、それは先ず第一にイスラームが寛容であったこと、それに自由と先進性を兼ね備えていたからだ。
アラブ人の征服が行われた時、歴史ではよく「剣かコーランか」と迫ったと教えられるが、実際には宗教を強制したことはほとんどなく、自由な信仰を認める代わりにムスリム以外からは余分に税金を取った。
つまり彼らは大義より実利を取ったのだ。
ドライなアラブ人らしいな、と私などは思ってしまうが、ともかくそういう融通の利くところによって、イスラームの浸透は自然に緩やかに広まっていった。
モザイク地域の支配者たちはたいてい地区毎の自治も認めていたから(そうしないとやっていけなかった (^^; )、ユダヤ教徒、キリスト教徒との混在もそれほど問題ではなかった。

ところが近代になって、イスラーム世界とヨーロッパの立場が逆転しヨーロッパ列強が西アジアに進出してくると、彼らが持ち込んだ民族主義によってイスラーム世界における共通認識は崩れ、モザイクはバラバラになって各自の権利を必死に主張しなければならなくなった。
ここに中東における憎しみの連鎖が始まったのだ。
互いの民族が自分たちの権利とアイデンティティーを守るために争い、憎み合い、復讐が復讐を呼び、それに合わせて宗教も寛容から不寛容へと萎縮しどんどん硬く縮こまっていった。
原理主義の台頭はその萎縮硬化の結果だ。
国粋主義にも似た原理主義は、欧米列強に食い物にされたイスラーム世界の身を守る最後の殻なのかもしれない。

モザイク状態の複雑な社会に住む西アジアの人々は、その心理もとても複雑だ。
たとえ敵対している国でも利害関係が変われば、互いに利用し合ったりする。
自分たちを食い物にした欧米でさえ、武器や石油などの取引で利用していたりする。
けれど、イスラーム世界においては、食い物にした欧米への恨み憎しみは深い。
特にパレスチナ問題以降アメリカが中東をつつくたびに、原理主義という最後の殻にしがみついて、憎しみを増長させている者がその怒りを爆発させている。
あんなことをされてしまうのは、それだけの理由があるということだ。
アメリカの自由と繁栄の陰にはたくさんの弱者が犠牲になっていることを、私たちは忘れがちだ。
原爆を落としたアメリカ軍の元兵士が「民間人を巻き込んだのは悲劇だが自業自得だ」と言ったその言葉通りのことを、テロリストたちは言うだろう。

結局、人間はいくら悲劇に見舞われても、何も学ばないのだろうか。
連鎖し拡大する憎しみに一度捕らわれてしまったら、そこからは逃れられないのだろうか。
アメリカの怒りはまた新たな憎しみを拡大するかもしれない。
どうか、冷静な目を持って英知を振り絞って、憎しみの連鎖を断ち切る方向に動いてほしい。
ムスリムの側も、テロリズムでは問題は何も解決しない、袋小路に追い込まれるだけだということを自覚し、自分たちでテロリストを断罪しテロをやめさせるべきだ。
そして対岸の火事のように眺めていた私たちも、決して軽はずみな言動は取らないように、憎むべきはテロでイスラームではないことを覚えておかなければならない。

そうだ、私たち、つまり日本人にとってこの事件はどういう影響があるのだろう。
小泉さんも真紀子さんもアメリカに付いていきます!的な発言をしていたけど、それって日本もテロの標的になってもいいってことなのかなー。
それにしてはあまりにも無防備だよなー。
もうちょっと考えてものを言ってほしい…。
それと日本人としては、パールハーバー以来だとか、カミカゼ特攻だとか、そういうなぞらえ方はやめてほしいんですけどねー (^^;;;

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