きんとさんのお気楽ゴクラクのーと

K.水谷


日本人としての誇り


8月 14日(火)やっと梅干し干せました (^^;

昨日、小泉首相が抜き打ち的に靖国参拝を決行した。
新聞もTVのニュースも最近はそのことで持ちきりだった。
1ヶ月余りも熟慮した結果が単なる日程の前倒しか、と揶揄する意見に私も賛成だ。
前々から夫は小泉さんはただのエエカッコシィだと言っていたが、今回のことでは私もそう思わざるを得ない。
本当に戦没者を悼み、侵略の罪を悔い、平和を願っているのであれば、1ヶ月も考えるうちにもっとよりよい方法が見つかるはずだろう。

先週、原爆を実際に落としたアメリカ軍の兵士たちがその1ヶ月後、長崎を訪れていたというドキュメンタリーをやっていた。
たった一個の爆弾に全てを焼き尽くされ、何もなくなってしまった土地にやって来て、その兵士たちは原爆の驚異と恐ろしさを感じ、これはもはや戦争の道具ではないと感じたそうだ。
だがそれでも、56年経った今でも、彼らは自分たちのしたことは正しかったと信じ、その任務を誇りに思い、ついにあの原爆で亡くなった人、今もなお苦しんでいる人への謝罪の言葉は口にしなかった。
そればかりか「たくさんの人が犠牲になったのは悲劇だが、自業自得だ。我々はパールハーバーを決して忘れない」と言いだし、私はそのことに強い憤りを感じた。
その時、私は民族対立の感情が少しだけわかったような気がした。
自分たちの被害に憤りを感じても、自分たちの加害には目をつぶる。
それが互いに繰り返されれば、根深い民族対立になってしまうのだろう。
誰も皆、自分の痛みはわかるが、他人の痛みはわからないのだ。
米軍兵士にしても、彼らはパールハーバーの悲劇は理解していても、原爆の悲劇は理解していない。
それと同じことが私たち日本人にも言えるのだ。
私たちは戦争の中で起こった自分たちの悲劇を嘆くばかりで、加害者としての自覚があまりにも薄い。

だいたい、平和な時は人一人殺したって暴力を振るったって罪に問われるのに、戦争となると、しかもその戦争に勝ったなら何人殺しても罪に問われないなんて、どうも納得がいかない。
人を殺してはいけない、という決まりは戦争が正しい正しくない以前の基本的な倫理だろう。
たとえその戦争に正当性があっても、肉親や同胞が殺され傷つけられれば悲しいし、加害者を憎く思うのは当然だ。
まして、日本の中国や韓国に対する侵略は、彼らからすれば理由なき暴挙で認められるものではない。
彼らの被害を嘆き憤り謝罪を求める気持ちは、彼らの受けた心の傷が癒されるまで止むことはないだろう。
それなのに日本人は加害者として、今まで彼らの気持ちにどう応えてきたのだろう。
彼らの気持ちが納得していないのは、日本人が彼らの気持ちに応えていないからで、いつまでたっても謝罪を求められるのはそのせいなのだ、と皆気づいているはずなのに。

来年のワールドカップに向けて韓国との交流が盛んになってきたのに、「つくる会」の歴史教科書問題のおかげで、民間の交流活動まで次々と中止になっているのはとても残念なことだ。
あの教科書は今までの歴史教科書は自虐的だとし、子供たちに日本国民として我が国の歴史を誇れるように教えるべきだと作られたそうだが、自分たちの過ちを認めることが自虐的なんだろうか。
そういう歴史では日本人としての誇りが持てないのだろうか。
過ちに目を背け、曖昧なことをうやむやのまま自分の都合のいいように解釈し、他国の人たちの歴史や文化を敬わず、彼らの感情をないがしろにしたままの方がよほど恥ずかしいことだと私には思える。
それとも自分たちは正しいと言い張って、本気で中国や韓国にけんかを売るつもりなのだろうか。
それならそれで、個人で勝手にやればいい。
でも子供たちに曖昧なことを教え、都合のいい解釈を押しつけるのだけはやめてほしい。
全ての情報を開示し、曖昧なことははっきりさせ、少なくなってきている歴史の証人たちにできるだけ多くの真実を語ってもらい、その上で自分たちの態度をはっきりさせ、謝るべきことは潔く謝る、その方が日本人として立派な誇りある行動だと思うのだけど。
未来ある子供たちのためにも、そうした方がいいと思うのだけど。
歴史は自分たちの自己満足のために学ぶのではない。
これから自分たちがどう生きていくのか、その未来を考えるために学ぶのだ。

これからも隣国の人々と仲良くしていくためには、政府には頼らない民間の草の根的な活動が必要なのかもしれない。
民間レベルで、あの戦争の真実を明らかにし、責任について語り合う、そういう活動ができてくればいいな。
私たちは何を言い、何をすれば彼らの気持ちが安んじられるのだろう。
たぶん、被害者としての日本人が望むことときっと同じだろう。
やってしまったことを責めてももう元には戻らない、ただ事実を明らかにすること、死者を悼み、被害者の訴えに耳を傾けること、そして二度としないと繰り返し誓うこと…。
日本も罪のない一般人がたくさん死に、悲惨な目に遭ってきたのだ。
決して痛みがわからないわけはない。
そうと望めば、痛みはきっと分かち合える。
そう信じている。

やっぱり戦争は嫌だ。
私は誰も殺したくないし、殺されたくもない。
どうして人間は平和に暮らしていけないのだろうねー。


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