きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


ハイパー・テキスト・マークアップ・ランゲージ


5月 18日(金) 五月晴れ、薫風渡る

これをお読みの皆様、お久しぶりでございます。
先週の木曜日に帰国しまして、数日間はボケ〜ッとしておりました。
やはり、わたくしめにはちとハードな旅でしたので、どっと疲れが出たのですね。
おなかも弱ってたし。
今週に入ってだいぶ復帰してきましたが、週に2回のバイトも始まり、これからちょっと忙しめです。

さて、ウチにもフレッツADSLが導入されて、ネット環境はますます快適になった。
快適でいつでもどこでも、というネット環境はもう世界じゃ当たり前のことになっているよね。
イランでもご多分に漏れず、街角にネットカフェがあり、日本人の集まる所には日本語フォントまで用意されていると聞いた。
私もイスファハンのホテルから自宅にEメールを送ったけど、電話よりずっと安く、絵はがきよりずっと早く着くのだから、便利な世の中になったものだ。
まあ、声は聞けないし、味も素っ気もないものなんだけどね。
そして帰国してまずすることといえば、メールチェック。
ネットは既に生活の一部だ。

早速チェックしたメールの中で、小説のページの色分けされた文章が見にくいというご意見をいただいた。
うん、確かにそうかもしれない。
そもそも、私が人物の書き分けをちゃんとやらずにダラダラ書いてるもんだから、はぎさんがわかりやすいようにとスタイルシートで設定してくれたんだけど、本当はそんなのない方がいいんだろうな。
PCの画面で見ると、無機質な文章の羅列が寂しくて、何かと装飾を付けたくなるんだよね。
でも、もともと小説は紙に並んだ文字を読んでいくものだから、その感覚でいけば装飾なんていらないんだよなー。
せいぜい文字を見やすい表示にしたり、イラスト入れたりするぐらいで。
このイラストも絵によっちゃ、ない方がいいとも言える。
つまり下手な絵で小説のイメージを壊すぐらいなら、入れない方がいい。
ウチの夫なんかは、SFやファンタジーの文庫本に入っている2,3枚のイラストさえ必要ないと言ってる。

今はどのサイトも華やかにデザインし、たくさんの画像や動画、音楽まで賑やかに入れているけど、もともとネットに流す情報は文章と説明に必要な画像のみだった。
HTML(Hyper Text Markup Language)はそのための言語なのだ。
プラットフォームやブラウザが違っても、同じテキストが表示されればそれでよかった。
つまり、大見出し小見出しの別、段落や箇条書き、下線や強調、画像の内容などの違いがわかればよかったわけだ。
見ている環境はそれぞれ違うから、サイズの設定などは相対的な数値で表し、その環境に合わせられるようになっている。
文字の大きさなんかは、見ている人が各自自分のブラウザで好みの大きさに変えるわけだし、色も設定してあっても、ダウンロードしてソースをいじれば、自分の気に入るように変えることができるから、そういう設定はあってもないのと同じだ。
テキストという情報はそういった意味で割と融通が利き、HTMLも非常に簡単でわかりやすいものになっている。
おかげで、PCプログラムを知らない私のようなシロウトでも簡単に書けるし、おかげで、誰もが簡単に情報を発信できるようになったのだ。

ところが、ハードがよくなり、通信設備もよくなってくると、ネットの情報が視覚的になってきた。
画像を多用し、画面構成を整理し、PC画面での見た目をよくしようとデザインしだしたのですね。
これはもうHTMLの領域外で、スタイルシートなどを使わなきゃならないんだけど、スタイルシートはブラウザによって全然違う表示になったり動かなかったり問題が山積みのようだ。
それに、私もそうなんだけど、誰もが自分と同じような環境で見ているとは限らないということを、みんな忘れている。
ブラウザの画面1つとってみても、今は全画面で見ている人が多いようだけど、うちは半分ぐらいの画面にしているので、横暴な横スクロールバーがよく出て腹が立つ。
そういう画面で見ているってことを想定してないのね。
自分のレイアウトにこだわるあまり、ブラウザや画面サイズ、フォントサイズまで指定しているページを見ると、せっかく自由な環境がネットのウリなのに自分で世界を狭めちゃって勿体ないと思ったりもする。
こだわらなきゃならないのは、見た目のレイアウトではなく、情報のレイアウトの見やすさなのだ。
はぎさんの考えたセリフ色分け作戦は、情報のレイアウトを工夫したものだけど、これも見る人によって受け取り方が違うのだから、なかなか難しい。

今はもう、より多くの人に見てもらうには、HTMLだけ書ければいいという状況ではなくなってきた。
シロウトでもスタイルシートやJavaScriptを覚えて工夫しなければ、たくさんあるサイトの中に埋もれて忘れ去られてしまう。
しかし、ネットという媒体は紙やテレビと違って情報以外の部分は見る人によって違ってくる、ということを忘れちゃいけない。
見る環境を作るのは、あくまで見る人だということを。
ブラウザの機能で見る人がフォントサイズを変えられるんなら、その他の部分も見る人が選べればいいのに、とぶつくさ言ってたら、NN6はブラウザでスタイルシートを選べるようにできるんだって、はぎさんが教えてくれた。
うっきゃあ〜、それならさー、装飾ありとなしを作っといて、装飾がうざったい人はなしで見ればいいんじゃない!
見る人の好きにすればいいっていう環境に多少なりとも戻れるわけね。
いいなあ〜、それ。
最近のサイトは情報以外のデータ量が多すぎるところも結構あるからね。
見る方が取捨選択できるのはいいことですよ。
音楽とかも選べるようにならないかな〜。
いきなりJavaを読み込み出すの、好きじゃないんだよね。
ともかく、ネットの正常な環境を目指して、がんばれ!NN6!


戻る Copyright(c) 2001 K.Mizutani.All rights reserved. メール