きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


形あるものは…


3月 6日(火) 花粉が〜〜!の晴れ

やっぱりアフガニスタンの話になってしまう。
友人には「その話はやめて、哀しくなるだけだから」なんて言っておきながら、やっぱり言わずにはいられない〜〜

バーミヤーンの大仏&石窟を移送したいとユネスコを通じて申し出たのは、メトロポリタン美術館だった。
岩壁ごと岩山から切り離し持っていく計画だったらしいが、なんともすごい話だねー。
エジプトのアブシンベル神殿もそうやって移送したから出来ないことはないんだろうけど、持っていってどこへ置くんだろう。
まさかニューヨークに置くわけにはいかないから、ユタやネバダの砂漠に置くのかな、環境似てるから。
もしも、あの有名なアメリカの大統領の顔が掘ってある岩山(名前忘れた)の隣になんか置いたら、まるでテーマパークだよね。
どっちにしてもバーミヤーンの仏教遺跡見るために、アメリカに行くのなんかまっぴらゴメンだけど。

実際、今でもそういうことはある。
中国の敦煌の文書見たいのに、中国じゃなく、フランスのギメ美術館やイギリスの大英博物館に行かなきゃなんないとか。
欧米の東洋学者にとっては便利がいいかもしれないけど、東洋人が東洋のことを調べるのに西欧まで行かなければならないのは、なんとも矛盾を感じる。
これが中国人ならなおさら理不尽さを感じるだろう。
近代のヨーロッパ列強によるアジア進出は、こんな所にも影響を及ぼしていたのだ。
アジアの最奥部を目指して、イギリスの、ドイツの、フランスの、ロシアの探検隊が中央アジアに入ってきて、彼らはそこで素晴らしい仏教遺跡に遭遇するわけだ。
こんな所に、こんな素晴らしい物が人々から見捨てられ放置されている、このまま埋もれさせてしまうのは忍びない、とにかく持って帰って調査保存したいものだ…
とかなんとか言って、彼らはめぼしいお宝をタダ同然で買い取り本国へ持ち去っていった。
そりゃーもう、文書、絵画は根こそぎ、仏像はもちろんのこと、壁画までひっぺがして、やりたい放題だった。
後で中国政府がお宝を持っていかれたと気づいて、「人んちの文化財、勝手に持ってくなんてヒドイじゃない、返してよ、このドロボー!」と抗議しても後の祭り。
「勝手ではない。ちゃんと地主や管理人の許可は取ったし、代償は払った」なんて言われるのがオチで、政府は腹いせ紛れに地主や管理人を牢屋にぶち込むぐらいしかできない。
今でも中国・クチャの石窟寺院に行くと、無惨に引き剥がされた壁画の後を指して「これはドイツのナンチャラ探検隊が略奪していったのだ」なんて説明が恨みがましく書かれている。

壁画も文物も、それが生まれた土地で見るのが一番良いと私は思っている。
けれど、そこに置いてあったら早く失われてしまう可能性があるとしたら、別の安全な場所に、補修も管理もその土地より良くできる所に移し、長らえた方がいいのかもしれない。
略奪行為(?)に及んだ探検隊も、もちろんそう考えていた。
現在のメトロポリタン美術館と同じなのだ。
実際、移したおかげで長らえている遺物もたくさんあるだろう。
当時の中国はまだ歴史的には大変な時期で、現状維持が精一杯であっただろうし、その後文化大革命の頃に破壊されたものもあるようだし。
もっとも移したばっかりに失われた遺物もある。
ベルリンに運ばれた仏像や壁画は第2次世界大戦の折り、空襲で博物館が破壊され相当な数が失われたのだそうだ。
遺物にとって、どこに置かれるのが幸せなのか、それは残念ながら人間にもわからない。
このバーミヤーンを巡る大騒動を見ていると、上記のような近代の中央アジアの文物流出を思い出し、はがして持っていくのも、置いておいて壊れるのもどっちもどっち、という気がしてしまうのだ。

まあ結局、どこに置いたとしてもいずれは壊れるもの。
生きながらえたって、それが幸せかどうかわからない。
生まれた石窟寺院から遠く離されて、遙か異国の美術館の陳列ケースに収まっている仏像は、もはやただの美術品であって、神聖な信仰の対象物としての尊厳は失われている。
仏像は寺院にあってこそ信仰の対象となりうるのだから。
そしてそれを拝む人々がいてこそ、その仏像は生きるのだから。
寺院に残っていたとしても、見る人が信仰心を持って見ていない現代の状態では、仏像は死んでるも同然なのかもしれないし…。
日本だって明治の廃仏毀釈の時、ずいぶん寺やら仏像やらが壊されたし、海外に流出もした。
信仰心がなければ仏像は無用の長物、その時点で存在価値は半減しているのだ。
後は美術品、歴史的遺物としての価値だけだが、そういうのって、人間の醜い争いを生んだり、逆に争いに巻き込まれたりで、どーもいいイメージがないのよね。

でも、ま、生きるの死ぬのと言っても所詮は「もの」なんだしー。
思い入れのある人間には哀しいことだけど、やはり成り行きを黙って見ているしかないな。
現地の人公認で、諸外国の博物館や美術館がアフガンに残っている遺跡や遺物を、デパートの閉店セールみたいに漁ったら、面白い図式だなーなんて思ってたけど、それもかなわないみたいだし。
一つの歴史が埋もれていくのですね。
ああ、井上靖大先生はすでにお亡くなりになっているから、この惨劇を見ずに済んでよかったですねと言えるのでしょうな…


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