きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


空しい願い


3月 2日(金) 冬に逆戻りの晴れ

今週、私にとってとても哀しいニュースがあった。

アフガニスタンの現政権タリバンがイスラームの教義に則って、現在残っている過去の遺物の偶像を全て完全に破壊するというのだ。
シルクロードの遺跡として有名なバーミヤーンの大仏ももちろんその中に含まれている。
タリバンはイスラームの教義に厳格な原理主義組織で、教義の現代的解釈を一切認めないことで有名だ。
今回も世界的な遺産(まだ世界遺産には登録されていない)が公然と破壊されることを憂慮してユネスコが抗議しているが、やはり認められず既に破壊は始まっているらしい。
なぜいきなりそんなことをやり始めたのか、という理由に、タリバンがかくまっているテロリスト支援者ウサマ・ビン・ラディン氏を国連が引き渡し要求していることに対抗して、という政治的駆け引きが裏にあるのではないかとの見方が挙げられていた。
彼らは駆け引き上手なシルクロードの住人だから、そういうこともやりかねないな、とも思うが、いずれにしろ過去の遺物だ。
放っておいてほしい、と思う。

アフガニスタンへ行って、バーミヤーンの大仏を仰ぎ見ることは、私の20年以上も前からの見果てぬ夢だ。
既に果てしない内乱で国土は荒れ放題、どこもかしこも地雷だらけで、かの地を踏むことすら叶わないのに、その上、憧れの遺跡が破壊されなくなってしまうという事実に、例えようもないやりきれなさを感じる。
彼らに偏見を持ちたくないし、恨みたくもないが、個人的な感情ではやっぱり許せない。
今すぐ、私の憧れを返せと訴えたくなる。
でも、それは私の勝手な言い分なんだよね。
彼らには彼らの正当な言い分がある。
そして今、かの地を支配しているのは彼らなんだから。
人間は有史以来、創造と破壊を繰り返してきた。
支配者が変われば、新しい支配者は当然の如く過去の遺物を破壊し、その上に自分たちの創造をするのだ。
そこには一個人の感情なんてどこにも挟む余地はない。

現在は遺跡や遺物を維持保存しようという考え方が一般的になって、公然と破壊する国の方が珍しいが、もともとは遺跡も遺物もいずれ人々から忘れ去られて土に埋もれ、あるいは朽ち果てていく運命にあるものだ。
形ある「もの」はいつか失われる、それはわかっているけれど、思い入れがあり忘れ去っていない人間にはそれが失われる時、常に空しい喪失感と深い哀しみがつきまとう。
失う痛みは失われる「もの」の痛みに通じているのかもしれない。
まして、人の手で壊されていくのを見なければならないのはなおさら辛い。
思い入れの強さはその「もの」に命を吹き込む。
「もの」ですら、その命を奪うことは、殺人と同じようなむごさを感じる。
私は彼らにそんなむごいことをしてほしくない、彼らを恨みたくない。

だから、せめて放っておいてほしい。
彼らが手を下さなくても、それはやがて崩れ去り、滅び去るものだ。
あの一帯も地雷だらけだそうだから、多分その寿命は以前よりさらに短くなっているだろう。
もともとそれは人々から忘れ去られ、放置され自然に崩れるにまかせていたものだ。
たまたま外国人が見つけ、その価値を見出し、再び脚光を浴びるようになっただけなのだ。
その脚光ゆえに破壊対象となってしまったのなら、私たちももうそれに手出しすることは諦めよう。
ただ自然のままに、自然に還る日を祈りたい。
私が見たかった美しいガンダーラ仏が残るハッダの遺跡も、ガズニにあった見事な星形のミナレットももはや戦争で破壊されてなくなってしまった。
せめて今残っている遺跡は人の手を介さず自然にまかせ、そしてあの荒れ果てた大地に全ての遺跡が埋もれても、本当のサラーム(平安)が来る日を私は空しく祈っている。
本当にかの地が好きだから。


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