きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


魚の目


11月 24日(金) 晴れ(久々にいい天気!)

先週末やたら盛り上がっていた、セージの世界に巻き起こった改革の波(?)は月曜日、シオシオのパ〜と消えてしまった。
昨今、セージの世界は面白いことがなさ過ぎて、人々は無関心の仮面をかぶっているが、いざ面白そう! なことが起きると、皆その仮面を脱ぎ捨てることは、あの盛り上がりようでよくわかった。
にもかかわらず、あのチョー情けない結末。
「なーんだ、やっぱりね」と肩をすくめながら、皆また仮面をかぶるのだ。
そしてセージ家さんたちはまた死んだ魚の目に戻る。

先週の土曜日の朝、寝ぼけ眼でニュース解説番組を見ていた私は、そこにゲスト出演していた大騒ぎの当事者、カトーさんの目が妙に生き生きしているのに気がついた。
あれ、この人って、こんなに目が輝いていたかしらん? 確か、いつも死んだ魚の目のようにどんよりした目をしていたはずだが……。
そんなふうに思いながら、人間の意志と気力と身体の関係について考えた。

身体は正直だ。
その人の感情の状態で、身体の状態もすぐに変わってくる。
緊張すると身体に力が入って硬くなるし、気力の萎えている人は身体もフニャッとなっている。
顔の表情も全然違う。
特に目はその人の気力や意志の状態をよく表してくれる。
気力が充実していたり、意志が強い人は目の輝きが違う。
私の好きだった作家の井上靖さんが、老いてなおシルクロードへの情熱を失わず、しわくちゃの顔に目を炯々と光らせていたことを思い出す。
徒党を組んでひたすらお手玉遊びをしているような永田町の中で、カトーさんも他のセージ家と同じように外に目を向けず、目の前のお手玉だけを見ていた。
閉鎖的な社会で同じことを繰り返してたら、気力も失い、魚の目にもなってしまうよね。
ところがちょっとそのお手玉を外に投げてみたら、予想以上に反響があったから、それで俄然やる気が出たんじゃないかしら。
やっぱり人間、刺激は必要だし、それが良い方に働けば、失っていたやる気も湧いてくる。
あの目の輝きはそのやる気を端的に表していたのだ。
セージ家としてのカトーさんには全然期待していなかったが、あの目の輝きは正直言って素晴らしいと思った。

ところが、カトーさんのやる気はそこまでだった。
エリートの道を外さずにセージ家にまで進んできた人だから、道を外すのが恐かったのだろうか。
ノナカさんの迫力にもろくも崩れ去ってしまった。
ノナカさんは「生命賭けて可決を阻止する」なんて言っちゃって、そんなことに生命賭けるなよー、てテレビにつっこみを入れてたんだけど、そんなことに生命賭けちゃうこの人の身体は、とても硬そうな感じがする。
ノナカさんの場合、迫力はあるけど、目はキラキラしていない。
多分、その迫力が自分のために発揮されてないからだろう。
自分が本当にしたいことのための意志ではないのだ。
ただその意志は頑固なまでに強いから、そういう人の身体はきっと強ばって硬くなるのだ。
いかにも頑固そうなおじいさんは大抵身体が硬くて、電車の中とかで当たったりすると、もの凄く痛い。

永田町のお歴々の目は皆、どんよりと虚ろだ。
生き生きとするのは議会で発言者を野次る時ぐらいじゃないのかな。
若い議員さんたちはまだ、生気のある目をしているけど、セージの世界に染まっていくにつれ、だんだん鮮度を失って、濁った魚の目になってしまうのだろう。
そーならない前に、彼らにセージを託したいけど、私たちにはその力がない。
選挙だって、ちゃんと考えて投票してるのに、なーんにも変わらないもんね。
でも、あんまりお先真っ暗でアナーキーになっちゃうと、ホントにヤバイので、やはりここは田中真紀子さんの台頭に一縷の望みを託しますか……。


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