きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


スポーツの行く末−その3


9月 29日(金) 曇り(寒い!)

そろそろ五輪にも飽きてきた。
期待種目もほとんど終わっちゃったし。
プロ野球はもう全然見てないけど、五輪の野球は応援していた。
でも、力の差は歴然、選手たちは悔しがっていたけど、あれは仕方がない。
選手が悪いのではない。
中途半端な方針でチームを送り出した日本の野球界がいけない!

もう声を大にして「参加することに意義がある」で済ますのか、「勝ちにいく」のか、はっきりしろ! と言いたい。
アマ野球界には、あくまでもアマ野球で行きたい、という希望があるのかもしれない。
でもはっきり言って、プロ参加を認めてしまった時点で、アマ野球では勝てなくなってしまったのだ。
そして国民の期待は、やはり勝つこと。
勝たなければ、見てくれないし話題にすら上らなくなってしまう。
今回だって、みんな勝つことを期待して見てるもんだから、3位決定戦が終わった時、セリーグ事務局に「なんで選手を出さなかったんだ!」て抗議の電話が殺到したという。
プロ野球側は、本当に日本の野球の将来を考えて、もっと五輪を重要視するべきだし、アマ野球側も都合の良いときだけプロを借りるなんて、甘い考えはやめるべきだ。
お互いつまらない意地を張ってないで、野球界の未来のために手を取り合って、五輪の位置づけや方針をちゃんと決めたらいいのに。
このままじゃ、一生懸命やった選手たちがかわいそうだ。

だいたいプロだアマだと、なんだってそんなこだわるんだろう。
そもそもアマチュアっていうのは、やるスポーツで、プロは見せるスポーツでしょ。
ロス五輪の頃から、五輪は商業主義とコマーシャリズムで成り立つようになって、今ではほとんど、見せるスポーツの祭典になってしまっている。
結局、プロスポーツの祭典みたいなものなんだよね。
アマチュアの立場で出てる人だって、スポンサー付けて、本業そっちのけで練習して、結局はプロと変わらなかったりするもの。
だいたいにして、近代スポーツってのは金がかかるもので、商業五輪以前からすでに自分でやって楽しむ域を越えてしまっている。
昔の五輪は国家発揚の場として、国が金出して選手鍛えてって感じで、それに徹底している国が強かったもんね。
そのころの五輪も本当のアマチュアリズムとはちょっと違ってたんだよなぁ。
もちろん参加するだけで精一杯の国もあって、そういう国は参加することに意義があるって方針で、立派にアマチュアリズム貫いているけどさ。
勝つこと、メダルを取ることにこだわると、どうしてもそのアマチュアリズムがねじ曲げられちゃう気がする。

だからさ、もうこだわるのやめて、強い人が五輪に出ればいいのよ。
野球だって、サッカーみたいにまず方針決めて、監督決めて、スタッフ決めて、それから監督がプロアマ問わず自分の欲しい選手を要請すればいい。
まあほとんどがプロになってしまうだろうけど、実力本位でいくって決めたら、アマの人だって納得するでしょう。
彼らにふさわしい大会は他にいくらでもあるし、アマのレベルで世界大会をやりたきゃ、作ればいいんだもの。
本当に自分たちが楽しんで、世界交流して、力を競い合える場ができれば、それはそれで素晴らしい事じゃない。
世界草野球大会、なんてね。
そうそう、普段サラリーマンのおとーさんたちが、休日河原の球場に集まって、衰えつつある肉体にむち打って、全力で試合する。
そして勝っても負けても、試合後はお互いの健闘をたたえ合い、ビール飲んじゃうなんてのがホントのアマチュアリズムなんだろなあ……、と五輪中継の合間にふと考えたりするのであります。


戻る Copyright(c) 2000 K.Mizutani.All rights reserved. メール