きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


沙漠カゼ
(内蒙古植林記・その5)


6月 8日(木) 晴れ、風強し

5月4日(木)−私たちの植樹作業は二日半で840本の松の苗を植えて終了した。
三日目の午後は作業地の見学とチンギスハーン陵の観光。
だが、疲れがピークに達していて、ただ歩くだけでも身体にこたえ、ゆっくりのろのろと進むことしかできなかった。
エジンホロという地名は「皇帝の陵」という意味だそうで、チンギスハーンの陵があるのでこの名が付いた。
陵はモンゴルのパオの形をした建物が連なり、中は棺や遺物が置かれ、壁一面にチンギスハーンの一生が描かれている。
もっとも本当にここにチンギスハーンの遺体があるわけでなく、後世になって偉大なる皇帝の魂を祀るために作られたものだ。
陵を守っているのはチンギスハーンの末裔たちだそうだ。
この辺りはまだ沙漠化が進んでおらず、広々とした草原が広がり、湿地帯もある。
気持ちの良い場所で、まだ豊かだった頃の風景が偲ばれる。

なんとか気力で三日目も乗り切って、その夜は私たちから現地の方々への返礼の宴が催された。
モンゴル式に杯が人々の間に回され、その都度強いお酒を飲まされる。
私は下戸なのでいつもは口を付ける程度だが、ちょっと気分が良かったので、少し飲んでしまった。
みんなで歌を歌って、大盛り上がりで酒宴が終わり、外に出ると満天の星空。
気持ち良くって、疲れなどすっかり忘れてしまっていた。
そうやって羽目を外すと、必ずしっぺ返しが来る。

翌朝早く、気持ち悪くて目が覚めた。
おなかも痛い。
すぐに「沙漠カゼ」だとわかった。
以前、カシュガルでかかったのと同じ症状だった。
あの時も、前の晩気分良くお酒を飲んで、盛り上がっていたっけ。。。
トイレに行って下痢便をすると、とたんに寒気がしてきた。
そういえば節々も何となく痛いのは、筋肉痛のせいばかりでもなさそうだ。
幸い、午前中は自由行動になったので、朝食は抜いて昼まで寝ている。
外国に来て、困るのはこういうとき、食べられるものがないことだ。
中国だとおかゆが出ると助かるのだが、出ないときもあり、昼食で食べられたものはトマトだけ。
やっとそれだけおなかに入れて、頂いた薬を飲んだ。
午後、エジンホロを離れパオトウに向けて出発する。
バスの中でずっと寝てたが、道が悪くひどく揺れて眠ることはできない。
薬も下痢には効いたみたいだが、解熱作用はなかったらしく、体中が痛くて辛かった。

「沙漠カゼ」は私が勝手にそう呼んでいるだけで、本当に風邪なのかはわからない。
沙漠に来ると必ずこれにかかってダウンするのだ。
二つの種類があって、一つは今回のように喉や鼻は大丈夫で、おなかがやられて熱が出て節々が痛む。
これは熱が下がると、後はもう何ともなく、治りは速い。
もう一つは喉に来るやつ。
これはまさしく風邪の症状で、熱は微熱が出るくらいだが、喉が痛くて咳が出る。
結構長引くが乾燥地帯から離れると治る。
そういうことがわかっていると、自分はどうなるだろうという不安がないので、心理的に楽だ。
肉体的には辛くて、バスの中でも夕食のレストランでも横になりっぱなしだったが、気持ちは全然へこたれてなくて、みんなに心配してもらうのが申し訳ないぐらい、平気だった。

夕食も食べられるものはなく、市場で買ってきてもらったバナナを食べて、今度は解熱作用のある風邪薬を飲む。
すると30分ほどで効いてきて、痛みがなくなり、汗が出て、熱が引いてきた。
あっという間に身体が楽になる。
パオトウ東駅で学生さんたちと別れ、寝台列車を待つ間、さっきまで死にそうな顔してへたり込んでいたのに、もう現金なまでに元気になって、自分で歩いて駅の売店に買い物まで行ってしまった。
そして列車に乗り込む頃にはすっかり元通りになっていた。
何とも人騒がせな「沙漠カゼ」だ。
寝台列車は新型車両でとーってもきれい、設備も良い。
万里の長城まで、快適な汽車の旅が楽しめた。

その6に続く


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