きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


砂嵐
(内蒙古植林記・その4)


6月 1日(木) 晴れ

5月1〜3日(月〜水)続き−普段、肉体労働などしてないので、体力的にはきつかった。
ホテルに戻ると食事して、シャワーを浴びて、洗濯して、バタンキューで寝てしまう。
もっともホテル生活は楽だった。
移動がないから、必要な荷物は出しっぱなし。
乾燥していて洗濯物がすぐ乾くので、脱いだらチョコチョコっと洗濯して干して、替わりに乾いたのを着ればよく、新しいのを出す必要もない。
これはとっても楽だった。

二日目になると腕が筋肉痛でパンパン。
スコップがあたる親指の付け根も痛いし、腰を曲げて掘るので腰も痛い。
おまけにとにかく暑いのだ。
寒いかもしれないからとセーターまで持って来たのに、全然必要ないぐらい暑かった。
そんなこんなで、作業二日目からはマイペースを心がけた。

肉体的にはきつかったけど、精神的には充実していた。
汗水垂らして黙々と作業するって、嫌いじゃないし。。。
「ああ、疲れた」と言って顔を上げると、広々とした風景が広がっている。
空は青く、丘陵地は黄色い砂で覆われ、遙か彼方まで続いている。
間近には植えられたポプラの若木が芽吹きだし、若々しい新緑を見せている。
黄色い砂の風景も、砂の中にちりばめられたわずかな新緑も、どちらも私の目には美しく映る。
そしてその広大な大地に自分が立っていると感じるだけで、嬉しくなる。
ウキウキとした気分は疲れた身体を動かす原動力となってくれた。
学生さん達とのおしゃべりも楽しかった。
女同士で両国の結婚事情なんかを語り合ったりして、これもまた普通の旅行ではできない体験だった。

二日目の午後、アイス売りのおじさんが自転車でやって来た。
植樹作業をしている時はいつも、どこかで聞きつけてやって来るのだそうだ。
団長さんが「こんなことぐらいにしか金使わんから」と言いつつ、みんなにアイスを振る舞ってくれた。
あとでわかったことなんだけど、このアイス、定価(?)の二倍もしていた。
おじさんにボラれていたのだ。
でも、日本だって山の上とかだと、ジュースの値段が高くなるから、おじさんの運び賃だと思えば取り立てて腹も立たない。
おじさんは翌日も来て、私たちに高いアイスをしっかり売っていった。

砂嵐がやって来たのは、二日目の午後だった。
その日は朝から風が出ていて、お昼頃からその風がどんどん強くなっていた。
細かい砂は風に舞い上がり、どこへでも侵入してくる。
バッグの中も服の中も靴の中も、そして口の中もあっという間に砂でジャリジャリになってしまう。
午後の作業はスカーフを頭に巻き、口元まで覆って、遊牧民スタイル(というより泥棒スタイルに近い)の完全武装で臨んだ。
そうすると却って暑さも防げるし、口元の布は息で湿って喉の乾燥も防げるのだ。
砂漠の遊牧民スタイルは実に理にかなっている。

作業を早めに終えて、砂漠緑化の現状を現地の責任者の方から聞こうという時になって、砂嵐はやって来た。
それはまるで夕立のようだった。
黒い雲ならぬ黄色く濁った雲の様な砂に、空がどんどん覆われていく。
突風が吹きまくり、砂が雨のように降り、横殴りに吹き付けていく。
そうなるとのんびり説明会などしている場合ではなくなる。
私たちは仕方なく引き上げるしかなかった。
帰りのバスで、砂に覆われた空に太陽が透けて見えるのを見た。
銀色の太陽はまるで月のようだった。
この砂嵐、まだ軽い方だと言われた。

今年の春はよく砂嵐が来たのだそうだ。
風ばかり強くて、雨が降らないのでは植物の生長に良いわけがない。
三日目の午後、地球緑化センターのもう一つの作業地を見学したが、そこにある大きな井戸(10m位(?)の長方形に掘り下げてある)は7mもの深さがあるのに、水位が下がり使えなくなってしまって、新たにもっと深い井戸を掘ったのだそうだ。
水不足は深刻で、なんとか雨が降ってくれないものかと、私たちも願うばかりだ。
雨さえ降れば、大変な水やり作業は少しで済むし、地下水の水位も上がってくれる。
せっかく樹を植えても水が足りなくて枯れてしまっては、努力が水の泡になってしまう。

季節は確実に移り変わり、三日間の作業の間にも、途中に見える沙柳やポプラがどんどん芽吹き、白っ茶けた木々が緑に変わっていくのを目にした。
いつもの年のように雨が降れば、また来年も同じように植物は芽吹いていく。
でも、雨が降らなければ、ダメになってしまうかもしれない。
逆に降りすぎてもダメになってしまうかもしれない。
ほんとうに微妙なバランスの上に、生態系が保たれているのだと実感させられた。

その5に続く


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