きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


オルドスの今と昔 (内蒙古植林記・その2)


5月19日(金) 曇り

4月30日(日)−内蒙古自治区の区都フフホト市は、黄河がちょうど「几」の字に曲がって流れている部分の北辺側の東端、つまり「几」の字の右上部のちょっと先にある。
モンゴル語で「青い城」という意味だ。
区都であるだけに大きな町で、ホテルの前には高速道路が走り、交通量も多い。

なんでもこの日は結婚するのに縁起がよい日だとかで、さらに翌日のメーデーから一週間のゴールデンウィークに入るということもあって、結婚式ラッシュだった。
街中を綺麗に飾り付けられた車の行列が走り回っている。
後で聞くと、一番先頭の飾りの多い車が新郎新婦の乗る車で、後に続くシンプルな花飾りだけの車は親族が乗っているのだそうだ。
さらに車の行列をビデオ撮影している組もあって、なかなか派手なものだ。

午前中に博物館を見学した。
巨大なナウマン象の骨と恐竜の骨が見ものだ。
太古の昔、この地域はまだ森と草原に覆われていた。
今と違って、恐竜たちにも住みやすい土地だったのだろう。

昼食のレストランでも結婚式のカップルを2組見た。
中国の結婚式でも披露宴はあるらしい。
最近は中国も本当に豊かになってきた。
大きなレストランで西洋風の豪華なドレスを着ている花嫁さんを見ると、ますますそのことが実感できる。

それから内モンゴル大学の日本語学科の学生さん達が合流して、いよいよ作業地のあるエジンホロへ向けて出発する。
地球緑化センターの植林ボランティアは、ただ行って木を植えてくるだけではない。
現地の世話役をなさっている内モンゴル大学日本語科のカク(漢字が入ってない!)先生の計らいで、学生達と交流しながら作業することになっている。
これは私たちにとっても学生達にとっても、楽しく有益なことだ。
現地のことを知るためには、現地をただ見るだけでは足りない。
現地の人と話してみて、初めてわかることもたくさんある。
学生達にとってもナマの日本人に接し、話すことは良い勉強になる(彼らの勉強のために、悪い日本語を教えないように注意された f(^^; )。

町を出てしばらく行くと、バスが突然パンク。
またしても、足止めだ。
皆バスを降り、思い思いに時間をつぶす。
ちょうどあたりは、モンゴルらしい広々とした草原が広がっている。
このあたりはまだ、沙漠化を免れているらしい。
遠くに牛や羊が見える草原で、記念撮影をした。
一時間ほどしてやっとタイヤ交換を完了し、バスはエジンホロへ向けて急ぐ。
博物館を出た時点ですでに一時間ほどロスしていたので、予定よりだいぶ遅れてしまった。
途中の休憩もトイレ休憩一回だけになった。

南下して黄河を渡ると、荒涼とした黄土高原の風景が広がる。
高原上の土地が雨水の浸食を受け、あちこち深く削られて谷を作っている。
木がとても少ないので、土砂はすぐに押し流されてしまう。
そして押し流された土砂は黄河にいたり、河水を黄色く染める。
風が吹けば砂が空に舞い、空を黄色く染める。
そういう土地だ。
この黄河の「几」の字状のところに囲まれた地域はオルドスと呼ばれている。
すぐ南を万里の長城が走り、歴史的には漢民族と北方の遊牧民族が興亡を繰り広げた場所だ。
匈奴も突厥も、西夏もモンゴルも、このオルドスの草原で活躍した。
こんなに荒涼とした風景になってしまったのは、この100年余りの間の急激な環境変化によるものらしい。

黄河から離れるにつれ、谷は少なくなり、荒れた大地が広がる風景になった。
石炭の産地なので、石炭を満載したトラックが砂塵を上げながら通っている。
揺れるバスの中で爆睡して、夜7時頃、出発してから6時間かかって、ようやくエジンホロの町に到着した。
エジンホロはこぢんまりとしたかわいい町で、ホテルの質も格段に落ちる。
これでも年々良くなってるそうだ。
お湯も去年は夜一時間しか出なかったそうだが、今年は朝一時間、夜二時間出るようになった。
でも私にとっては、これくらいの質の方が親しみ沸いて、過ごしやすい。
十何年前の旅行の時、泊まっていた田舎のホテルを思い出し、懐かしくなる。
夕食はモンゴル族の歌と踊りで歓待してくれた。
いよいよ翌日から植樹作業の始まりだ。

その3に続く


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