きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


今、そこにある現実


1月21日(金)晴、久々に寒い...

テレビの1クールが終わり、アニメの方も次々と最終回を迎えている。
このクールでおもしろかったのは、断然「今、そこにいる僕」だ。

元気一杯、ちょっとムチャなこともするけど、でも平和な日本のごく普通のごく平凡な生活を営んでいる少年が、いきなり時空の彼方にある世界、乾燥した大地に水を求めて戦争ばかりしている世界に連れて行かれる。
その世界の狂った王は水を操る少女を捜していて、少年の側に現れた少女を捕まえに来た兵士から助けようとして巻き込まれたのだ。
のっけから、映像はきれいだし、テンポがよくって、一気に引き込まれた。
それでずっと欠かさず見ていたのだが、ファンタジーな物語の設定の割に、お話はとことんリアルだ。

まっすぐな性格の少年はいつも自分が正しいと思っていること、つまり平和な日本でごく普通に信じられている正義や愛や倫理道徳に基づいて行動するが、ことごとく裏切られる。
人を理由なく傷つけてはいけない、殺してはいけない、憎んではいけない...
そんな言い分は戦争のまっただ中では全く通用せず、刃向かった少年は痛めつけられ、牢屋に入れられ、そして兵士として戦争にかり出される。
牢屋の中には水を操る少女に間違えられて連れてこられた少女がいて、従軍慰安婦みたいなことをさせられていた。

少年の投げ込まれた悲惨な状況の連続には息をのむ。
でも目を背けることができなかった。
少年は自分に降りかかる災難を、持ち前の元気と火事場のクソ力的なパワーではね返していくが、自分の力ではどうにもならないこと――人の気持ち、例えば、殺し合う人々が心に持つ肉親を殺された悲しみと憎しみ、故郷に帰れない子供たちの孤独、犯されて妊娠してしまった少女の絶望――には、なすすべなく言葉もなく立ちつくす。
その時、私には少年と一緒に立ちつくす作者の姿が見えた。
この話は架空のどこか遠い世界の作り話だけど、これと同じ憎しみや絶望が今、現実に世界のどこかで起こっているのだ。
そのことを思うと、見ている私も少年と一緒に言葉もなく立ちつくすしかなかった。
殺し合い憎しみ合い、恐怖や孤独や絶望にのたうち回る人々の激しい気持ちは、甘く理想的な正義や愛など木っ端みじんに吹き飛ばしてしまう。
そんな人々に一体何が言えるだろう、何ができるのだろう...

少年はそれでも「人を殺してはいけない」「生きていれば必ずいいことはある」と言い続ける。
最後に怒りのあまり手に取った銃も、人に向けて引き金を引くことはなかった。
結局、作者もそう言い続けるしかなかったのか。
空しいと思いながらも?

本当にそう言い続けることが空しいのかどうか、それは私たち見る側に考える余地を残したまま物語は終わっている。
こんなに深い、こんなに濃い内容のアニメは久しぶりだった。
ある意味、宮崎アニメより濃くて深い内容だった気がする。
戦争という現実を見つめる上でも、多くの人、特に若い人に見てもらいたいアニメだなぁと思う。
ぬるま湯のように平和な日本から遠く離れた現実を、でも確かに、いつ我が身に降りかかってもおかしくない現実を見つめ、困惑して立ちつくす。
その思いを忘れないように。
そこから始まる自分自身の考えと行動のために。


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