きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


椅子の話


6月24日(木) 曇り

前回の話の続き。

「世界風俗じてん」のアジアの巻を読むと、中国の椅子は胡床と呼ばれる椅子が入ってきてから広まったものだという。
胡とは中国語で西方の遊牧民族を指す。
となると、遊牧民=敷物文化=履物を脱ぐ文化という図式は間違いだったのだろうか。
それでまた、椅子というものについて、つらつら考えてみた。

もちろん、胡と呼ばれる地方、すなわちシルクロードの国々にも外で使う椅子はある。
特に目につくのは、茶店に置かれているでっかいベンチだ。
オープンカフェ状の茶店の店先に置かれているそれは、ベッドをさらに幅広にしたような形状で、5,6人くらい座ることができる。
みんなその上に靴を脱いで上がり込んで、ゆっくりとお茶を楽しむ。
茶店のベンチは昔の日本にもあるでしょ。
ちょっと広めの縁台で、緋毛氈なんかが敷かれててさ。
あれと似たようなもんだ。
結局やっぱり基本は、靴を脱ぐ、で椅子はあくまでも外でちょっと腰かけるものだったに違いない。

遊牧民の胡床ってのも、折り畳み式の腰かけだったらしいから、外でちょっと腰かけるたぐいのものだったんじゃないかしら。
だって、家具ってほとんど木で作られるでしょ。
遊牧民は木の少ない所に住んでるから、木製品はとても貴重だったはずだ。
だからどうしても主流は毛の絨毯になるはずで、椅子はほんとに簡単なものか、あるいは偉い人や裕福な人が用いるものだったのではないだろうか。

そうそう、履物を脱ぐ文化において、偉い人と椅子の関係はとても深いように思うのだ。
敷物の上に、みんなで車座になって座るということは、目線がみな同じになるから、連帯意識を生む。
アラブ人の強い連帯意識って、車座文化が育んだものだとある本に書いてあった。
でも、そのグループに一人の偉い人、例えば王様が現れたとするでしょ。
すると王様は、みんなとの違いを示すために、みんなより一段高い所に座るわけよ。
それが椅子の始まりだったりして。
王様が偉くなればなるほど、椅子の座は高くなり、背もたれや肘掛けがついたり、華美な装飾が施されたりするのだろうが、座面は多少広くなってもあくまでも1人用なので、2人も3人も座れるほど広くはならない。
あくまでもそれは椅子であって、ベンチではないのだ。
こういう習慣はすぐに広まるだろうし、偉くなれば高い所に上りたいという習性はガキンチョでも持ってるから、同時多発的に出てきたものかもしれない。

履物を脱ぐ文化において、椅子は偉い人のものということがはっきりしているのは、昔の日本だ。
こないだ漫画の『陰陽師』(岡野玲子作、夢枕獏原作、スコラ社刊。お薦めです!)を読んでたら、7巻の巻末に宮中歌合わせの図が出ていたので、興味深くそれをよく見てみた。
すると、殿上人はそれぞれ位によって座る場所が決められていて、板の間に一人用の畳を敷いて座っているんだけど、真ん中の御簾の中には天皇が一人だけ畳の上に椅子を置き、その上に座っているのだ。
きっとその頃だと、椅子に座れる人なんて、天皇一家か、チョー偉い坊さんくらいなものなんじゃないかな。
まあ、残っている絵や彫刻を見た限りの推測だけど。

ちなみにあぐらという言葉は、あぐらという腰かけに座ることから来てるらしいが、その腰かけに座るとき、両ひざを広げ、足首を交差させて座ったので、平たい場所でもそうやって座るのをあぐらと呼ぶようになったらしい。
この椅子の座り方はまさしく、胡と呼ばれる遊牧民族特有の座り方で、貴人を描いた壁画や仏像彫刻にそれが残っている。
仏像のほうは交脚菩薩と呼ばれて、結構有名である。
あぐらを胡坐と書くのもうなずける。
そして、それが日本で埴輪時代からあったということは、日本史の騎馬民族征服論と結びつくようで面白い。

ところで、偉くなると上に上りたがるという習性は万国共通ではない。
ボリビアのラパスという所は、盆地の一番低い所に偉い人やお金持ちが住んでいて、貧しい人ほど上の方に住んでるのだそうだ。
ラパスは海抜約3800m。
偉い人はより低い、空気の濃い所に住むんだって。
常識はいつでも通用するわけではない。
ああ、この世界もやっぱり奥が深い...


戻る (C) Copyright 1999 K.Mizutani.All rights reserved. メール