きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


如月の望月


4月3日(土) 晴時々曇り(桜満開!)

ウチのトイレには陰暦(旧暦)のカレンダーが掛けてある。
月の満ち欠けと陰暦の暦が入っているやつだ。
何故トイレに掛けたかというと、用を足してるときなんとなく暇で、そんなとき今日の月は?とか、あっ、今日は二十四節気の啓蟄だとか、確認してるだけで暇がつぶれるから。
おとといは陰暦の2月15日=如月の望月=仏滅、つまり仏様の亡くなった命日である。

今年は陰暦の正月が2月16日だったので今ごろ如月なんだけど、「願わくは、花の下にて春死なむ、その如月の望月の頃(だったかな、ちょっといい加減 f(^^; )」と西行法師が歌ったとおりの季節になっている。
私も仏様と同じように、如月の望月の頃、桜の花の下で死にたいと、西行法師は思ったらしいが、本当に仏様の命日が桜の季節だったかどうかはわからない(それはそうと4月8日の仏様の誕生会を花祭りというのは新暦になってからのことなのかしらん?旧暦じゃ合わないよね)。
そもそも、インドじゃ暦が違うだろうし、季節だって違う。
桜どころか、春もないもんね。

閑話休題

春、桜の花、満月...
これらには人を酔わせる不思議な力がある。
人々は春になると、なんとなく浮かれ気分で、桜の下でドンチャン騒ぎしたりする。
月見の季節は本来秋だけど、春の月もなかなかふわふわと気分の良いものだ。
そしてそれらは酔わせるだけでなく、狂気すら感じさせるものでもある。
桜の花にはその下に死体が埋まってるなんてお話があるし、西洋的には月に狂気は付き物だし、なにより春になると、途端に変な人が出没しだす。
春、花、月が人にもたらす影響は、それらが放つ膨大なエネルギーのせいなのかも、と最近思う。
月のパワーは穏やかで、それほど暴力的なものは感じないけど、一斉に芽吹く春、一斉に花をつける桜には、暴力的で圧倒されそうな程のエネルギーを感じてしまう。
私なんかは元気がないから、そのエネルギーを貰うよりも先に圧倒されちゃって、つまり自分の隣に大助花子の花子さんとかがいて、ワーワー騒いでるような状況で、へなへなと疲れておとなしくしている。
花粉症や肌荒れなんかは、へなへな状態の症状だ。
もうちょっと穏やかにやってよね、と言いたいところだが、季節は昔と同じようにやっているだけで、私の方が元気がなさ過ぎるのだ。

人間にとっても、きっと春は冬にため込んだエネルギーを爆発させる季節なのだろう。
お祭りの時には皆が皆、踊り狂うように。
そうして祭の踊りの後に、カタルシスを得て、また普通の生活を正常に続けられるように。
きっとそれが自然の摂理というものなのだ。
エネルギーが足りなくて、踊れない私はいつのまにか、体の中の暦や時計が狂い出し、体のリズムが狂い出し、どこかが壊れたまま生きている。
それが今の私。
子供ができないのもそんなところに理由があるのかな...

如月の望月より2日後の今日は立待ちの月。
古来より月を愛でた日本人は、十七夜にもこんな素敵な名前をつけた。
私も月を眺め、穏やかな月のエネルギーを貰って、月のリズムを取り戻したい。
いつか、もっと自然な心と体で生きられるように...


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