きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


きんとさん


11月11日(水) 曇り後晴

「きんとさん」というのは私のあだ名である。
中学の時、「金魚」というあだ名がついて、それが時を経ると共に「きんと」に変化したのだ。
高校時代の友達は今でも私のことを「きんと」と呼ぶ。
大学時代の友達はちょっと丁寧に「きんとさん」と呼ぶ。
変わったあだ名なので、初めて聞く人は必ず由来などを聞いてくる。
それで、自分のあだ名を説明するのが面倒だったので、大学ではごく親しい人にしか知らせなかった。
そして、社会人になってからは、このあだ名で呼ばれることは全くなくなった。
でも、あだ名って今になってみると結構貴重なものなのだ。

女性は婿を取る場合を除いて、結婚すると姓が変わる。
だから、姓で呼ばれていると、結婚後はその呼び名も変えなければならない。
でも名前って、その人のイメージと強く結びついていればいるほど、そう簡単には変えられないものだ。
私は向こうが嫌と言わない限り、結婚した友人でも旧姓で呼び続けているし、友人たちも私を旧姓で呼ぶ。
こんなときあだ名があると、結婚するしないに関わらず、何のわだかまりもなく、ずっとその名前で呼び続けられるので便利だ。

そして、女性が子供と関わりを持ち始めると、名称が「お姉さん」から一気に「おばさん」へと変化する。
この落差はどうしようもなく大きい。
まだまだ若いつもりだから「おばさん」と呼ばれると、奈落の底に突き落とされたくらいショックを感じたりする。
自分が子持ちならまだ諦めもつくが、自分が子持ちでなくても、友人に子供がいるとそれだけで「おばさん」と呼ばれる運命からは逃れられなくなる。
子供にしてみたら、お母さんのお知り合いはみな「おばさん」で、結婚してなくても、子供がいなくても関係ない。
いちいち「おばさん」と呼んでいいか、「お姉さん」と呼ぶべきかお伺いをたててはくれないのだ。
そういう事に敏感な人ならば、気を使って子供に「お姉ちゃん」と呼びなさいとか言ってくれる。
だが、もはや自分が「おばちゃん」と呼ばれるのに慣れきっている人は、子供に自分の友人を指して「おばちゃんに…しなさい」と言ってしまう。
もう「お姉さん」て歳でもないし、それも仕方ないかと思うから文句は言わないけど、でもやっぱり、そりゃないよーって感じ。
挙げ句の果てに自分からその子に「おばちゃんが…してあげる」とか言っちゃって、心の中でトホホと泣いてたりする。

こんなトホホ状態をあだ名で回避できるなんて思っても見なかった。
私の大学時代の友達たちは、自分の子供に私のことを「きんとさん」と覚え込ませたのだ。
「お姉ちゃん」でもなく「おばちゃん」でもなく「きんとさん」。
年端も行かぬ小さい子供が回らぬ舌で一生懸命、「きんとさん」と呼んでくれた時は感激してとろけてしまいそうだった。
私の人格そのままをその子に認めてもらえたような気さえして、友達に心から感謝したものだ。
その子は私のことを私の友達と同様に、一生「きんとさん」として、認識してくれる。
それがどんなに嬉しいことか、呼ばれて初めて気がついたのだ。
ああ、あだ名があってよかった!!
こんなことなら、面倒がらずに他の全ての友人にも私のあだ名を知らしめて、その子供たちにもそう呼んでもらえるようにすればよかった…。

時々、その友達の家に遊びに行く。
友達は「きんとさんが来たよー」と子供たちに言う。
すると子供たちは「きんとさーん、こんにちはー」と笑顔を見せてくれる。
ああ、無上の喜び!!
それが、友達の家に遊びに行く時の、私の密かな楽しみ。
今度また遊びに行くんだけど、久し振りだから忘れられてるかもしれない。
その時はまた友達と一緒になって、「きんとさん」と呼ぶのよ!と、覚え込ませる。
あの子たちにとって、「きんとさん」という不思議な名前を持つ私が特別な存在になれれば、更に喜ばしいことなんだけど…。

ところで、そもそもなんで「金魚」なんてあだ名がついたかって?
大抵の人は、私が目が大きくて金魚そのものに似てるからと思ってるけど、真相は違います。
実は中学の音楽の先生に「金魚」と呼ばれてた先生がいて、その似顔絵が音楽室の机に描かれてて、その絵が私に似てたから。
どーでもいいようなたいした由来じゃないねって?
もぉー、それだから、説明するのが面倒なんですってば!!


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