きんとさんのお気楽ゴクラク日記

K.水谷


私の事情


11月4日(水) 曇り後晴

この間、アニメ『エヴァンゲリオン』と『彼氏彼女の事情』の制作会社ガイナックスのHPを見にいった。
そしたらね、庵野さんと現役高校生の座談会のコーナーがあって、ぬわんと、その中に私の母校が出てたのですよ。
うひゃー、びっくりー。
でも、なんだか嬉しくって、ニヤニヤしちゃった。
私の在籍していたハンドボール部の子も、座談会の中にいたし。
アニメ界の今をときめく庵野さんの訪問を受けたなんて、名誉なことですよ、ほんとに。
もう我が事のように喜んでました。

それでちょっと、高校時代のことを思い出したりしてた。
私の高校時代は庵野さんと同じく、はるか昔、約20年前。
私の高校は川崎の奥の方のド田舎にあって(川崎にも田舎はあるのよ)、のんびりした学校だった。
ランクは中の上くらい。
落ちこぼれでもなく、進学に必死になるでもなく、明るくのびのびした生徒が集まり、ゆとりある高校生活を送っていた。
そのお陰かどうか知らないが、ずいぶん個性的な友達に出会えた。
私の精神的な自立はあの高校時代になされ、その友人たちに支えられたものだった。

子供の頃、私は「皆と同じ」ということを異常に気にする子供だった。
他の子とどこか違う所があると、不安でしょうがない。
皆と同じような服を着て、皆と同じような顔をして、皆と同じような事をしてなければ気が済まなかった。
大体、子供なんて皆同じであるわけがない。
個性的なのが当たり前なのに、不思議と他の子供たちは皆同じに見えた。
皆はうまくやってるのに、どうして私は同じようにならないのだろうと思っていた。
それで、不安がって泣いてばっかり、泣く子はいじめられて、暗い子供時代だった。

日本の教育は十把一絡げ、個性なんて認めてなかったもんなぁ。
大きくなるにつれて、個性というものが段々認識されてくると、ようやく私の心は落ち着いてきた。
「他人と違ってもいいんだ」と思ってね。
それから、どんどん自分の内面的な世界が広がった。
それがちょうど高校生の頃。
我が道を行くタイプの友人と出会ったことにも助けられた。
彼女たちがあれでいいなら、私もこれでいいんだと思えるようになってね。
お互い共通の話題があってもなくても、趣味が合っても違ってても、仲いい友達ってのが心地よかった。
その子たちとは、たまにしか会わないけど、今でもいい友達だ。
みんな全然変わらないし。

かくして、高校時代、私の趣味は確立する。
シルクロードおたくになったのもその頃だ。
ノートの隅にイラスト書いたり、詩を書いたり、お話のプロットなんかも作ってた。
漫画もいっぱい読んだ。
漫画好きの子がいっぱいいて、単行本を貸してくれた。
「LaLa」とか「花ゆめ」とかよく読んでたな(そういや『彼氏彼女の事情』もLaLaに連載されてんだっけ)。
LaLaは面白かったけど、社会人になってから、対象年齢が下がったような気がして読むのをやめてしまった。
対象年齢が下がったというより、次の世代に合ったものに変わってったからなんだろうけど。
アニメはなんといっても、ガンダム!!
シャア少佐が大好きだったのよ、私。
私たちの世代のアニメ好きの金字塔です、あれは。

恋愛沙汰はあんまりなかったな。
片思いで満足してるようなとこあったし。
友人たちもそっち方面はあまり得意ではなかったみたい。
どっちかというと、June(今でいうとやおい系ですか)話で盛り上がる方が多かった。
でも、クラスの子たちはお盛んだったなぁ。
今みたいにカレシとかカノジョなんて言い方はまだなくって、「付き合ってる」という言い方が特別な意味を持っていた。
こないだ『かれかの』見てたら、まだ「付き合う」という単語を使ってて、まだ通用するのかぁなんて感心した。

今の私、20年経って、趣味もほとんど変わらないし、精神構造もたいして変わってない。
進歩がないと嘆くべきか、若さを保っていると誇るべきか…。


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