大宮ましろのラグナロク日記回想その1


自分の日記を読み返しながら、当時の回想、現在からみたあの頃、
今だから言えるあんなこと、みたいなことを書きなぐってみました。

そんな書き方なので、当時の日記を読んでいない人はおいてけぼりです。
当時の日記を読み返さないと意味不明な場合もあるでしょうし、
そもそも当事者じゃない人が読んで楽しいのかどうかも不明です。
まあ自己満足的な回想録ということにしておいてくださいな。



とりあえず、第一段として、第一部を回想してみました。
当時はまだβ1。
一次職しかいませんでしたし、ゲームバランスも今とは全然違った、そんな時代です。

それでは、しばらくお付き合いくださいな〜。



2002年4月某日、大宮ましろはirisプロンテラ大聖堂にて生を受けました。
生まれたときから、13歳。

irisを選んだのは、ただ単に(New!)印がついていたためで、
それ以外に特に意味はありません。
というか、ワールドという概念がそもそもよくわかっていませんでした。

当然ながらノービスで、修練場を通るうちに数レベル上がっていたような気がします。
初めてのキャラなので、ステータスは適当。



1日目の日記で、既にリボンをつけています。
プロンテラ南で配っている人からもらったもので、以降愛用の品となります。
リボンくれた人の名前を覚えていないのが、今となっては残念です。

また日記には書いていませんが、初めて出したやわ毛は、ファブルと同士討ちで
自分も死んだため、拾うことができませんでした。
当時のやわ毛は、今と違って滅多に出るものでもなく、高価なものでした。
みな、ノビの頃はやわ毛を売って装備を整えていたものです。
その頃はやわ毛の価値もよく知らなかったのですが、
妙に悔しかったのでいまだに覚えています。



2日目、早くも大聖堂でアコライトに転職しています。
盛大にお祝いしてもらい、さらに武器までもらっています私。
この時お祝いしてくれた人達とは、アジト仲間として
現在にいたるまで交流させていただいています。
この後しばらく、私は大聖堂に入り浸ることになります。

1日目、2日目と武器防具などをもらいまくってますね私。
現在ではあまり見かけなくなりましたが、β1のラグナロクは
くださいチャットもあげますチャットも普通に立てられていて、
またそれが今のように煙たがられずに成り立っていました。
それがきっかけで会話が弾んだりしましたし、なんていうか平和だったんでしょうか。



3日目、固定PTに初参加。
β1当時はギルドという機能がなく、プレイヤー達はPT機能を使って
ギルドもどきを結成していました。
じゃあ今で言うPTは昔はどうしていたのかと言うと…。
そんなものはなかったりして。

昔は公平分配PTじゃなくてもみんなで遊べましたし、
それがゆえにレベル差なんていうものも気にせずにすみました。
正直、あの頃に戻りたいと、今でも思います。



4日目、ダンジョンに初めて行った日。
ダンジョンの雰囲気も、当時は今とはかなり違いました。
前述の通り、現在のPTに相当するものがなかったために、みーんなソロ。
すると、PT会話などなく、オープン会話が使われます。
自然と、ダンジョン内は賑やかになっていくのでした。
今だと、オークダンジョンの入り口付近とかが、
かろうじてダンジョン内で雑談の弾むポイントでしょうか…?



5日目
大聖堂で、ともさんがありすちゃんに告白した日。
実は、落としたうさみみを通りすがりの外人に拾われたりしてるんですが、
結局その外人さん、うさみみ返してくれました。
今考えるととってもいい外人さんなのですが、その時は相互理解はできませんでした。
えう。



7日目
同名のましろさんと、初遭遇。
β2初期までは時々会っていたけど、最近どうしているのかなあ…?

みんなどこへ行った〜
見守られることもなく〜♪

あと、この頃にIntアコになる決意を固めています。



14日目、ようやくヒールのレベルが10に。
この頃は、みんなとツアー尽くしです。
初めて行くダンジョンばっかりで、楽しいひとときでした。
Intしか上げていなかった私は、この頃からみそっかすの名を欲しいままにします。
SSには、懐かしい顔も沢山。



15日目、ざっく先輩の4桁ヒールを目撃、感動する。
以降、ざっく先輩に追いつけ追いこせが命題に。



17日目、大聖堂に変な人が居着く。
これをきっかけに現アジト仲間は、古巣大聖堂を離れ、某所にアジトを構えました。
一時期ほうぼうの掲示板で話題になっていた変な人、今はどうしているのかなぁ。



18日目、はじめてアイテムの無料配布を。
日記には書いていませんが、実は仲間内での大聖堂放棄の
話題に疲れたため、気分転換でした。
現在もそうですが、日記にネガティブなことは極力書かないようにしています。
が、当然、人と人のつきあいですから疲れたりすることも多々あるわけでして(汗



20日目、GMのMemberXさんの声をはじめて聞く。
これがはじめてのGMメッセージ。
私は、ひゃっくたんを知らない世代です。



21日目
晴子28歳さんと初遭遇。
VNIとして結構有名な方…と知ったのは、後のことだったり。
当時VNIと言えば、ちゆ12歳さんと、そのパロディである
ちよ74歳さんくらいしか知らなかったもので。

この遭遇は、私の日記のアクセス数が増えるきっかけであり、
私が日記サイトの管理人であるということが周囲に知られるきっかけであり、
そして私がVNIと言われるようになったきっかけでもあり。
人生の転機というやつかも。


ついでだから話しておきますと、私は自分がVNIだとは思っていません。
だって普通の日記ですし、このサイト。
VNIと言われるようになる前もなった後も、更新内容変えていませんし。

一部の人達が私の事をVNIと思っているのは、おそらくいくつかの理由があります。
私自身が「ましろん13歳」と名乗ることがあること。
一時期ふざけて「なんちゃってVNI」と名乗ったこと。
なんちゃっては否定語であり、VNIじゃないよと主張していたつもりだったんですけど、
まぎらわしかったようで(汗

また、ありがたくも他のVNIさん達からリンクを頂いていること。
私自身が微妙なせいで、RO系VNIカテゴリに入っていたり、
ゲーム系VNIに入っていたり、非VNIのRO日記サイトに入っていたりすることが
混乱に拍車をかけていますね(汗

最後の理由が、VNIのイベントに一度ゲストとして参加したこと、
…えー、後にも書きますが、個人的には顔から火が出るほど恥ずかしい思い出なので、
そっとしておいてくださいオネガイシマス。
念のため言い添えておきますが、晴子さんと、旧浅上談話室・改の蒼香さん以外には、
イベント以外ではほとんど会ったことありません。
ちなみに蒼香さんとは、一時期固定PT組んでいた仲です。
というか気づいたらVNIになっていてびっくりですよ!(笑



28日目、はじめての結婚式。
夢見る女の子だったましろんは、結婚式に出られて大満足でした。
ゆーちんがブーケを取ったのもいい思い出。
最近、結婚式とかって全然聞かなくなりましたけど、開かれてるんでしょうかねぇ…?



今から読み返してみると、なぜか31日目が2つあったりしますね。
…気にしないでください、ええ。



35日目、4桁ヒール達成の日。
当時、Intアコは4桁ヒールができて初めて一人前でしたので、感慨もひとしおでした。
β2では4桁ヒールは珍しくなくなりましたが、
当時は狩りに使っているだけで注目されました。
Int偏重の4桁ヒーラーは数が少なかったですし、高レベル殴り型の4桁ヒーラーは
狩りにヒール使っていませんでしたので、目にする機会が少なかったせいかと。

せっかくだから、ここでアコライトの流行のタイプについても言及しておきましょう。
β1当時、アコライトと言えばVitアコでした。
DP、アンゼルスなど防御に有効なスキルがあり、ヒールもあるアコライトは、
Vitを上げることによって容易に永久機関と化しました。

ソロが前提の当時の世界では、Intアコなど完全に趣味の世界。
Intアコは、殴りマジ、スパノビなどと共に奇異の目で見られ、
そして同時に尊敬される存在でした。

そんな価値観が崩壊したのは、β2の新たなゲームバランス、
そして同時にあったステータス再分配でした。
β1時Vit型でレベルをがしがし上げた人々が、みんなInt型に転向してしまったのです。
転向者達には罪はないんですが、希少さ故に目指したInt型がこんな形で
ごくありふれたものになってしまったことは、やっぱり悲しかったです。
あの頃知り合ったInt型アコライト達は、今どこで何をしているのでしょうか…。

ここまで書いてふと気づきましたが、Intアコと同じくらい不遇の道をたどったのが
ポータルアコライト、通称ポタコさんでしょうか。
彼らも希少種で、かつ便利な能力持ちだったために皆のあこがれの職の一つでしたが、
β2以降は一般的になりすぎて、ポタコという名前そのものがなくなってしまうことに。
そーいえばざっく先輩は、Intポタコでしたっけ…。



36日目、晴子さんと、名雪さんコンビをちぇっくいっと。
今でこそ名雪17歳さんと名雪6歳さんと区別つきますが、
当時は正直、何がなにやらさっぱりだったりして。

あと、このへんの日記読んでいて思ったんですが、
当時は狩りの最中でもたまたま隣にいた人と、毎日のように話していたっけなぁ。
β2では雰囲気が全くかわっちゃって、私も周囲の人も黙々と狩り。
殺伐としていて、ちょっと悲しいかなあ?



37日目、ちょっぴり黒い横殴り対処法が日記に。
今と違ってβ1の頃は外人が多く、HEAL MEと横殴り、というのが日常でした。

β1の頃は私、横殴りということをほとんどされませんでした。
基本的にヒールで瞬殺なので、横から悠長に叩く前に敵はいなくなっちゃいますから。



うぐ、39日目も2つある…。



40日目、ましろん、4桁辻ヒールで遊ぶ。
間違って敵にヒールして、一生懸命叩いているゾンビを瞬殺しちゃった時は、
本気で逃げだしましたごめんなさい。



44日目、古木の露ネタが初登場。
これ以降β1終了まで、私はみんなに古木の露を渡されるようになります。
頼んでもいないのに、何で数千個も集まるんでしょう?(汗
ここまで日記には書いていませんが、当時から今に至るまで、集めていたのは
お茶こと緑ポーションでした。

ここらへんの日記、SSあとでアップすると言ってる部分がいっぱいありますね…。
ごめんなさい今となってはもう無理です(汗



45日目、モンスターが街に襲撃してきた!
えーと、ラグで全く動けなかったのが印象的でした。
というか、みーてーるーだーけー、で強制切断の連続。

β1時のラグというのは現在の比ではなく、数分動けないとか
そういうのがざらにある時代でした。
サーバーダウンして、何日も復帰しないとか。

フェイヨンダンジョンが生きているのに
フェイヨンの街が落ちているなんてこともあって、
そういうときは中はお祭り状態でした。
当時はダンジョン内行きのポータルが出せましたので、
ポタコさんもうっはうは。

ログイン/キャラセレサーバーが落ちたときは、サバイバルラグナロクと化しましたね。
「/w」コマンドを使うたびに減っていく人数。
ピラ4にずーっといて、人が減ってきたなーと思って「/w」をしてみたら100人しか
ログインできていなかった、なんてこともありました。
そーゆーときもお祭りですよーへっへっへ。



48日目、某イベント。
大失敗の連続とゆーか。
今から思い出しても顔が赤くなります。
そっとしておいてください。



55日目、PT機能が微妙に壊れる。
現在に至るまで、PT機能の不調は深刻な問題です。
この頃、その片鱗が見え始めたということでしょうか。



57日目、チャーミーましろと言われる。
これ以降、名前を間違えて読まれていることがあまりにも多くてびっくり。
…そんなに読みづらいですか?



…この後の日記は、しばらくダンジョン探索記みたいな感じですねえ我ながら。
せっかくだから、ここらへんでβ1の頃のダンジョンを振り返ってみましょうか。

フェイヨンダンジョン。
ゾンビと今は亡きスケレートンがいた1Fは、低レベルキャラクターの美味しい狩場で、
人があふれていて常時芋を転がすような状態でした。
2Fは2Fで、ソルスケやアチャスケを目当てに、人でごった返していました。
3Fはムナックがいてやっぱり人で以下略。
一言で言うと、人気ダンジョンでしたねえ。

沈没船。
ただひたすらにモンハウができる、脅威のダンジョンでした。
β2では鬼のような湧きはなくなったものの、
青箱や経験値ねらいでそこそこ賑やかでした。
課金後は…。
か、閑散と…(泣

プロンテラ北迷いの森。
ここも、モンハウのメッカでした。
しかも、出てくるモンスターは最強級のものばかりで。
ここへの特攻は、たのしいいいいいいいいい!!!の一言でしたね。
β2以降は部屋ごとに特定の敵がちょろちょろ湧くのみとなってしまい、
レベル上げの場というかなんというか…。

ピラミッド。
当時はまだ地下がなかったんですけど。
2Fにいきなりイシスがいたりしてね…。
それはそれは大変なところだったんですよ…?
イシスなんて、プリーストジョブ50になった今でもソロでは倒せません。

思い入れのあるダンジョンといったら、こんな感じですかねぇ。
あぁ、またプロ北でモンハウ清掃したいな〜。
人工モンハウという悪魔のささやきが今、私の頭の中に。



ちょっと飛ばして、72日目
1260ヒール達成。
当時のムナックのHPが1250だったんで、一撃です。
ここまでくるとIntアコとしては一人前で、
フェイヨン3Fを歩くことができるようになるのでした。

ただ、SPの関係でどっちにしろソロで常時いるのは不可能で、
周りの人達に話し掛け、SP回復の間守ってもらうということは
どこのダンジョンでも必須でした。
社交的じゃないとIntアコはやっていけない時代でした。


同時にこの頃、2ndキャラでもぼちぼち遊ぶようになってきています。



75日目
らぶひゃっくたん主催の、ひゃっくたんお誕生日会があった日。
今思い返すだけでも、1歩も歩けないほどの重さ、いるはずの人が見えない怪異など、
明らかにサーバーを超えた負担で、凄まじいことになっていました。
当然、当時主催には抗議が殺到したんですが…。
実は私は、あれはあれで楽しかったからいいんじゃないかなーと思っていたり。



83日目
A to AのMireeさん主催の、クエストイベントがあった日です。

…えーと、白状しますと私、イベントの趣旨、終了までよくわかっていなかったり。
種明かしの段階になって、ようやくどういうイベントなのか理解したましろんでした。
ああ、もう1回ないかなぁ、AtoAさんのイベント。
…やっぱり無理ですか?(汗



89日目、うさみみの日。
長らく失踪していた交換NPCが、復活した日です。
うさみみセットを持ってる多くの人がカプラ前に
集まっちゃって、すごいことになっていました。

この日、重力流のジョークを期待していたんですけどねぇ。
結局ふつーに実装されちゃいました〜。



90日目、うまーの日。
馬にソロで挑んで死んでます。
ちなみに、今でも倒せません馬。
ふっ、Int型なんてこんなもの…。



100日目
ついに100日、とうとう100日。
ステータスみると、イヤリング*2が燦然と輝いていますねぇ。
今では望むべくもないレアアイテムです(泣

まあ我ながらよく100日も書いたな〜とかこの頃は思っていました。
もうやめようと思っていました。
それが、365日も続くなんてっ。



…というわけで、回想その2へと続きます。



戻りますね。