無音航行中につき



「ウィナ、あなたならできるわ。」

「・・・はい!」
副官からかけられた言葉に、辛うじてそれだけ答えることが出来た。

副官が艦橋を後にすると、じわじわと不安と重圧が押し寄せてくる。
調音主任を勤めて来たという自負はある。
しかし、アナトレー、デュシス双方の運命が自分の耳に懸かっているというのだ。

その後は、職務に集中することが出来なかった。

当直を交代すると、まっすぐに自室へと戻った。
自室に戻っても落ち着くことが出来ない。

「これは、レインバードの羽の音。」

「これは、アルヴィスのぬいぐるみの鳴き声。」

ヘッドホンを耳に押し当て、今まで貯めこんできたさまざまな音を繰り返し確認する。
そして、何度も何度もエグザイルの駆動音に耳をそばだてる。
そんなことをひたすら繰り返す。

集中できない。
調音は、精神状態及び体調に大きく左右される。
どちらかが欠けるだけで、格段に精度が落ちてしまう。

今の私にはどちらも欠けているような気がする。

「ふうっ」
部屋に戻ってからの、何度目かのため息が口をついて出る。
こんなことでは、エグザイルの駆動音を捕らえることなど出来そうにない。

「ゴトッ!」
ヘッドフォンを少々乱暴にデスクへと放り投げる。

気分転換でもしよう。
そう考えた彼女は、自室を後にした。

とはいえ、これといって行くアテがあるわけでもない。
艦橋と自室の往復以外にどこかに寄るということはほとんどなかった。

今は、グランドストリームが近いため船外に出ることは出来ない。
出たら一瞬にして飛ばされてしまう。

"どこへ行こうかな?"。
なんとなくある少年の顔が浮かんだ。
彼はどこにいるのだろうか。

浮かんだのは、クラウス・ヴァルカ。
アルヴィスを連れてやって来た彼は、今やシルヴァーナには無くてはならない存在。
軍艦にあっても流されることの無い自由な翼の持ち主。

ハミルカル・ヴァルカの息子ということは、ウィナも知っている。
だから興味があるという訳ではない。

普段、穏やかで眠そうにも見える彼は、いざとなるとどんな無茶なことも平気でやりとげてしまいそうな・・・。
そんな感じがする。

そしてとても優しい。
誰に対しても・・・。

ああ・・でも・・・、ここのところ艦長とはいつも喧嘩腰。
ディーオ君の言動には未だに苦慮している・・・。
彼にも、多少の例外はあるだろう。

ラヴィ、アルヴィス、タチアナ・・・、彼女達は、彼のどんなところに惹かれるのだろう?



ウィナは気づかないうちに、格納庫へと足を踏み入れていた。

「めずらしいお客さんだな・・・。」
ウィナを不思議そうに迎えるメカニック達。

だが、考えに没頭しているウィナの耳には届かなかった。



皇帝・・・副官もシルヴァーナを離れる前夜、二人だけで会っていたようだし・・・。
ソフィアさんも振り向かない人よりも、彼の方がいいのかな・・・。

艦橋に顔を出すことの少ないクラウスと顔を合わせることは少ない。
それでも、会えば笑顔で声をかけてくれた。

「・・・」
ほのかに熱を帯びるウィナの頬。

・・・私はいったい何を考えているのだろう・・・。
不意に我に返り、自問自答するウィナ。
いっそう深みにはまり込んだ思考に、足元への注意がおろそかになり・・・。

「ウィナさん危ない!」
突然かけられる思い人からの声。

「え?」
自分が格納庫に来ていたことに気が付く。

ガッ!
「きゃっ!」

クラウスの注意も間に合わず、足元の機材に躓くウィナ。
助けに入ろうとするクラウス。

ウィナはとっさに駆け寄るクラウスにしがみついた。



なんとか転倒は免れることができたようだ。
だが、二人には身長差があるため、ウィナがクラウスを抱きしめるような格好になってしまった。

突然のことで身動きが取れなくなるクラウス。

「また先生かよ・・・。」
「よくやりますね〜。」
「ほんとに・・・。」
あきれるメカニック達。


抱きしめられている本人はそれどころではない。

バランスを崩したウィナさんを助けようとしたはずだったのだが、何故か彼女の胸に抱かれている。
優しく、落ち着く香に包まれる。
心臓が早鐘を打っているのに、穏やかな気分。
目を閉じたくなる。

だが、そういうわけにもいかない。
ここは格納庫。ここは公衆の面前。
メカニック達に何を言われるか分かったものではない・・・。

「・・・あの・・・ウィナさん?」

「え・・・あ・・・ああ!?」
自分の体勢に気がついたウィナは、バランスを立て直すと慌ててクラウスからはなれる。

「あの・・・ごめんなさい・・・。」
頬が上気していくのが自分でも分かる。

「あっ・・ちがっ・・・。」

「ええと・・・ありがとう。助けてくれて・・・。」
恥ずかしさにはにかみながら礼を述べるウィナ。

"かわいい"
クラウスは、目の前の百面相状態のウィナに見とれてしまう。
思っていても言葉にしないほうがいいかもしれない。



クラウスから反応が帰ってこないことにウィナは戸惑う。

どうしたのだろうか?
怒ったのだろうか?

「クラウス君?」
小首をかしげながら控えめに問い掛けるウィナ。
さらさらとセミロングの髪が揺れる。

「・・・え・・ああ・・・別にそんな、・・・怪我がなくてよかったです。」
我に返ったクラウスがぎこちなく返事を返す。

「クラウス君?。どうかしたの?」
彼の態度に疑問をもったウィナがさらに質問を重ねる。
彼女のブラウンの瞳が心配そうにクラウスを覗き込む。

「いえ・・・大丈夫ですよ。」
はにかむウィナさんに見とれていた・・・。
そんなことを本人に面と向かって言えるはずもない。

「ど・・どうして格納庫へ来たんですか?」
話をそらすために別の質問で返すクラウス。

「え?・・・、と・・・。」
今度は、ウィナが返答に窮する。
何となくクラウスのことを考えていたら、格納庫に来ていたとは、目の前の本人には言えない。

「とりあえず・・・場所を変えましょ?」
二人に集中する視線を気にしながら、ウィナが提案する。




ウィナは、格納庫に来た理由をごまかしつつ、今抱えている悩みを打ち明けることにした。

残念ながら、悩み事を打ち明けるほど親しい間柄ではなかったと思う。
でも、彼は親身になって聞いてくれる。
そんなところが、彼の魅力の一部なのかもしれない。



「ウィナさんなら、普段通りやれば大丈夫ですよ。」
クラウスから笑顔でかけられた言葉は、なんの変哲もない言葉。

だが彼女にだけ向けられた笑顔と彼女にだけ向けられた言葉は、ウィナの心に暖かくとどいた。

「うん。ありがとう、クラウス君。」
ウィナは両手を胸に添えるような仕草をした。
そうすることで彼からもらった言葉が長く留まっていてくれるような気がした。





ゴォォォォォッーーーーーーーーーーーーーーーー。

耳に届くのは、荒れ狂う風の音。

人の囁く声。
鳥の羽ばたき。
風がさまざまな音となって幻惑する。

チラリと時計を確認する。
魚雷の効果は既に切れている・・・。

「駆動音確認できません。」

ウィナの発したその声に、艦橋内にため息がもれる。

「無音航行解除!。次のエリアに移動します。」
休むまもなく、次のエリアへの移動が指示される。

探索エリアを表すボードに×が1つ増える。
探索エリアは徐々に狭まりつつある。





シルヴァーナが減速する。
次のエリアへの移動が完了したようだ。

「本艦はこれより無音航行に入ります。」
何度目かのソフィアさんの同じ台詞が艦内に響き渡る。

ウルバヌスの魚雷残弾数は少ない。
ボードの残数は3を示している。
探索範囲すべてを網羅するだけの弾数はない。

両艦の艦橋は徐々に重苦しい雰囲気に包まれていく。

それを一番感じているのは調音員達。
中でも一番プレッシャーを感じているのは、やはり主任であるウィナだろう。

アナトレー、デュシスの未来というとてつもなく重い枷が彼女の細い両肩に圧し掛かっているのだ。


「ウルバヌスより魚雷発射確認!。」

その声にブリッジのクルーは息を飲み込み、調音員は耳に全神経を集中させる。




緊張感に包まれた艦橋とは異なり、作業中断で手持ち無沙汰なメカニックやヴァンシップ隊員達は、それなりにリラックスムードだった。
無音航行の度、ディーオの誕生会は小声で進行していた。

「ねえ。ねえ。クラウスも食べてよ。」
アルヴィスがクラウスに自分が作ったケーキを勧める。
無音航行中にもかかわらず元気一杯。

「あ・・・うん。いただくよ。」
エグザイルが発見されれば、直ぐに出撃しなければならない。
おなか一杯での出撃はしたくないので遠慮していたのだが・・・。

アルの悲しそうな顔が思い浮かんだので、少しもらうことにした。

でも、と続けるクラウス。
「ウィナさん達が調音中だからもう少し静かにしよう、アル。」

「ふーーーんだ。」
頬を膨らませて面白くなさそうなアルヴィス。

「最近、クラウス、ウィナのことばっかり。」

その言葉にラヴィが追い討ちをかける。
「そうよねーーー。この前、クラウスからウィナさんの匂いがしたものねーー。」

「・・・それは・そ・その事故で・・。」
二人からの突然の攻撃にたじろぐクラウス。
動揺して発した言葉がさらに火に油を注ぐ。

「事故!?。やっぱり何かあったのね!?」

「またかよ・・先生・・・。」
「修羅場ですねぇ・・・。」

助け舟は出そうにない。
もはやクラウスには、内なる嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないようだった。



同時刻、艦橋においてたじろぐ女性が一人。
ウィナは耳まで真っ赤になっていた。

無音航行中のため、調音員の耳には艦内の物音はほぼすべて筒抜けとなる。

「・・・主任・・・。」
クラウス達の会話を耳にしてた調音員からため息混じりの声があがる。

「・・しゅ・・集中して!」
"もうこんなときに茶化さないで!"
そう文句をつきつつも、重くのしかかった重圧がふっと掻き消えるのを感じる。
艦長や副官に、特にソフィアさんには聞かれなくてよかった・・・。

一度深呼吸して、胸に手を添える。
クラウスからもらった言葉が思い浮かぶ。

"普段通りに・・・"


スッと周りの音が遠のく。

雑音が掻き消える。


グランドストリームの荒れ狂う猛烈な風だけが耳に集まる。

ゴォォォォォッーーーーーーーーーーーーーーーー。


遠くで何かが擦れるような音が聞こえる。

風の音とは異なる規則的な音色。


徐々に近づくその音は、確信へと変わる。
"間違いないわ!"

「エグザイル駆動音確認!」
ウィナの澄んだ声音が艦橋に響く。

後は、クラウス達の仕事だ。
彼ならばきっとやり遂げるだろう。

戻ってきたら、誰よりも先に出迎えよう。
エグザイルとの距離及び方位を正確に計測しながらも、ウィナの心は別のことで一杯になっていた。

朱に染まるウィナの頬に気づく者は艦橋にはいなかった。


20話が題材。
やっとルータが直った。1月も更新してなかったのねぇ。

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