彼の名を呼ぶ



「そういえば、僕のこと、名前で呼んでくれたことないですね。」

クラウスからはよく"アリスティアさん"と声を掛ける。
しかし、アリスティアから名を呼ばれたという記憶はない。

タチアナに名前を聞き返したときに、"あなたねー!"といわれたのがせいぜいである。
あれ以来、彼を特定する言葉さえ、彼女の口からは出てはいない。

何気なく発したクラウスの一言はアリスティア嬢にはかなりの衝撃だった。
「えっ?。えっ?。そんなことは・・・。」
慌てるアリスティアさんは珍しい。
ふるふると長い三つ編みが揺れる。

クラウスから突然そんな事実を突きつけられたアリスティアは考え込んでしまった。
今までそんなことを考えたことはなかった。
確かに彼の名を読んだ記憶はない。
なんと呼べばいいのだろうか。
"クラウス君"?
"ヴァルカ君"?
"クラウス"?
さすがに呼び捨ては気が引ける。
彼も、私のことを"さん"付けで呼んでいるのだから・・・。

「あの・・・、アリスティアさん?。どうかしましたか・・・?。僕がなにか気に触ることいったりとか・・・。」

顔を上げると、クラウスが心配そうにこちらをのぞいている。
ヴァンシップに乗ればタチアナを上回るような無茶をする少年なのだが、今はなんだか雨にぬれた子犬のような雰囲気。
ふふ・・・。
自然に笑みがこぼれてしまう。
素直に話す事にしよう。

「考えていたの。あなたのことをなんて呼べばいいのか・・・。」

そんなに悩むことなのだろうかという表情をするクラウス。
女心の修行が必要です。
「クラウスでいいですよ。ラビィやアルはそう呼んでますし。メカニックの人達からもそう呼ばれてるみたいですから。」

「・・・だったら、私のことも呼び捨てにして・・・。」
言いよどむアリスティア。少しうつむき加減で、心なしか頬に赤みがさしている。彼女自身はそのことには多分気が付いていないだろう。

「いや・・・、それは・・・。」
今度は、クラウスが赤くなる。
そう来るとは思わなかった。

「・・・いや・・・?」
上目使いでクラウスを見上げる。潤んだブラウンの瞳が揺れる。
クラウスにとって、これ以上の破壊力はないであろう可愛らしさだ。

「・・いやなんてことはないです・・。むしろ・・・うれし・です。」
恥ずかしくて、声がどんどん小さくかすれていってしまう。
それでも、彼女の耳にはしっかりと届いたようだ。

「ありがとう。クラウス。」
花のようにふわりと微笑むアリスティア。
その笑顔が自分だけに向けられているということだけで、クラウスは満足だった。

「そろそろ戻りましょう?・・アッ・・アリスティア」
緊張気味になんとか呼び捨てを実践するクラウス。

「ええ。そうね。」
目を閉じて、初めて彼から呼び捨てで呼ばれた余韻に浸るアリスティア嬢であったが、呼び捨てで呼び合う二人に対してタチアナがどう反応するか少し不安になった。


アリスティアさんがクラウスの名を呼んだことがなさそうだったので書いてみた。
前の2つとは特に関連はないです。

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