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おススメ名作劇場
〜第5回「ミラノの奇蹟」〜

ミラノの奇蹟 監督…ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本…チェーザレ・ザヴァティーーニ
撮影…G・R・アルド
音楽…アレッサンドロ・チコニーニ
キャスト… エンマ・グラマティカ、フランチェスコ・ゴリサーノ
パオロ・ストッパ
1951年、イタリア映画/上映時間1時間46分




J/ この映画は1952年の作品だけれど、いくつかの特撮シーンが観られる。けれども、空を箒にまたがって飛ぶシーンではピアノ線がはっ きり見えるし、二重露光もいかにも焼き付けましたっていうのがわかるんだ。

B/ 最近の技術とは比べ物にならないわね。『ハリー・ポッターと賢者の石』の飛ぶシーンの見事なことといったら。だからってこの古い映画 がダメかというと、決してそうではなないのね。そうではないというところに、映画の魅力の本質を感じた思いがしたわ。

J/ そうそう。技術の良さがイコール映画の良さとはならない。映画はストーリーの創造性、語り口の独創性これで決まるということ。プロッ トが大事、演出が大事ということに他ならない。

B/ 豪華な俳優を使い、最新の特撮技術を盛り込み、予算を大量に使ったところでいい映画はできないということね。この映画はそれを証明し てくれたわね。

J/ この映画の構造は、実をいうと最近公開された『アメリ』と良く似ているんだね。最初のほうで簡単に主人公トトがどのようにして、善意 の人になったかっていうのが語られている。彼は捨て子でおばあさんに拾われて育てられました。そのおばあさんっていうのは、決してト トを怒らないで、彼に「人を許す」っていうことがどういうことかを教えましたって。

B/ 『アメリ』も彼女がどうして想像の世界の中で生きることになったかってことが、サーッと流されるわよね。あれと同じなのね。

J/ トトがおばあさんのお葬式をするところ綺麗だったね。ブレッソンの写真みたいで。棺が積まれた馬車をトトが後ろから付いて行く。空は 雲が重く立ち込めている。葬列にはトトひとり。トボトボと小さな黒い影がついていく。Y字型の道路に差し掛かったところで、突然警察 に追われている男が、隠蓑に利用しようと葬列に加わったりする場面があったりと、その中にも人生がある。

B/ そうなのね。宣伝カーが大きな音を出して近づいてきて、馬車の前まで来ると音を止めて通り過ぎるのを待つ。通り過ぎたらすぐにまた大 音響で音楽を鳴らし出すなんて。形だけは、弔意を表しているけれど人の悲しみなんかお構いなしみたいな、なにげないシーンに世の中っ ていうものが出ているのね。見せ方がとってもうまい。

J/ この映画の魅力とはまさにそれだね。トトが孤児院を出た後、一夜を明かした野原。そこには大勢の宿無しの人たちがトタンを風除けにし て、寝泊りしているんだけれど、その翌朝の描写なんかとくにスゴイ。

B/ 雲が低く垂れ込めた寒い朝でね、彼らは足踏みして寒さをしのいでいるの。すると、雲の切れ目からわずか一筋の日の光がさし込むのね。 いっせいにその元へ駆け出す人の群れ。みんなおしくら饅頭状態で、僅かな日光に当たっている。そうすると、そこに一足遅れて入ってき た人が弱そうな人を押しのけて、自分が入り込もうとする。どこにでもいるのだわ、こういう人が。自分さえ良ければいいみたいなの。

J/ しばらく押し合いが続いたあと、無常にも日の光は別のところへ。すると、彼はすかさず、その中に飛び込んでいき、自分だけが日の光を 独占しようとするんだね。すごく可笑しくてね。

B/ 可笑しいシーンなのだけれど、同時に人間の哀しさを感じさせるのね。自分もその集団の中のひとりのような気がしてくるの。こういうシ ーンの発想ってどうしたら思いつくのだろう。スゴイなって思う。

J/ 思いっきり戯画化されているけれど、これはヴィットリオ・デ・シーカ監督がリアリズムの映画(『自転車泥棒』『靴磨き』)を作ってい たからこそなんだろうなって思う。

B/ 観察眼の鋭さから来ているのね。案外真実はこうした戯画化された世界の中にあるのかもしれないわね。そういう意味では、この映画ファ ンタジーの形をとっているけれども、形の変わったリアリズム映画と言えるのかもしれないわね。

J/ ネオ・リアリズムの作家(イタリアで戦後起こった映画の表現形式)たちの中では、フェリーニ監督がこうした形を追求していくことにな るんだね。リアリズムを突き詰めていくと、こういう方向に向かうこともあるんだね。

B/ 逆に言えば、そこからスタートしなければ、こうした深みのある寓話は作れないってことでもあるのかもしれないわね。

J/ トトと仲間たちが協力して、掘建て小屋を立てて、広場はやがて小さな村のようになってくる。そうするとその中で商売を始める人が出て くる。誰にでも同じ事をしゃべって金を取るインチキ占い師がいたり、夕陽を見物料を取って見せるなんて商売を考える人もいる。

B/ 何にも娯楽が無いから、夕陽を見たいって人が詰め掛けて評判になったりする。それでマイ・チェアーを持ってきて入場料をケチろうって 人まで現れたりしてね。とても可笑しいわね。

J/ どんぐりの背比べ的な貧しさの中においても、自分だけ二階建ての家を建てて、人を見下ろしていい気になっている人がいたり(さっきの 自分だけ日の光の恩恵を受けようとした男なのだけれど)、女王様気取りでお手伝いさんを従えている人がいたり、バカバカしくて、可笑 しいんだけれど、笑ってばかりいられないみたいなのがあるんだね。

B/ その後石油が広場から出て、それを土地の所有者に密告して自分だけ儲けようっていう輩が出て、村は立ち退きの危機に瀕する。資本家と 持たざる者たちとの戦い。絶対絶命という時になって、この映画のタイトルでもある奇蹟が起きる。

J/ はい。その奇蹟とは…亡くなったトトのおばあさんが天使たちの目を盗んで、「トトが何かを思えば何でも望みが叶う」という不思議な鳩 を連れてくるというものだった。

B/ 「よし、これで彼らを追い払えるぞ」ってみんなで奇蹟を起こすのだけれど、それからが大変だった。大きなタンスが欲しい。ドレスが欲 しいってみんな自分勝手なことばかり言い始める。

J/ 人のいいトトはそれにいちいち答えてね。タンスが大き過ぎて家の中に入らない人が出てきてり、女王様の衣装を着た(笑)ヘンな人たちで 村が溢れかえったり。さあ、この後は一体どうなるのかっていうところは、観ていない方たちのお楽しみということで取っておくとして、 本当にこの映画を観ていると、こんなシーンの連続で、可笑しさの中に自分自身を見ているような感覚がある。

B/ この映画は本来、当時のイタリアの貧しさ、その世相を戯画化したものであるはずなのだけれど、なんかそういう普遍性みたいなのがある のね。

J/ そう、それが他のネオ・リアリズム映画とは一線を画しているところなんだ。方や歴史の記録といった観方になるのに対して、この映画は 今でもまったく違和感なく観れてしまう部分がある。この映画はカンヌで賞を取っているけれど、当時の批評はネオ・リアリズムと比較さ れて、あまり好意的ではない批評も多々あったんだね。でも今になってみると、この映画の価値はとても高い。

B/ 彼らが箒に乗って別の世界に旅立っていくのだけれど、行き先はどこにあるのかしらね。

J/ それは、もしかしたら自分たちが決してたどりつけない理想の世界かもしれないな。

B/ そう、旅立った以上いつかはたどりつけるかもしれない。この映画の最後には、そんな願いがこめられているような気がするわ。

J/ 今もその旅は続いている。逆にいえば、だからこそこの映画は古びることが決してないんだね。

B/ 確かにね。特に『アメリ』を観て気に入った方たち、昔の映画は特撮もセコいし、古臭くて観る気がしないという方たちに、この映画を 観てもらいたいな。こんな昔に、こんなに豊かな想像力を駆使した映画があったんだってわかってもらいたい。

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