J/
僕は、この映画を十数年ぶりに観て、今改めて感動しているのだけれど、SF映画がどちらかというと苦手なBettyさんとしてはどうだった。
しかも初めて観たんだったよね。
B/
いやー、素晴らしかった!難解とか言われてるみたいだけれど、決してそんなことはなかった。私なりに充分理解できたと思う。それに
もうこの映画は映像を観ているだけで、もう圧倒されるじゃない。
J/
そうなんだよね!僕はこれから初めて観る人にいいたい。まずは何も考えずに、映像の世界に身をまかせなさい。五感を働かせて、その世
界に浸ればきっと何かを感じられるはずですよって。
B/
冒頭、画面が真っ暗で前衛的な音楽が静かに鳴っている。こりゃなにかしらねぇーと思ってると、あの有名な「ツァラトゥストラはかく語
りき」の音楽が静かに始まって、やがてズズーンとお腹にくる。それと同時に太陽と木星と衛星が一列に並んで日食が起きて、タイトル
『2001:a space odyssey 』が控えめに…あれでもう背筋がゾクゾクっとしちゃって。説明するとなんか陳腐になっちゃうのが困るの
だけれど。
J/
それが、この映画なんだよね。映像を口で表現しようとすると、なんだか色褪せてしまって…もう観てもらうしかないってことになってし
まう。
B/
そして第1章の「人類の夜明け」…あまりにもこの場面をパロディにした映画があるんで、私はそちらのほうを先に観てしまったのだけれど
…例えば『珍説世界史パート1』とか(笑)…でもこの映画に関しては、比較にならなくて、観ている途中でパロディ場面を思い出すという
というような不謹慎(笑)なことは、決してなかった。
J/
人類の祖先が最初は、草食動物たちと競うように、時には並んで餌をついばんでいたのだけれど、モノリスにさわって知恵をつけて、そし
て最初の武器を発見する。「火」の発見じゃないんだね。知恵がついて最初にやることは、武器を使うことだった。それも獲物を倒すだけ
じゃない。同類の別の群れと戦争をするんだね。とてもこれが象徴的。
B/
別の個体をこれでもかっていうくらいに殴りつけて、その武器である動物の骨を誇らしげに空に放り投げると、それが同型の宇宙船に変る
というのは、あまりにも有名になっているけれど、なるほどこういうことだったのかと思った。骨から始まった人間の知恵が、宇宙に飛び出
すまでになった。その省略の妙。
J/
一気に時代が飛ぶのだけれど、なんかこれだけで人類の歴史をすべて言ってしまっているような気分になってくるんだよね。人間は有史以
前からまさに戦争をし続けてきた。相手は自然であり、ウィルスであり、人間同士であるのだけれども、戦いによってこれだけ文明を発達
させてきたっていう事実が突きつけられる。
B/
実際、飛躍的に技術が発達するのは、いつも戦争の時といってもいいほどなのね。月面着陸だって、米ソの冷戦からくる競争意識もあって、
あれだけ早い時期に達成されているのだからね。そういうところに繋がってくるのよね。
J/
この60年代っていうのは、前半はキューバ危機「13デイズ」があるし、後半には「プラハの春」があって、米ソの緊張感が高かった時
代でもあるからね。
B/
まあ、それはさておき、その宇宙船が空間を「美しき青きドナウ」のメロディーの乗って、ゆったりと漂うシーン、まぁ美しいこと、美し
いこと。私はもうずーっと鳥肌がたちっぱなしだった。
J/
優雅なんだよねー。それと宇宙ステーションの画面の切り取り方が大胆でねー。セットの技術はそりゃ現代に較べればちゃちいのかもしれ
ないけれど、構図があんまりいいんで、ものすごく大きく見えるんだね。
B/
あれは写真家だったキューブリックらしさがとてもよく出ているところだと思うわよ。絵画ではなくて、写真特有の構図なのね。対角線上
に放物線が延びて、それがきちっとシンメトリーになっているの。大胆なおかつ、画面がきっちりとそれ以上ないような完璧な構図になっ
ているのね。なぜ私がそれに気付いたかっていうと、スクリーンが今回は35ミリだったことで、歪みが出ているのね。それが完璧な構図
ゆえに逆に目立っちゃったというわけ。(ル・テアトル銀座にて鑑賞)
J/
やっぱり映画は、技術だけじゃないんだねー。当たり前のことなんだけれど、その感覚があってこそ、画面に迫力が生まれるんだね。SF
Xが発達した今改めて観ると、余計にそのことを感じるね。
B/
話を一気に飛ばして、後半の部分に入りましょう。コンピュータが狂っていくあたりは、とてもストーリー的にわかりやすいのだけれど、
再びモノリスが登場する辺りからは、もう感覚だけってなってくるのね。私はここからは本当に人それぞれの解釈があってもいいのじゃな
いかって思って、そのまま映像に身をまかせてしまいました。
J/
なんか、あの光の束がこちらに押し寄せてくる映像から、精神世界みたいなのに入っちゃったみたいな感じがするんだよね。実際あの映像
っていうのは、LSDの体験談と照らし合わせると、あまりにもよく似ているので驚いてしまう。そういう意味でもあの映像は人それぞれ
の心の世界を写し出すための道具っていってもいいかもしれない。だから身を任せるっていうのでいいんだと思うな。
B/
ちょっとその体験談とやらの例を紹介して。そこに本を用意してあるでしょう(笑)
J/
あっ、見えてた。それじゃちょっと読んでみるね。「…自然とまぶたがふさがる。すると音楽が目に見えてきた。ひとつの音が明かりで書い
たようになり、キラキラと雑色になって飛び散る。無限に大きい万華鏡のまんなかにいるようだ…そばにいる仲間の顔を見ると、小さなダ
イヤモンドが散りばめられていてピカピカと輝き、とても美しい。再び目を閉じるとまた心の奥深くへと落ちこんでいくのだ。」(『カト
マンズでLSDを一服』植草甚一著、晶文社より)というわけ。
B/
原作とは違うキューブリックのオリジナル。当時のサイケ・ブームからイメージを出しているというわけね。コンピュータのない時代によ
くもまぁ、あんな映像を作ったものよね。でもモノリスといい、この後の展開といい、あまりに抽象的で、色々な議論を呼んできたという
ことなのだけれど、私は結局は結論なんてないと思うのよね。
J/
なんか抽象的にしたことで、いつの時代にも生きてくる映画になったような気がするね。その時代時代で、意味が少しずつ変ってくるよう
なところがある。
B/
私が観た印象では、モノリスは、神のようなもの。有史以来、人間が触れてはいけない領域を象徴したものという気がしたのね。昔猿人た
ちがそれを触れたことで、智恵がついて飛躍的に人類が進歩したと。しかし同時に彼らは地球を壊しはじめた。それでまた人類は今度は生
命の根幹である遺伝子を操作するところまできたと。これは新たなモノリスを発見した瞬間ではないかと。
J/
そういう意味では確かに、今年2001年は、映画の『2001年』に追いついたのかもしれないね。この先も人類はいくつものモノリス
を追いかけていくのかもしれないけれど。
B/
おそらく、公開当時は、日本でいえば高度経済成長の真っ只中、ようやくイタイイタイ病などの訴訟が起き、公害問題が取り沙汰されはじ
めたところだったから、「人類が原爆の発明や公害で地球を破壊しているのではないか」といったところが限界だったと思う。
J/
まだオゾン層の破壊やゴミの問題がそんなに注目されていなかったはずだしね。でも、この年映画では『猿の惑星』も出てきているし、明
るい未来世界に陰りがあることがはっきりしてきた時代ではあったんだ。
B/
ただ、ここまでは見えなかったと思うわね。今の時代に観るのとは、感覚的に大きな開きがあると思う。
J/
僕は、日本で一流のSF作家が集まって対談した公開当時の記事を読んだのだけれど、彼らでさえキューブリックの意図までは理解できて
いないからね。モノリスは宇宙人が置いていったもので、原爆戦争を止めるべく何かをしなければいけないっていう原作の話から離れてい
ない。宇宙人があの終幕の部屋を作ったということをキューブリックがまったく省略してしまったことについても疑問を呈しているし。
B/
確かに、宇宙人を出しちゃったら、今ではあまりにも陳腐(笑)。原爆っていうところはやっぱりその時代のものだわね。キューバ危機が
記憶にまだ新しい頃だから。でもそれは、その時代の感覚っていうことでいいのじゃないかしら。キューブリックの意図が、時代を経ても
生き続ける映画にしたかったというところにあるのであれば、むしろそのことは、その時代にはわかりようがないのじゃないかしら。
J/
そう考えると、なんかすごい壮大な映画だよね。20世紀にこんな映画が作られたっていうのは、我々20世紀を生きてきた人にとっては
大きな誇りかもしれない。できれば、2001年にキューブリックの久しぶりのSF映画ってことで、『A.I』を観たかったな。とても
残念。21世紀がきて、今度はどんなメッセージを言いたかったのだろう。『2001年』を観て、そんなことを考えていた。
B/
『2001年』のデザインを手塚治虫ににオファーしてたってことから考えて、この映画はキューブリック版の『鉄腕アトム』だったのか
もしれないわね。でも、絵コンテまで作っていて、キューブリック自身がスピルバーグに手渡しているから、ある程度は彼の意図を感じら
れるのでは?でもなぜスピルバーグなのかしら?
J/
ある意味で彼の『未知との遭遇』は、一番『2001年宇宙の旅』に強く影響されている映画だからね。コンピュータのHALがモノリス
の影響か何かで故障して、結果ひとりの人間が選ばれ、スター・チャイルドに生まれ変わる。人類が新たな段階に達するという希望。
『未知との遭遇』でリチャード・ドレイファスが、異星人に選ばれ、宇宙船に消えていくというラストの希望。それがとてもよく似ている。
もちろん『未知との遭遇』は数倍わかりやすい映画だけれど。
B/
そう言われて見れば、ラストのUFOの光輝くイルミネーションは、『2001年』の光の束のイメージの延長線上にあると言えなくもな
い。でも、『未知との遭遇』も特別篇になると、UFOの中にまで入ってしまって、急に想像力の翼がしぼんでしまう。今の彼はそれをや
りかねない。それが心配よね。
J/
大いにありうるね。それと『A.I』って展開によっては、スピルバーグの大好きな「ピノキオ」の世界にもなりうる素材だから、全然キ
ューブリックの意図とは別物になる可能性もある。そうなったらガッカリ…
B/
まあ、『2001年宇宙の旅』の前にも後にも、『2001年宇宙の旅』はなし。っていうところなんじゃないの。私は今この映画を観て
、それがちゃんと彼の今のメッセージとして伝わってくるから、もうそれで充分って思う。これからも上映し続けるたびに、彼のメッセー
ジは新しくなっていくのじゃないかしら。そうして彼はこれからもずっと生き続けていくと思うのよね。だから私はまたいつかリバイバル
されたら、ぜひまた観にいってみたい。そんなところです。
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