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おススメ名作劇場
〜第1回「スプレンドール」〜

スプレンドール 監督…エットーレ・スコラ、
脚本…エットーレ・スコラ
撮影…ルチアーノ・トポリ、
音楽…アルマンド・トロバヨーリ
キャスト… マルチェロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージ、
マリナ・ブラディ、他
1989年、イタリア・フランス合作/上映時間1時間31分
(ワーナー・ホーム・ビデオ)



<物語>
イタリアのとある小さな町の映画館スプレンドール座はおお賑わい。どさくさにまぎれて女の子をくどいている若者、映画館主マルチェロ・ マストロヤンニの恋人に見とれている不純なおじさんもいるが、館内は熱気で溢れている。映画が大衆の最高の娯楽だった良き日々。しか し時代が経つにつれ、この映画館もご多分に漏れず寂れていく。もはや、映画はすたれてしまったのか。映画館で繰り広げられる人間模様 も楽しい、映画ファンの映画ファンよる映画ファンのための映画です。

J/ 映画監督が、映画ファンとしてその思いを綴る映画っていうのは、『アメリカの夜』とか『ニュー・シネマ・パラダイス』とか色々あるの だけれど、特にこの映画を選んだのは、映画館への思い入れがとてもストレートに出ているからなんだ。

B/ この映画は華やかさもないし、おまけに同じ年に公開された『ニュー・シネマ・パラダイス』の陰に隠れてしまって、意外に忘れられてい るかもしれないわね。でも『ニュー・シネマ・パラダイス』よりもむしろこの映画のほうが、純粋に映画が好きだという気持ちが伝わって くるので、私としてはイチオシしたいのね。

J/ 冒頭のシーンが素晴らしい。巡回映画の時代。父子がトラックにフィルムを積んで村々を回る。「今夜何時より広場で映画を上映します」 メガフォンでアナウンスして村を一周する。得意そうな子供の顔。まるで自分がスタアになったみたいな気がする。白いシーツみたいな 布を張って、スクリーンができると、気の早い子供が椅子をもって一番真ん前に陣取る。

B/ 各自が家から椅子を持参するのね。もうお祭りのような騒ぎで子供も大人も関係なく、夢中になっているのがわかるのね。最前列のほうで 子供たちが、手で犬を作って影絵遊びをしているところなんかでてきてとっても好き。この辺がエットーレ・スコラらしい。

J/ さあ、映画が始まる。屋外だから風を受けて布がヒラヒラしている。その中で映し出される映画がフリッツ・ラングの『メトロポリス』 なんだよな。これがまたいい。こんな雰囲気で観ると、映画がまた違って見えるから不思議だね。

B/ 映画の持つ夢の部分が強調される感じ。「映画が発明されて、人生が3倍になった」っていうのは『ヤンヤン夏の思い出』のなかのセリフ だけれど、本当にそんな思いがするわね。

J/ この映画の中にもそんなセリフが出てくるね。「日常とは別のものを求めて人々は集まる。映画はあの世の産物だな。それに誰でも平等だ。 映画とは嘘でなく真実として夢を見させるものだ」ってね。

B/ マッシモ・トロイージが、「僕はマルコ・ポーロよりもたくさん冒険した。シスコの町だってどこに行けばなにがあるか、ちゃんと知って いるよ」って言うのが印象的だった。

J/ 時が経って、巡回映画の子供が大きくなって、自分で映画館を持つようになる。それがマルチェロ・マストロヤンニの「スプレンドール座」 映画館はいつも満員で、そこここに熱気が溢れている。いい席を取ろうと、駆け足で館内に飛び込んでくる人たち。要領の悪い人がひとり いて、真っ先に入っていったのに、オロオロしているうちに席がなくなってしまう。

B/ 映画が幸福だった時代ね。大人も子供もないの。みんなが夢中になっている。

J/ 久しぶりに老年にさしかかろうかというおじさんが映画館に来た。以前は母親といっしょに「トト」(イタリアの喜劇王)の映画を見に来 ていたけれど、亡くなって以来遠ざかっていたという。「母を失ってはじめて孤独というものを知りました。」こんなドラマもある。

B/ それで彼が久しぶりに観た映画というのが、老人の孤独を描いた『野いちご』だったていうところが、非常にうまいのね。

J/ そうそう。それと時代の流れもスプレンドール座にかかっている映画で表現しているね。映写室でマッシモ・トロイージがスクリーンを覗 いている。それで外に出てみると、もう時代が移り変わっているみたいな感じにね。それがとてもうまい。

B/ 客席を見ると、あんなに満員だった館内に、今では、お客さんが4,5人しかいなくなっているのね。

J/ それにしてもスプレンドール座でかかっていた映画はとっても良かったね。『プレイ・タイム』『アメリカの夜』『アマルコルド』、どれ も一番いいシーンが使われていて、これは映画が好きな人ならではの趣味だなぁて思う。

B/ そうね。『アマルコルド』村の人たちが豪華客船が沖合いを通過するっていうんで、小船で海に繰り出すシーン。「ビバ・イタリア!」み んながそれぞれ色々な思いでもって歓声をあげて船を見ている。目の見えない人までが、色眼鏡をはずして必死に見ようとしている可笑し なところまできっちり写してくれている。

J/ でもいいなぁと思いながらも、この映画館こんな映画ばっかりやっていたら益々お客さん入らないだろうなぁって心配してしまう。007 とかだったら、きっともう少しは入るのだろうけれど、この映画館ときたら、次はネオ・レアリズモの特集だなんてやっているんだものね。

B/ 映画が好きで好きでしようがない映画館主にありがちな、作品の選択になってるのね。昔ある名画座の支配人さんが言ってたことを思いだ してしまったわ。「この映画そうそう見れないんだけれどなぁ。やっと上映に持ってきたのに、どうしてお客さん入らないんだろう」そり ゃあんた、気持ちはわかるけれど、マニアック過ぎるんですよ。私は心の中でつぶやいてしまった。(笑)

J/ マッシモ・トロイージは最初、映画が目的ではなくて、マストロヤンニの恋人で、映画館のマドンナ的な存在になっていた女性がお目当て で毎日映画館に通ってきていたのだけれど、そのうち段々映画が好きになっていく。映写室に入って、歳のいったおじさんに仕事を教え てもらい、いつのまにかこの映画館の映写技師になっちゃう。

B/ フィルムが途中で切れて、それを修復する作業をずいぶんと丹念に撮っていたわね。フィルムの匂い、フィルムとフィルムを繋ぐアセトン のすっぱい匂いもこちらに伝わってくるようだった。

J/ 彼は、もう映画に夢中になって、フィルムの断片を家に持って帰って、それを幻灯機にかけてひとり楽しんでいる。「イングリッド・バー グマン、誰のために鐘が鳴るのか聞かないでほしい。君のために鳴るのだ(『誰が為に鐘は鳴る』のゲイリー・クーパーになった気分で)」 なんてセリフを言っている。

B/ ある日、彼はあんまり人が入らないんで、近くのカフェにコーヒーを飲みに行く。そうすると、ブラブラしている人たちがいるから、「な んで映画に来ないんだ、カフェでゆっくりしたほうがいいのか」って言ってしまう。

J/ 「何しに映画館に行くんだ。今日はテレビで9本も映画やるんだよ。レイジング・ブル?ああいうのはテレビの予告で2場面も見ればいい や」なんて誰に聞いても話にならない。

B/ 『山猫』(1963年)を上映した時代は、週末に3000人も来たというのに、この頃は一日4回上映してお客さんが61人だって嘆い ている。「映画自体がすたれた」…『サンセット・ブルバード』グロリア・スワンソンって映画のセリフを引用して嘆いているのが寂しい。

J/ この映画を観ていると、映画館の盛衰の歴史を追体験している気分になってくるね。それとスプレンドール座の映画館主が、実際に僕が 見た今はなくなってしまった名画座の支配人たちの姿と重なって見えてくるんだ。

B/ マッシモ・トロイージが映画ファンの気持ちを代弁しているのよね。それと同時に彼はエットーレ・スコラ自身の姿なのかもしれないけ れど。

J/ いよいよ映画館が閉館になる。その時に奇跡が起こるのが嬉しいね。

B/ 「寓話はいつもハッピー・エンドさ」っていうセリフをマストロヤンニが言うのだけれど、その通りになるのね。

J/ 奇跡っていっても、あくまでも夢物語風なのがいいね。『素晴らしき哉!人生』と重ね合わせたところなんかが、とってもいい。現実では 起こり得ないこと。けれども映画くらいは、こんな奇跡もあっていいんじゃないのっていう感じがね。監督自身の映画への愛情をとっても 感じる。

B/ この映画を観ると、自宅のビデオでは味わえない、映画館で映画を観ることでしか味わえない興奮のようなものを思い出させてくれるわね。 この映画自体はもうビデオでしか見られないのだけれど、この映画を観て少しでも多くの人が、映画館で映画を観ることの喜びを発見して くれると嬉しいわね。

J/ なんか、こんなことをしゃべっている僕たちって、もうすっかり「映画の代理人」になっているようだね。

B/ 映画の中のセリフね。「あなたって映画の代理人なのね」って(笑)この映画自体が「すべての映画ファンの代理人」なのかもしれないわね。

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