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特集 名画座よ永遠なれ!!(読者からの特別寄稿)

「あの頃、昭和55年の夏…」
飯田橋ギンレイホール


By川越雄作



 高校2年だった昭和55年の夏… ギンレイでは大林宣彦の「ハウスHOUSE」と「天平の甍」の2本立てを組んでいた。 一般に「大林の商業映画デビュー作」と紹介されている「ハウス」の熱狂的信奉者だった私は その上映の行われた1週間余り、連日ギンレイに通い詰めた。

 頃は7月、高校では体育で水泳をやる時期に当たっていて、私はいつも、海パン等の入 った「プールセット入れ」のビニール手提げをブン回しながら制服でギンレイに駆けつけていた。

 学校のあった新大久保から「国電」を乗り継いで飯田橋のギンレイへ。学校を発つ時間から ギンレイ到着まで、毎日判で押したように決まっていて、着いた時には決まって「天平の甍」 の 同じシーンが上映されているところだった…鑑真和上一行が大和の里を列になって歩き、 その向こうにはどこかの寺の堂塔がそびえ立ちというシーン。(あの堂塔はきっと、今で言うCGだったと思う。 当時その言葉は 普及しておらず“合成だな”という認識しかなかったのだが。)

この作品は、確かに大作、力作で名作だが、広い画とか嵐の遭難のシーンなど“催眠系”の場面が多い上、 昼間の 水泳の疲れも手伝って、天平の船に揺られつつ文字通り「船を漕ぎ」ながら終了でホッと一息といった具合で、 これもいつしか日課となった。そしてザ・フーの曲がBGMで流れる10分の休憩を経て、待ちに待った「ハウス」 の開映――。

もうこの作品は十回以上は観ているだろうか。これより三年前の封切時(歌舞伎町の大ロケーション敢行が画期的だった、 百恵ちゃんの「泥だらけの純情」と2本立のロードショー だった)には、すでにセリフ一言一句も内容の展開も全部 そらんじてしまっていた。 それでも、列車の車窓風景が突如アニメーションで流れ出す“大林ワールド”に仰天し、池上季 美子のヌードに胸騒がせ(私が銀幕で女性の裸体を観たのは、この映画が初めてである)今やDHC な神保美喜の呟く、夏への郷愁に満ちた独白に涙する。そして、ホラーから一転、ホームムービー風なテイストに変わる エンド・クレジットの所(ゴダイゴが流れていた)で大好きなこの作品との別れにまた涙を新たにする――。 何度観ても、その日初めて観るかのように、毎回、これを繰り返したのだった。

小林亜星扮する西瓜売りのオヤジが最初訪れた少女たちに目的地を問われ「あれが、羽臼(ハウス)」 と指差し示す、そのセリフの部分だけ、録音の不調ででもあったのか、セリフが妙な響き方をする のにも気づき、しかしそれも全く気にならなくなってきた、10日目位の上映最終日・・・・・・。

「今日は入場券、買わなくていいから。」券売所の前に立った時、急に言われた。
「エ”−ッ!?」
「これやってる間、毎日来てくれてたよね?今日はサービス。タダで、いいよ。」
・・・ 困るんだよなぁー、こういうの。
「ハウス」観て絶対泣くのにさあ、映画観る前から、泣きたくないじゃん。
「天平の甍」で、居眠りできなくなっちゃうじゃん。

ギンレイにはこの後も、ずっとお世話になる。 このことから数年後、大学に入り、地方出身の悪友達(彼らは皆一様に、東京はあらゆる文化の坩堝 で、ギンレイも、その拠点の一つだと思い込んでいた。)と「レッド・ツェッペリン狂熱のライブ」 と「戦場のメリー・クリスマス」の2本立を観たのも、ここ。

最前列に陣取ったのに、興味のない 「狂熱のライブ」の間は爆睡し、終わるとパッチリ覚醒する私を友人達は「あの騒々しいツェップの 最中に、よく寝れるな・・・」と呆れ、驚いていた。  今なら、連日通い詰めても、もう誰もロハにはしてくれないだろう。券は自販機で買うしくみに、 なってしまったから。

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