J/
これは、スウェーデンの農村、白夜の夏の風景が美しく、またクラシックな味わいのある純愛映画で、かなり満足な作品だった。あんまり
話題にはなっていないけれど。
B/
ひとり者で、仕事一筋の農夫が主人公。父親が早くに亡くなり、母親とふたり暮らしだったのだけれども、もう何年も前に亡くなって、
ひとりで黙々と朝からから晩まで、働き続ける毎日なの。一日の終わりに馬を湖に連れていって、水を飲ませる。傾きながらも沈まない
太陽の光のきれいなこと。その光に包まれて、ゆったりと馬に水を浴びさせて、至福の時が流れているっていうのが、ファースト・シーン。
J/
若い友達がいて、彼が毎朝卵をとりにきている。なんで自分で売りに行かないのかと思ったら、この人文盲で、計算もよく出来ないから、
彼に頼んでいる。多少お釣りをごまかされているのがわかってはいるのだけれど、それでも彼のことを信頼している。その若者がいなかっ
たら、彼は本当に孤独になってしまうから。
B/
そんな彼だから、全然女っ気もなく40歳になってしまった。もう今更って人には思われているのだけれど、意を決して新聞に家政婦さん
の募集広告を出しに行く。年を39歳ってサバ読んで。
J/
「当方39歳の農夫です。家を片付けてくれる、若い女性を希望します。写真も同封してください。」もうミエミエ(笑)
B/
でも、一所懸命でイヤな感じはしないけれどもね。今日ちょっと眼鏡を忘れたんで、これから言うのを書き留めてって。それで照れくさ
くて仕様が無いから、早口でワーといっぺんに言っちゃうところがカワイイ。それじゃ書けませんから、もう一度始めからお願いします
って言われてね。
J/
文盲っていうのは、日本だと明治の人でもないと、そうそういなくって、その感覚はよくわからないのだけれど、『朗読者』っていう小説
でもそうだけれど、もうかたくなに隠すんだね。何かを失ってもその秘密だけは隠す。隠すから今から字を習うことも難しくなってくる。
もっとも彼の場合は、そもそもそんな時間も、土地柄から機会もないから仕様がないのだけれども。
B/
さあ、募集して家政婦さんが来た。年は33歳、でもどこか都会的ですごい綺麗な人。農道の道端でスーツケースに腰掛け、ガーター・
ベルトを直すシーンのなまめかしいこと。全然田舎の風景に馴染んでいないのね。
J/
田舎の寂しい男のところに、都会的な女がやってくる。この辺がもうとってもクラシックだよね。サイレント時代の名作『サンライズ』も
そう。この間まで公開されていた『白い花びら』は女と男が逆になったパターン。でもこの映画の女性は田舎の生活に馴染もうってしてい
る。そこは違う。
B/
でも、彼女がトリ肉が好きだっていうんで、彼が夕飯にと鶏を一羽つぶそうとしているのを見て、吐きそうになってしまうのね。それでも
って夕飯に出てきても、結局どうしても食べられないわけ。この人大丈夫かなって感じがする。なぜこんな洗練された人が、こんな田舎に
来たんだろう。これにはきっと訳がありそうっていうのが、誰にもわかるわよね。
J/
鶏を一羽つぶす男のゴツゴツとした手と女の華奢で綺麗な手。友達もそのことにいち早く気付いて、あなたは本当に家政婦をやってたのか
って、疑問の声を投げかける。
B/
でも男のほうは、そんなことはまるで見えていないみたいなのね。もう若い女性が来たっていうだけで嬉しくて仕様が無い。母親が死んで
以来、まったく使っていなかった、二階の部屋から足音がする。もうそれだけで嬉しい。下の寝室で愛犬といっしょにベッドに入り、「あ
あ人がいるのだなぁ」と。だからそんなことはまったく目に入らないのね。
J/
これまでの身にしみた孤独が見えてくるね。孤独の表現がすごくいいね。翌朝、お小水を捨てに行くと、バッタリ顔を合わせてしまって、
照れくさそう。そんなこと思いも寄らなかったんだろうね。食卓に行くと、もう朝食ができている。「先に髭を剃ってきてもいいですよ」
と家政婦さんが言うと、「髭は1週間に1回しか剃らない」って言う。どうせそんなに人と顔を合わさないし、農作業に明け暮れているから、
必要を感じなかったんだね。けれども、彼女が来て一日がたち、二日たち、三日もたつと、今度は毎日髭をそるようになる。
B/
そうねぇ。そうした細部が、この映画はよく描きこまれているわね。
J/
彼女が来てから、部屋がどんどんかたずいてくる。「お買い物は、これでよろしいですか」ってリストを見せても、男は読めないから、
読んだふりをして、承諾をする。こうして、段々と彼女の存在が大きくなってくる。殺風景だった家に、彼女の色がついてくる。お小水
を朝捨てるのもお互い普通のこととなり、距離も段々近づいてくる。
B/
そうなると心配になってくるのが、友達のほう。最初はからかい半分でちょっかいを出すだけだったのが、そのうちこれはいけないと思う
ようになるのね。
J/
特に、自分と毎週行っていた、競馬の約束を忘れて、彼女の洋服を買いにふたりで街に出てしまい、待ちぼうけを食わされちゃう。それで
男が本気で彼女に惚れ込んでいることに気付いてからは、まずいと思う。好きなことは前からわかってはいたけれど、そこまでとは思って
いなかった。彼女は彼女で、洋服を買ってもらったと、嬉しそうにしている。この女は何かをたくらんでいるに違いないって思った。
B/
でも、ストーリーが進むにつれて、何かを隠しているけれど、どうもそうでもなさそう。あの洋服だって、結局自分がというよりも、彼が
気に入ったんで選んだだものね。
J/
そうだよね。初めて彼女がキスをしようとするシーン。男のほうは、長いこと孤独に生きてきた人。女性と話をすること機会自体があまり
なかった人だから、思わずひるんで拒んでしまう。その時のふたりの表情。女のほうも、本気だね。思わぬ反応に一瞬ショックを受ける。
男もその場をとりつくろうとして出ていくのだけれど、夜はそのことで眠れなくなってしまう。
B/
その微妙な感情がとっても伝わってきて、切なくなってしまうわね。翌日、黙々と農場でワラを積んでいるふたり。でもお互い相手のこと
をチラチラ見て、気にしている。「昨日は夜眠れなかったみたいね。また今晩寝られなかったら、私の部屋にいらっしゃいね。」彼女は、
決心しているのね。この人はいいものを持っている。それを引き出してあげたいって。
J/
母親のように温かい視線があるよね。彼女には。なぜ彼にあんなに肩入れしたのかな。
B/
彼女の生きてきた世界って、映画ではまったく描かれてはいないのだけれども、どこか汚れた世界だったような感じがする。彼女の身なり
もそうなのだけれど、それに年齢以上にどこか冷めて変に世の中がわかったようなところがあるのね。ところが、ここに来たら全然別の
世界があった。肩肘張らないで自然に生きていける世界があった。そして目の前にこんなに純粋な男がいる。ホッとするようなところが
あったのでしょうね。
J/
だから、その晩SEXをしようとしたけれども、やっぱりダメだった時、「やっぱりダメなのかな」というような表情をする。もうこの時、
彼女真剣なんだよね。それに対し男のほうは、一度はすっかりしょげて、崩れ落ちてまう。けれども、「私はもう出ていったほうがいいのね」
という言葉。そのひとことで、彼女がいかに大切か。それに気付いて、再び勇気が出てくる。
B/
自分の弱さを見つめた時、はじめて人は強くなれるのよ。それは簡単なことではないのだけれど、本当に大切な人を見つけた時、案外それ
ができるものなのよね。
J/
人を愛すると、勇気が出てくるものなんだよね。そうでない間は、それはまだ本物じゃないんだろうな。
B/
男が段々と自信をつけてくる。そうすると面白いわね。閉じこもりがちだった彼が、本当にたくましくなってくる。優しいだけじゃなくて。
自分は愛されているんだっていうのが実感されて。仕事に行くにも張りが出てくる。
J/
母親の臨終の時に残していった言葉は「時計のネジを毎晩9時に巻きなさいね。」とそれまで言っていたのに、実はそうではなかったこと
を打ち明ける。「実はそうではなくて、いい女性を見つけなさいね」だったと。こうして殻がひとつずつ取れていく。それで彼女に母親の
形見の指輪をプレゼントする。
B/
でも彼女は受け取れない。秘密をまだ隠しているから。それでも持っているだけでいいからと、指輪を渡される。そして「もう一度愛して
いると言ってくれと」これはつらいわね。彼のことが本当に好きだから。でもどうにもならないわけがあるので、彼女は彼にわからないよ
うに顔をそむけて涙する。ヘリーナ・ベリストレムのこのあたりの演技のうまいこと。
J/
このふたりお互いに最後の秘密を打ち明けていないんだよね。それができなければ、ふたりは本当に結ばれることがない。それで案の定、
それがふたりのすれ違いになってなっていってしまう。この辺の物語の作り方がものすごくうまいね。さすが『旅情』を書いた脚本家の
作品だなと思わされる。
B/
それができてこそ、このふたりは本当に幸せになれるのね。それはふたりが本当の意味で成長して、お互いが大切にできることを意味する
から。
J/
そういう意味では、この映画のラストは、とても納得がいくね。
B/
淀川長治さんが、よく「人を好きになりなさい。好きになったら、勇気が涌いてくるね」っていうことをおっしゃっていたけれど、この
映画を見ると、その言葉が思い出されてくる。勇気とはどういうことか。本当に人が好きになるということはどういうことか。この映画は
まさにそういうこと。だから、農夫の友人の若い男は、おそらく絶対に幸せにはなれない。頭だけで知ったかぶりをしていて、決して本気
にはなれないから。
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