J/
さて、いよいよ今日は今年のオスカー受賞作『アメリカン・ビューティー』を観てきました。僕は傑作と思ったけれどどうだった。
B/
私はこういう話はあまり好きでないの。でもこの映画がいい作品であることは認めざるを得ないわ。アメリカ映画なのだけれど、とっても
深みのある映画だと思ったら、イギリス人の監督さんなのね。
J/
舞台の演出家ということなんだけれど、いかにも舞台好みな題材だよね。すれ違いの積み重ねで笑わせたあげく、それが思わぬ結末につな
がっていくいうのは、シェイクスピアの戯曲やオスカー・ワイルドの戯曲にもよくあるしね。
B/
家族を扱った映画では『マグノリア』なんてあったけれど、あの作品みたいに重くはなくて、あくまでも軽いタッチのコメディにしたとこ
ろがいいわね。もっとも描いていることは重いけれども。
J/
家族ものっていうと、『普通の人々』みたいに重い作品が多かったから、これは画期的な作品。ブロードウェイやウエスト・エンドでやっ
ているお芝居のような脚本。散々笑わせたあげく、気付くと次のシーンではトンデもないことになっている。
B/
ふたつの家族が中心になっているのだけれど、コメディということもあって、両家族ともデフォルメされているわね。
J/
一見、アメリカの理想の家族っぽいケビン・スペイシーの一家と、完全に切れているお隣さんと。(笑)
B/
隣の家族は見るからににヘン。軍人あがりのお父さんは、ヒットラーが公式晩餐会で使った皿とかへんなものをコレクションしていて、息
子をなぐってばかりいる。ちなみにこのお父さんは、『遠い空の向こうに』でいい味を出していた、クリス・クーパー。この人最近乗りに
乗っているわね。それと、息子は年中隣りの家をビデオ・カメラで盗み撮りして、ひとり悦に浸っている。母親はほとんど口を聞かないで、
いつも目が虚空をさ迷っているという具合ね。
J/
あのビデオ・カメラっていうのが、映画が進むにしたがって、段々重要な意味を持ってくるね。物語の中でポイントになっている。ひとつ
には、ビデオの映像がケビン・スペイシーの一家を客観的にみつめさせる位置にもなっている。また撮影している男の子にとっては、カメ
ラのファインダーを通して物の真実の姿を見つめられるということになってくる。もっとファインダーを通してしか見れないというのは問
題なんだけれども。(笑)それとビデオ自身が後半重要な役割を演じることになるんだよね。
B/
ビデオの映像と、幻想シーンの映像と、現実のシーンの映像が相互に働いて、アンサンブルを生んでると言ったらいいかしらね。その辺が
とっても映画ならではの演出になっているわね。
J/
さて物語りのほうに話を移すね。冒頭は、街の俯瞰で始まるね。なんの個性もない街。東西南北に道路が碁盤の目のようになっていて、
街路樹がボソボソ植わっていて、その間に似たような家がどこまで続くともなく並んでいる。それにケビン・スペイシーの声が重なって
くる。それでいきなりもう死んでいることがわかる。『サンセット大通り』のパターン。
B/
なぜそうなったのかっていう、サスペンス的な興味もうまれるのね。こういう手法って。それと「なぜ」の部分を強調したいんでしょうね。
J/
それでこの街っていうのは、特にどこっていうのは出てこなかったよね。どうだったったけ。
B/
確かある街ってだけね。もっともロケ地はカリフォルニアらしいわよ。でもやっぱり地域を限定しちゃうと、地域性が強くなって、アメリ
カ全般ってことにならなくなるから、あくまでもその辺はボカしたのね。
J/
どこの誰というのではなくて、誰にもあるような問題としてね。これはひとつの典型ですっていうことだね。
B/
最初のシーン、アネット・ベニングの奥さんが、庭で赤いバラの世話をしているところから始まるわね。あのバラの種類が、アメリカン・
ビューティーっていう品種ということで、とっても象徴的なの。彼女は自分の夢を、家族とではなくて、自分自身で勝手に育てている女
というのがあとで判ってくるのね。
J/
なんか典型的なアメリカの夢って感じなんだよね。郊外の庭付きの住宅、奥さんは庭の手入れ、だんなは自家用車で通勤。一人娘がいて。
ご近所さんは毎朝ジョギングを決まった時間にして、お決まりの挨拶をして。
B/
それで夕食の団欒を見せる。これがいいわね。その風景を見れば、大体どいうい家族かってことがわかってくるものよね。そうすると、テ
ーブルにはキャンドルが灯され、ムード音楽『南太平洋』のバリ・ハイが静かに流れて、もう、アメリカの夢そのもの。(笑)
J/
『カラー・オブ・ハート』の50年代の街から、脈々と流れているやつね。少しづつ時代の変化で変わっているとはいえね。根っこはいっ
しょ。最近ではもはやジョークのネタか、あるいは『ブルー・ベルベット』や『シザー・ハンズ』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
みたいに変わった形で使われることが多いけれど、この映画を観ると根強く残っているんだね。
B/
一見完璧に見えるこの家のスタイル。でも家族の間にはぎこちなさが流れ、実はこれが奥さんの夢の世界の再生に過ぎないことが一目で
わかってくるの。家族の他の人はいやでいやでしようがないの。ただ今までは我慢してきたということなのね。
J/
まったくお寒い風景だものね。けれどこういうことってありがちなのかもしれないよ。特にだんなが会社人間で、奥さんが家の中をひとり
でとりしきっている場合にはね。
B/
家族がそれぞれ役割を演じているの。娘は娘で不満を言いながらも、一応夕食の席にはきっちり着くし、夫にいたっては、惰性になって
しまっているのね。
J/
それが崩壊していくのが、これを何とかしなければとしたところからというのが、皮肉なんだよね。お父さんは娘と会話ができない。そ
れで、娘がチア・ガールを学校のスポーツの試合でやるっていうんで、珍しく見に行く。そしたら娘の同級生にメロメロになっちゃって、
そこから変わっていってしまう。
B/
予告編にも出てくる幻想シーンがいいわよね。若い女の子へのときめきが、彼に若い時の気持ちを思いおこさせたのね。振り返れば仕事の
上では十数年も勤めて、今だうだつがあがらず、リストラに引っかかりそうになっているし、奥さんは、若い時の魅力がなくなっている。
そうなると、今まで自分は何をしていたんだろう。どうしてこんなにつまらないおじさんになっちゃったんだろうって気持ちがフツフツと
涌いてくるわね。
J/
それを後押しするかのように、その娘の同級生っていうのが、おじさん「お腹が出ていなければ、セクシー」だなんて言うもんだから、
すっかりその気になって、仕事もやめて学生時代の気分にすっかり戻ってしまう。これって気持ち的にはけっこうわかる。若い頃にやっ
ていたバイト先に再就職して、ストレスから開放され、思い出のポップスを聞いて、あこがれの車に買い換えて、おまけにラジコンまで
買ってしまう。あのラジコンっていうのが気分が出ていていいね。でもこれって誰にでもある願望だと思うよ。実際はできないけれど。
B/
うーん。でも案外そうかもしれないわね。秋葉原のラジコン・ショップ、ラジオ・ショップ、模型屋さんにおじさんたちが、いい歳をして
いっぱい集まっているっていうのを聞くと、それもその現れかもしれないわね。若い頃に好きだったところに足を運んで、その間だけは
その頃の自分に戻れるっていうの。女性からすると、ちょっと子供っぽい気もしないではないけれども。
J/
奥さんは、奥さんで仕事の上では、まったく思い通りにいかなく、それを打開しようと、不動産王、多分自称だと思うけれど、彼に取り入
ろうとしたところから、展開が変わっていく。しかも夫が突然仕事を止めてしまい、そうする必然性も出てくる。自分の作り上げた理想の
生活が崩れてしまうから。
B/
それがまた、逆に家族の崩壊、もっともそれは形という意味なんだけれども、中身はとっくに崩壊しているから、それを推し進めることに
なるわね。それにしても彼女の選んだ相手、『あなたが寝てるまに』のピーター・ギャラガーが演じてるのだけれど、とっても薄っぺらい
人物で、いかにも形ばかりにこだわる彼女が選んだ人物らしくて、面白いわね。
J/
娘のほうも、彼女自分に自身がなかったのだけれども、隣の家の男の子と出会うことで、自立をしてくるね。
B/
彼ら若いふたりが、お互いに心の中を見せ合うのだけれど、それがビデオ・カメラをいったん通してというところが、今風っていってしまえ
ば、それまでなのだけれど、ちょっとヘンではあったけれどね。
J/
レンズを通すと、安心感があるんだね。きっと。彼はそれまで、レンズを通してしか美しいものに触れることができなかったけれど、彼女
の出現によって、それが変わっていくんだ。ただ初めは不慣れだから、やっぱり心の中を見せたりするには、ビデオが必要だったんだろう
ね。彼女のほうも、人に自分をさらけ出すといった経験がなかったから、やっぱり間にレンズか必要だった。
B/
最初に彼が撮った美しいと思う瞬間の映像、風でビニール袋が踊ってるかのように見える映像を見て、彼の心の中を感じたから、安心感と
いうか、信頼感ができたのよね。
J/
将来的には、ふたりは彼らの両親よりいい関係は作れそうだけれどね。
B/
妻は、自分の夢を壊されないように、必死。旦那は責任みたいなのを放棄しちゃって、自分自身を開放。娘は、自分を発見して、それぞれ
が別の道を歩み、家庭はあっけなく崩壊してしまう。これは現代病なのかもしれないわね。ストレスから自分の身を守るために出た行動、
でもこれが同時に大切なものもなくす結果になってしまうのね。
J/
これは、あくまでもアメリカの話で、日本の家族にはこの映画のような形は当てはまらないと思う。けれどもこれは、僕には対岸の火事と
は思えないところがあるんだ。
B/
たまに、これはアメリカの家族の話で日本とは違うから、ピンとこないとっていう人がいるわね。確かにひとつには日本の家庭とアメリ
カ人が夢見る家庭とは隔たりがあるわね。家族がその夢のためにそれぞれの役割を演じるっていうよりは、すでに家の形ができてしまって
いるの。例えばお父さんは会社で働いて、給料を家に入れて、財布の紐を握るのはお母さんみたいな形ね。日本のお父さんは別にそれは
当たり前のことをしているって意識しかないの。だから会話で「いくらくらいお小遣いもらってます」なんてのが当たり前に通じている。
でも、世界的にはこういう習慣は実は珍しいほうだというのにね。
J/
確かにね。演じているってわけでもないものね。当たり前のこととして受け容れているんだから。だから逆に崩れるときって、奥さんが
万引きをしたとか、旦那が電車の中で痴漢をしちゃったとか、そんな崩れ方をしていくのかな。
B/
逆に日本では、家庭で自分の役割を演じるというよりは、最初から家庭がバラバラになっていくの。子供は塾で帰りが遅い。旦那は仕事
で帰りが遅い。というようなわけで、食卓を無理して一家で囲むという以前に、時間が合わないから食卓をいっしょにできないという
事態に陥っていってしまうのね。
J/
そうなると、どうなるかっていうと、子供は子供で自分の世界に閉じこもり、奥さんは趣味の講座、ダンス教室に没頭し、旦那は毎日仕事
帰りに飲み歩き、午前様ってことにますますなってくる。核となるものが違うけれど、根っこの部分は似てるのではないかと。
B/
そういえば「AERA」にも丁度そんな記事が載っていたわね。題して「ホテル家族」夕食の時間が合わない生活が長く続いて、そういう
ライフ・スタイルが気楽になってくる。それで今度は家族全員が家にいても、別々の部屋で過ごして、お互い干渉しなくなってくる。
こういう家族が増えているんだって。外でストレスが多いのに、家の中くらい気楽にいたいっていう自己防御がそこに働いている。形こそ
違うけれど、そういう意味ではアメリカと根っこはいっしょかもしれないわね。
J/
最近少年犯罪が多いのも、そういった家族のあり方と関係があるかもしれないね。だから『アメリカン・ビューティー』はやっぱりアメリ
カだけの問題ではないと思うよ。
B/
そう考えると、とっても示唆に富んだ映画よね。しかもコメディでこれをやったところがやっぱり凄いんだわ。
J/
この映画のことを話していると、話は尽きないものね。この作品はアメリカ映画史に残る一編になっていくと思うよ。
B/
監督が英国人というのがミソだけれどもね。でもだからこそ出来た映画なのかもしれないけれどもね。
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