J/
この映画は素晴らしいのひとこと。愛の作家ベルトルッチ監督が、この世紀末にこんなにも美しい映画を撮
ったということが、とても嬉しかった。
B/
ここのところベルトルッチ監督の映画は、大きいスケールの作品が多かったから、やっと本来の彼らしさが
戻ってきたていうかね。
J/
70年代の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』では愛の愚かさ、憐れさを。90年には『シェルタリング・ス
カイ』で愛の厳しさを。そして、この世紀末最後の映画では、愛の純粋さへと辿りついたということが面白
いね。
B/
美輪明宏さんがいうところの「本当の愛っていうのは、相手が自分から離れてしまっても、変わらぬ愛を捧げ
るんです。相手が幸せであればそれでいいって思うんです。それが本当です」ってやつなのね。
J/
おばさんから遺産を相続したピアニスト。その唯一の遺産でもあるスペイン広場の脇にある家にひとりで世
捨て人のような生活を送っている男。彼がひとりのアフリカの女性への愛にめざめ、それにのめりこんでい
く話し。
B/
彼女に愛を告白したところ、「本当に愛しているのなら、刑務所にいる私の夫を助けてちょうだい」この
言葉にいったんは傷つくものの、それから本当に彼女の夫を助けるために身も心も財産も投げ打ってしまう。
J/
見かえりは期待してないんだよね。夫が刑務所から出所すれば、なおさら、彼女への思いはダメになってし
まうのだから。ただ彼女を喜ばせたい一身で、自分のすべてを投げ出してしまう。
B/
犠牲的精神のなにものでもないのよね。そこには自分はこうなりたいって部分がかけらもないの。
ただ"犠牲的精神"なんてということは、観ている側が客観的に言っているだけで、
当の本人は、意識していない。"完全無私"の世界にまで昇華しているんだけれどね。
J/
現実には難しいかもしれないけれどね。
B/
でもチャップリンに対するエドナ・パーヴィアンスの献身的な愛とか、世の中にはあるものなのよ。
結婚には至らなかったけれども、公私共に尽くして、「私はチャップリンと共演できたこと、それだけが
私の人生の誇りで、それだけで私は幸せです」って言って、生涯独身で過ごした女性とか。
J/
世紀末の作家、オスカー・ワイルドが言ってるんだよ。「愛がもっとも純粋化されるのは、犠牲の精神だ」
って。それなんだろうね。でも今だからこそ、そうしたことが大切にされるべきかもしれないね。
B/
世紀末っていうのは、やはり何かが変わる時代なのね。19世紀でいえば、産業革命で今までと違った価値観
が登場してきて、もう「科学は素晴らしい。安価で大量にできる商品が、人々に富をもたらす」っていうこ
とで、古い良いものが、軽視されされはじめた時代だったのね。
J/
それに反発してたのが、オスカー・ワイルドだったんだね。1世紀前まであったダンディズムを取り戻し、
振興勢力のピューリタンに反抗して、もっと自由にありたいと。世の中。金、金、金で結婚さえも政略結婚
が横行し、純粋な愛はどこへ行ってしまったのだと。犠牲的な騎士道精神は、なくなったのかと。
B/
今の世の中でいえば、やっぱり「コンピューター」がそれに当たるものなのかしらね。ゲームがどんどんリ
アルでよりバーチャルなものが求められ、その結果現実と架空の世界が区別できない人間が出てきている。
J/
飛行機が操縦したいってハイジャックした人みたいなね。
B/
このあいだなんか乗ろうとした電車の車両で、何か口論がおきたらしくて、
あげくに若い方の男が、じいさんの方の顔を思いっきり
ぶん殴ったところにいきなり鉢合わせしたの。
グシャッって音がして、口からものすごい血が噴出して、
私は怖くて真っ青になっちゃった。
そして、その若い男と女性は、私と入れ替わりに走って逃げちゃった。
J/
それはひどいね。このくらいやったら、こんなになっちゃうよっていう手加減みたいなのがないんだね。
B/
それも普通の男の子なのよ。若い女の子を連れた。じいさんのほうは、やり返すでもなく、つらそうにうつ
むいているだけでね。まったく無抵抗のまま。しかも回りの人は、誰もが平然として誰も何事もなかったよ
うに座っているの。この光景を見て、私はいつから世の中こんなになっちゃったんだろうって。
J/
今、怖いのは、そこなんだよね。昔はヘンな人は見かけも怪しいものだったのだけれど、今は見かけが普通
の人の中にも何をするかわからないようなところがあるんだね。
B/
インターネットとか実際私たちはその恩恵を受けてはいるのだけれど、その半面便利になるにつれて、失わ
れるものが必ず出てくるのね。バーチャルと現実の区別がつかないこともそのひとつだし、インターネット
でお話はするけれど、フェイス・トゥ・フェイスではお話ができない人とか。心がゆがんでいく人たちがい
るのね。
J/
このところの事件って異様なものが多いものな。話しがだいぶそれちゃったけれど、そんな世の中だからこそ、
このような「純粋な愛」を描いた映画が出てきたのかもしれないね。置き去りにされている本当に大切な
ものを、もう一度取り戻そうよって感じで。
B/
最近、オスカー・ワイルドを取り上げた映画が多いのも、ただ単に没後100年ってことだけじゃなくて、
そうした時代背景だからなのかもしれないわよ。
J/
『シャンドライの恋』は、それだけじゃなくて映画が本来持っている魅力を再認識させてくれた部分もあるね。もちろんハイ
テクはなくて、セリフも極端に少ないんだけれども、ただ映像のイメージだけで心理を表現していくってと
ころがね。
B/
特にあの螺旋階段のイメージが素晴らしいわね。ふたりの微妙な距離感がよく出ていて。例えば、階段の上
と下で、お互いにはっきりと見えているのに、歩み寄ろうとすると、ぐるぐると回って、なかなか辿りつく
ことがてきない。その感覚。
J/
国が違う。文化が違う。置かれた境遇も違う。人種も違う。それを超えて結びつくっていうのは、大変なこ
とだものな。映画の最初では、彼が上から彼女を見ているという構図になっているけれど、途中彼の告白が
あって、彼の方がある決心をしたあとでは、これが逆になってきている。
B/
彼女の彼に対する揺れる気持ちが、白い布となって、階段の上からゆっくりと落下し、下に降りた彼の顔の
上にかぶさるの。そのシーンのきれいなこと。スリリングなこと。
J/
心の動き、心の揺れは、音楽でも表現されているよね。シャンドライが彼の部屋に掃除機をかけにくるとこ
ろ。男は、最初、既存のクラシックばかり弾いている。で、彼女にはそのゆったりとしたリズムが、いやで
いやで、自分の部屋でいつもアフリカっぽいリズムのポップスをかけて音を消してた。
B/
ふたりの決定的な溝とも言えるわよね。
J/
で、彼女が掃除機をかけている。その姿を見ているうちに男が、ピアノを弾き始める。クラシックではなく
て、自分のオリジナル。彼女の姿がそのまま曲のリズムになり、思いがそのままメロディーへと変わってい
く。
B/
シャンドライがいつしかうっとりとそれに聴き惚れて。ふたりの間にはじめて何かが通い合う。とっても官
能的なシーンよね。
J/
けれども、それを破るように玄関のベルの音がなって、それでまた現実に引き戻されてしまうのだけれども
ね。
B/
夫が無事であるという手紙が来た時には、逆にピアノの音は鳴り響いているのに、それをかき消すように、
ミュージック・テープの音量を上げて、アフリカのリズムで踊る彼女もいて。その辺に彼女の揺れ動く気持
ちが見事に込められているわね。
J/
その後、友達に誘われて、ウキウキして酒場に行く。そうすると、回りの賑やかさにポツンと取り残される
自分がいる。ぼーっとしながら、ビールを注ぐと泡がはじけて、それが次のシーンでは、螺旋階段を掃除す
るシャボンの泡のイメージとつながってくる。美しいねー。それと、シャンドライが、夫の無事に安堵する
一方で、ピアニストのことも好きになっていて、心が揺れ動いているのが、この場面のつながりで鮮やかに
出てるんだね。
B/
最初は、家の掃除をするという仕事つきの条件で入居したアパートだったので、義務的に置物を撫でている
だけだった彼女が、途中から、丁寧になってきて、いえ、丁寧というより置物を雑巾で拭くその手が、まる
で愛しいかのような手つきに変わっていくところも面白いの。
J/
彼女が夫を助けてくれた男に手紙を書くシーンも素晴らしかった。「サンキュー、サンキュー」言葉がそれし
か書けないの。でも自分が言いたいことがそれでは、表現できないのがわかってる。明るいうちから書き始め
て、真夜中になって、便箋が「サンキュー」って文字で埋め尽されて真っ黒になってる。
B/
とうとう夫のお祝いのために買ってきたシャンパンの封を切ってしまって、それを飲みながら、また書き始め
る。このことの意味ねぇ。
J/
本当、こんなことをひとつひとつ挙げていくと、キリがないよね。全編にこういった感情を表現したイメー
ジが溢れているからね。ものすごい繊細に、丁寧に作られている。なおかつそれが本当に美しい。涙が出て
くるくらいにね。
B/
映像も、演出も、物語もすべてが美しく、切ない。この映画は私がこれまでに観た恋愛映画の中でも、もっ
とも美しく、素晴らしい映画の一本と言えると思うわ。本当の愛を描いたという意味でも。
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