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第74回「風が吹くまま」

CASTジャック&ベティ

風が吹くまま 監督…アッバス・キアロスタミ 、 脚本…アッバスキアロスタミ
撮影…マハムード・カラリ 、 音楽…ペイマン・ヤズダニアン
キャスト…ベーザード・ドーラーニー 、ファザード・ソラビ

1999年イラン・フランス(ユーロスペース)/
上映時間1時間58分

ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 『風が吹くまま』は、僕にとって去年最高の映画だった。

B/ これは、本当にすごい作品だったわね。

J/ 前作『桜桃の味』では、「人生苦労も多いけれど、自分たちはこんなに美しい世界に住んでいるんだ。人間 は自分で死を選ぶこともできる。けれども、追い詰められて死んだ気になって、初めて気づくこともある。 またそれで乗り越えることもできる。」ちょっと逆説的な観点から、「生きる」ってことを描いていたね。

B/ 今回は、それをまた一歩つきつめたみたいな感じになってたわね。「死」っていったいなんだろうってこと でね。

J/ その昔、ジョン・ヒューストンの渾身の名作『ザ・デッド』とか、映画は「死」についても描いてきている けれど、この映画のような描かれ方っていうのは、ちょっと他になかったような気がするよ。

B/ そうね。一番近いところにあるのが、ビクトル・エリセ監督の『マルメロの陽光』かもしれないわね。画家 の日常を淡々と描いた映画で「死」そのものを描いているわけではないのだけれど、映画の奥に流れる精神 にとっても共通するものがあるのね。

J/ 一本の木を毎年毎年描き続ける画家の話し。マルメロの実と自然の光が毎日、毎時間、異なった美しい表情 を見せるのに魅せられてしまった画家が、その様子をキャンバスに写し取ろうとするのだけれど、どうして もそれができずに、いつまでも未完のままでいる。本人もそんなことは不可能なことがわかっていながら、 画家として描かずにはいられない。自然をあるがままに受け容れ、その美しさに畏敬の念をもって接してい るんだね。だから別にそれでいいと思っている。そんなところが、キアロスタミ監督の今度の作品の底流と 共通するんだね。

B/ そうね。ある村で昔ながらの風習でもってお葬式をする村があるから、それを取材しようっていうのが、今 度の映画のストーリー。もうすぐにでも亡くなりそうなおばあさんがいるっていう情報を受けテレビ・クル ーが乗りこんでくるのだけれど、おばあさんはそう簡単には死なないのね。

J/ 毎日、彼女の孫に「おばあさんの具合はどうか」って尋ねるのだけれど、「今日は食べ物を口にした」「今 日はとうとう起きあがれた」っていう具合に、むしろ元気になってくる。本当はそれは喜ぶべきことなんだ けれども、それでは遠く首都から700キロの道のりをやってきて、経費もかけているのに無駄になってし まうんで、がっかりする。

B/ 何もできずに日々が過ぎていき、他のスタッフはいらだってくるわ、テヘランからは機材の返却の催促はく るわで、彼自身もイライラしてくる。この辺の矛盾がとても面白いわね。

J/ 便利なはずの携帯電話は、村の中では使えず、車で小高いところまで走って行ってやっと通じるような状態 で、出たら出たで、イライラさせられる話ばかり。主人公のディレクターは、村ではそれなりにのんびりや っているのだけれど、この電話によっていつも別の時間、都会の時計に引き戻されて、イライラを募らせて いくんだね。

B/ 村では静かに時が流れ、人々はその時間の流れにそって一所懸命働き、あるいは勉強をしている。彼だけが 仕事もなくブラブラとしている。彼もその時に身を任せている時はいいのだけれど、この電話で都会の日常 の慌しい時の流れに引き戻されると、途端に自己矛盾をおこしてしまって、またイライラが始まるのよね。

J/ 「人は働き過ぎるとオーバー・ヒートする。暇過ぎてもオーバー・ヒートする」ってセリフにつながって きてるよね。

B/ その土地にはそれぞれ別の時間が流れているもの。その自然の法則に従った生活をしていればいいのだけれ ど、一旦逆らうと、それがフラストレーションになってしまうということよね。

J/ 考えてみれば、主人公のフラストレーションはすべて自然に逆らうことからおきてしまっているね。人がい つ亡くなるかなんていうのは、いくらテレビ製作のディレクターにすべての決定権があるからといって、決 めるとができないこと。まさに神のみぞ知る問題。それなのにそんな撮影をしようってこと自体が大きな矛 盾だった。

B/ スタッフにもそのことを指摘されていて思わず笑ってしまうわね。「ここ3日が勝負だ。もうちょっと待っ てくれ」って言う言葉に「あなたは神か死神のどちらかと知り合いですか」って(笑)

J/ 実際死の危険っていうのは、思わぬ時にやってくるね。主人公と時々談笑していた電話ケーブルの穴を掘って いる男が、落盤によって危機に瀕する。主人公はその時電話を例によってかけていて、イライラしてたのだ けれども、もうそんなことなんか忘れて必死で助けを求めるんだ。もう葬式の撮影のことなんか忘れてね。

B/ 考えてみれば、これはとても皮肉なこと。人の死を待って一喜一憂している男が、命を救おうと今度は必死 になるの。死にそうだっていってた老人はまだ生きていて、若い元気な男が今まさに死の影が近づいている。 二重の皮肉になっているのよね。

J/ そうなんだよね。死っていうのはまさに神のみぞ知る。人間なんてちっぽけなものだよね。そんな風に思う と、傲慢になれなくなってくるね。自然と謙虚な気持ちになってくる。

B/ 呼ばれてやってきたお医者さんが、ちょっと気持ちが揺らいでいる主人公に言う人生哲学みたいなものが、 とっても素敵なの。

J/ そうなんだよね。あんまりいいんでちょっとその部分を引用するよ。「死は残酷だ。こういう美しい世界が 見えなくなる。天国は美しいところだと人は言う。だが私にはブドウ酒のほうが美しい。響きのいい約束よ り目の前のブドウ酒だ…」

B/ この話しをする時の風景の本当に美しいこと。黄金色に輝く麦畑の中の一本道をバイクで駆け抜けて行く。 顔をなでる優しい風。彼の言葉が本当に生きているのよね。

J/ お医者さんの自然体の生き方がとってもいいね。力みがない。時々困っている人を助け、後は暇だから、バ イクに乗って自然観察をしているっていう。穏やかにすべてを受け容れるところには、傲慢な心はないね。

B/ 結局おばあさんは、死んでしまうのだけれど、そのシーンがとってもおごそかで、人の尊厳を感じるような のね。夜が深くなって家々の明かりが消え、さらに時間が経って今度は静かに薄明るくなってくる。青い光 に包まれた村の中で、一軒だけおばあさんの家にだけオレンジ色の灯がともり、人のザワザワとした声が 聞こえてくる。亡くなるところが見えるわけではないのだけれど、朝を迎え、ロウソクの火が消えるように 静かに逝ってしまったその姿が見えるようなのね。

J/ 映画は生きることを素晴らしいことと言っているけれど、「死」をもあるがままに受け容れているんだね。 その辺が素晴らしいよ。

B/ ラストに主人公が車の中に無造作に置いていた大昔の人骨を投げ捨てて、村を後にするじゃない。主人公は ある面では「死」というものを軽んじていたじゃない。自分の仕事のために知り合いのお葬式も煩わしく思 い、仕事のために人の死を待ちわびて。でもこの村で色々な体験をしてきて、最後に人の死を目の当たりに して、初めて謙虚な気持ちを取り戻すの。その時のあの骨は彼のそれまでの態度そのものであり、また死の 象徴でもあるのよね。

J/ それを投げ捨てることで、彼の内なるものが、完全に変わるんだよな。とっても判る気がするよ。あの時の 彼の気持ちが。

B/ 投げられた骨は、小さな川の中に落ちると、プカプカ浮いたまま流れだすのね。その岸を羊が草を食んでい る。「死」と「生」が並んで映画の中に現れる。川のせせらぎをバックに静かに映画が終わるのね。なんて いいラスト・シーンなんだろうって思ったわ。

J/ 主人公の顔で終わるんでなしにね。そこには「生も死も天命ゆえ自然のまま受け容れよう」っていう監督の メッセージがあるんだね。それであのラスト・シーン。なんか救われるような気持ちがしてくるよね。

B/ キアロスタミ監督のすごさがそんなところにあるのかもしれないわね。

J/ キアロスタミ監督の映画の作り方っていうのは、ちょっと変わっていてね、まず出演者が素人がほとんどと いうところ。彼らにその場面のシチュエーションだけを話して、それに合わせてセリフを話してもらう。 だから映画の中で使われる会話は、実は監督と語り合っているその人自身の生の言葉であったりする。

B/ だからそこにはサスペンスも生まれるし、かつドキュメンタリーのような真実味まであるというわけね。

J/ そう。それでなおかつ映画の中のストーリーにピッタリはまってしまう。風景にしてもそうで、例えばこの 映画の村、村の目印になっている大きな一本の木、曲がりくねった道、そこに自然に存在するものが、とて も意味あるものなってくる。太陽電池が光を集めてそれをエネルギーに変えてしまうように、自然の中から 真実を掴みとってそれを目の前に差し出してくれるみたいなところがあるんだね。

B/ キアロスタミ・マジック! 道ひとつをとってもファースト・シーンの道とバイクに乗ってふたりが向かう道と ではまるで意味が違ってきてしまうのね。

J/ さらに今回は、そうした自然にあるもの以外にまで、象徴的な意味を持たせようとしているところが、今ま での彼の映画とはまた変わってきた。

B/ フンころがしであるとか。主人公に蹴飛ばされて転がされて起きあがり、何事もなかったように歩いていく 亀であるとか、地中から出土した骨とかね。

J/ 彼のメッセージ性がより強くなった感じがするね。

B/ ただ、亀のシーンはとってもいいシーンではあったのだけれど、撮影秘話を聞いてちょっとがっかりしてし まったの。

J/ それはなぜ。

B/ 撮影に使った亀が実際は元気が良過ぎて、すぐに起きあがってしまい、映画の中でうまく活かされないので、 そこで何回も取り直したっていうの。亀が段々疲れてきて、それで自分のイメージどおりになったっていう わけ。

J/ それは、ちょっとがっかりだね。もちろん映画の撮影でそのくらいのことは普通にすることではあるのだけ れど、この映画の場合は、テーマがテーマだからね。

B/ そうなのよ。それじゃ自分のテレビ番組の撮影のためにおばあさんの死を待った映画の主人公とまったく 一緒になってしまうのよね。まるでミイラ取りがミイラになったみたいでしょ。

J/ 映画を作るときに出てくる矛盾ではあるのだけれどもね。監督自身わかっていながら敢えてそこまでしたん だろうけれど、まあ今回は最後まで自然体のまま撮って欲しかったって気もするね。

B/ もっともその話しを聞いたからって、この映画の価値が下がるものではないのだけれどもね。この作品が 稀にみる傑作だからこそ、そんなところがちょっと気になってしまったのよ。

J/ そうだね。でもこいういう作品にたまに出会うと映画を観ていて本当に良かったって思うよ。

B/ 決して声高には主張していないのだけれど、監督の真摯さが伝わってくるしね。観てなんとも言えない感動 があるの。私もこれが昨年のベスト・ムービーの一本になると思うわ。

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