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第73回「海の上のピアニスト」

ポスター 監督…ジュゼッペ・トルナトーレ 、 脚本…ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影…ラヨシュ・コルタイ 、 音楽…エンニオ・モリコーネ
キャスト…ティム・ロス、プルート・テイラー・ヴィンス
メラニー・ティエリー、ビル・ナン、クラレンス・ウィリアムズV世

1999年伊・米(ファインライン・フィーチャーズ)/上映時間2時間05分
CASTジャック&ベティ
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ これは、とってもいい映画だった。映画らしい映画。主人公の名前も「1900」。1900年代の御伽噺 と言えるね。

B/ 生まれてこの方、船から降りたことのない男の人生なんて、およそありっこない話しだからね。

J/ とにかく美しい。豪華客船のいいこと。始めてアメリカ、ニューヨークに着く所、自由の女神が霧の中にボ ーッと現れるのがいいね。精巧なコンピュータ・グラフィックスは使っていないんだよね。もう、すぐ見て 絵ってわかる。実物ではあんな風には見えない。けれどもこの方が希望を抱いてアメリカに渡った人の心で 見た感じを出している。それがいいんだね。映画は心だよ。

B/ それで、甲板に大勢人が出ていてそれを歓声を挙げて見ている。でも、きれいな服を着た上流階級の女性は、 気のない拍手(笑)そういうところもちゃんと描いているのが良かったわ。

J/ だから物語はこの豪華客船の、1等船室、ダンス・ホールから始まるのではなくて、機関室から始まるんだ ね。機関士の黒人の男が、ダンス・ホールのピアノの上に置き去りにされた赤ん坊を見つけるところから始 まる。「なんて名前にしようか」って、煤に汚れた男たちがみんなで考えるのがいい。その間ダンボールで できた揺りかごは機械のピストンに吊り下げられ、揺れている。

B/ この映画で、主人公のナインティー・ハンドレッド少年が、初めてダンス・ホールを見るシーンもきれいだ った。アール・ヌーボー調の装飾が施された綺麗な、大きなすりガラスを通して見る、上流の男女たちのダ ンス。その影が炎のように揺らめいて。

J/ 海上で雪が降り、甲板に降り積もるシーンのきれいなこと。青い空に青い海、それに真っ白な甲板の雪。雪 ダルマが作られて頭の上に真っ赤な襟巻きがかぶせられている。そこを黒いコートを着た男女が行き来し、 子供たちは雪合戦に夢中になっている。

B/ 本当に素敵よね。短いシーンなのだけれど、とても印象に残るのね。雪が降ったり、しけがきたり、長い航 海の間には色々なことがあるものなのね。

J/ トランペット吹きの男が初めて、ナインティ・ハンドレッドに出会うシーンが、とにかく圧巻だった。大変 なしけの夜。靴磨きのために廊下に出しておいた紳士淑女たちの靴が、揺れにあわせて踊りだしたように右 に左にすべっていく。気持ち悪くなった男が花瓶にもどしていると、ナインティ・ハンドレッドが声をかけ てくる。「こっちにきてごらんよ」

B/ すると、ピアノを床に固定させているストッパーをはずさせて、椅子に座らせる。彼が弾くピアノの曲に合 わせるかのように、ピアノがすべりだして、まるでワルツを踊るかのようにフロアいっぱいに揺れ動く。 シャンデリアもそれに呼応したかのように踊りだす。もう涙が出てくるほどきれいで、きれいで。しけで揺 れているっていうんではなくて、ピアノを弾く彼の魔力の力で、すべてが踊りだしたように見えるのね。

J/ あのシーンは、本当に圧巻だった。なんて、この監督は映画のことがよくわかっているんだろうって。映画 でしかできないこと。夢のような世界。

B/ 私は、こういったシーンを見ていて、チャップリンの『移民』を思い出したわ。しけで船が揺れて、テーブ ルの上をお皿が行ったり来たりして、それでちゃっかりご飯を食べたり、またまったく食べられなかったり っていう爆笑シーンとか。

J/ 船の雪のイメージは、フェリーニを思い起こさせるし、しけのシーンや、自由の女神を見るシーンなんての は、まさにチャップリンだよね。もちろんマネをしているということではないんだよ。そんな映画の記憶が この監督の身体に染みついているんだなって感じがするんだよ。で、それが映画ファンとしては嬉しかった りするんだね。

B/ ナインティ・ハンドレッドは、とても不思議な力をもっているわよね。人の心の中を読みとって、それをそ のままピアノの音に乗せてみたりするの。あの女性の音楽は、これだよ。この男の着ているタキシードは借 り物だな。3等船室から、このダンスホールに忍び込んでいる。それでこの男がはじめに自由の女神を見つ けて、「アメリカ!」て叫ぶと思うよってこの男の曲。なんて素敵なのかしらね。

J/ 本当に、この男「アメリカ」って叫ぶんだよね。ピアノを弾いている時に彼は、世界中を旅しているんだっ て言うよね。彼は、その人の目を見て、話し声を聞いただけで、その人が住む町の様子まで見えてくるって いう特殊な才能を持っているようなんだ。

B/ それで、その物語をその場で弾いて、そのことで人の心を慰められる。そんな才能を持っているのよね。 だから、彼の音楽はどこにも存在しない彼だけの音楽。そう考えると、その見事な曲を作ったエンニオ・ モリコーネこそが、この映画の監督とは別のもう一人の語り部っていうことになるわね。時に不協和音を 混ぜたりしながら。彼の見事な曲なしでは、この映画は成立しないものね。

J/ その通りだね。このナインティ・ハンドレッドって男は、いわば色々な人生の傍観者。人の物語を知り、そ れを音楽に乗せて、人と分かち合う。

B/ まるで、船にいる妖精みたいな男なのね。彼に勇気づけられ、その後の人生を歩んでいった人がどれだけ いたか。昔の映画『ハーベイ』のうさぎのようなところがあるのね。

J/ そうそう。補足説明すると、身長2メートルの人の目には見えないうさぎが、心に傷を負った人の前にだけ 現れて、色々な人生の話しを聞き、またそれを悩める人に語って慰めてあげるっていう。そういうお伽話し なんだね。

B/ でも、彼は人の物語を眺め過ぎて、自分では、自分の人生をこれ以上どうにもできなくなってしまっていて ね。

J/ 彼は、88個の鍵盤の上で、物語を奏でることによって、完結してしまっているんだね。ただ一度無垢な少 女を見て、感動的なピアノ曲を弾いてしまった後に、船を下りてみたくなってしまう。何か完結しない思い が込み上げてきたんだね。「自分のいない所で自分の音楽が聞かれることに耐えられない」ってレコード会 社の人から奪ったレコードを少女に渡そうとする。自分の思いが一人歩きすることなく、この少女には伝 えられると。

B/ その少女が偶然、「陸から海を眺めて、海の声を聞き、人生の決断した」っていう男の娘だったから、その 話しが心に引っかかっていた彼は、「一度陸から海を眺めて海の声を聞いてみたい」と。すなわち人はどう やって自分の人生を決めていくのかっていう問いに対する答えを自分で見つけてみたいと決心するわけ。

J/ この映画の原作は舞台劇でね、語り手、映画でいえばトランペット吹きの男が、舞台で物語を語るっていう 一人芝居だったそうなんだよ。映画では、その話しを聞く古楽器屋の店主がいて、この話し手と聞き手、こ のふたりの会話にそって話しが進んで行くといったスタイルになっている。

B/ お芝居では、観客ひとりひとりが、古楽器屋の店主の役割を担っているみたいなものなのね。

J/ 映画では、この楽器店の店主が、ワンクッション入ることによって、監督のこの戯曲に対する解釈が入りこ んでくることになる。

B/ 「道ひとつとったって、何百万もある。きみたち陸の人間は、どうやって正しい道を見分けられるんだい」 果たして、自分はその広い世界にどう対処しているのか。それともそれさえ気づいていなかったのかという 問いかけみたいなものかもしれないわね。それはみなさんが家に帰って、この物語を思い出しながら、考え てみてごらんなさいってね。

J/ けれども、映画はそれに対してひとつの答えを出しているかのようだね。戯曲には存在しないラスト・シー ンを付け加えることによってね。でもそれが、この映画を観て勇気づけられることの理由になっているんじ ゃないかな。

B/ 「様々な夢」これがあるから人は決心できると。「でも夢はそんなに叶うわけないじゃないか」 って声に対して、監督は自分のひとつの考えを示していると言えるわね。すなわち「友情」。なんだって いいじゃない。夢がかなわなくったって、時に道を踏み誤ったって。小さな、本当にささいなことでも「友」 になんかしてやれれば、それだけで幸せな気持ちになれるんだからって。それがあれば、夢を持ち、決断す る勇気を持ちつづけられるんだって。

J/ 「何かいい話を心の片隅にもっている限り、そしてそれを語る相手がいるかぎり、人生はまだまだ捨てたも んじゃない」この映画の中のセリフ、戯曲にも出てくるこのセリフから感じた監督の解釈なんだね。それを 映画のラストで示したかったんだろうね。

B/ そうなのね、きっと。映画は広く大勢の人が観るものだから、それを付け加えたことは、映画として良かっ たのじゃないかしらね。ただ戯曲を映画化するに当たってひとつだけ無理があったことも言わなきゃならな いかもしれないわね。

J/ それは、どういうこと。

B/ お芝居では、一人の男が自分の体験を語っているのに過ぎないから、およそ信じがたい物語をもったこの人 物が実在したのか、それともこの語り手の心の中にだけいる人物なのかが、はっきりわからないままでいる わけなのね。ところが、映画になると完全に実在した人物のように、どうしても見えてしまうのね。

J/ 最後の船の場面なんか観ると、戦争をくぐり抜けているはずなのに、タキシードなんか着て靴もピカピカに 磨いて出てくるよね。これは生きている人間にはありえないこと。これは寓話であるからこそなんだよね。

B/ そうなのだけれど、映画では、それがやけに現実的に見えてくるから、アレッてなことになっちゃうの。 しかもずっと語り部の語りで進んできたドラマなのに、ここだけが現在の話しになっているから、尚更急に ファンタジーの世界から現実に引き戻されたような心持ちがするわけ。それなのに起こっている出来事は、 相変わらず非現実的っていうわけで、戸惑ってしまうわけなのね。

J/ なるほどね。欠点といえば、欠点だね。ただね、あの場面も突然彼が幽霊のように現れるところといい、 薄暗いはずの船底がいやに明るかったり、ヘンなところから水がしたたり落ちていたり、非現実的な感じ にはしているんだけれどね。そうだな。その辺にもう一工夫が欲しいところかも知れないな。

B/ そうなの。そういう細かいところまで誰もが見ているとは限らないし、わかっても気持ちを切り替える作業 が必要になっちゃうの。まぁ、もっともそれでこの映画が台無しとまではいかないけれど、やっぱりずっと 上手に物語を語ってきて、肝心なところでのこの澱みは、マイナスかなって思うわけ。

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