J/
これは珍しい北欧はデンマークの映画、しかもドグマ作品(注デンマークはコペンハーゲンにて、1995年、ラース・フォン・トリアーとト
マス・ヴィンターベアがまず「純潔の誓い」をたて、さらにデンマークの2人の監督が続いた。映画から不純物を取り除き、登場人物の心
の動き=プロット の構図を保ち、作家性を重視するもの。)、小道具やセットを持ち込み不可とか、カメラは手持ち、人工的な照明は不
可とか色々な制約の中で映画を作らなければならない。どうも自分的には膚の合わない映画が多かったので大変に不安もあったのだけれど、
予告があんまり良くて観にいったんだ。
B/
あんまりドグマ作品とかそういう意識はなく観れたはね。これは。夜の場面なんかは確かに闇夜のカラス状態で、確かにドグマだわって感
じはしたのだけれど、なんかそういう小難しさはないのね。
J/
町の施設でやっている小さなイタリア語講座。あんまり人気はなくて生徒数は規定の人数に足りてない上に、先生が突然倒れてしまって、
青色吐息、閉鎖寸前の講座というのがいいね。
B/
なんか登場人物たちの心境と妙に重なってくるものがあるのね。みな誰しも人生に必要なものが何かひとつ足りなくて不幸みたいな人ばかり
が集まってきているから。
J/
妻を亡くしたばかりの新任牧師アンドレアス。どこからか流れてきたばかりで知り合いもなく、説教をするにもまったく自信がない。
B/
アル中でしかもガン(多分)で入院中、病院を抜け出してきては、お金をせびる…そんな母親を持つ美容師のカーレン。お客さんには「短
く切り過ぎだ」とよく怒られる。半病人の父親から当たり散らされてばかりいる娘オリンピア。不器用で、仕事で失敗ばかり。いつも慌て
ていて何か落っことしてしまう。そんなんで、ひとつとして長続きした仕事がないっていうのね。初めて父親の反対を押し切ってやっとの
思いでイタリア語講座に参加したら、その最初の授業で先生が倒れてしまう…まったくなんていう。
J/
上司から自分の親友に首であることを伝えろとせまられ逡巡する冴えないホテルマン、ヨ―ゲン。イタリア語を習っている理由は、イタリ
ア人のウェイトレス、ジュリアと話がしたいからという。40歳過ぎてもちろん独身…
B/
ユベントスがきた時に話をした。それだけが自慢で今まさに親友から首を言い渡されそうになっているスタジアム・レストランの短気な店長
ハルとか…
J/
どの人にも共通するのはコミュニケーションが取れないということなんだね。それぞれに事情は違うけれどもね。それでみんな自分に自信
が持てないでいる。自分の殻に閉じこもっている。その彼らが外国語を習おうと集まっているところがいいな。
B/
外国語で話そうとすると、なぜかみんな素直になれちゃうところがあるのよね。『ムッシュカステラの恋』のカステラ氏もそうだった。
打ち明けられない恋も打ち明けちゃえる。うまくしゃべれないんで逆に純になっちゃうのかしらね。
J/
言葉が自分自信を装飾しているってことはあるのかもしれないね。偶然にも『ラヴ・アクチュアリー』で言葉の通じないスペイン人の女
性と恋に落ちる「作家」という、この映画と似たような話もあったけれど、これなどは「作家」という職業柄そんな感じが余計に増幅され
てたような気もするよ。
B/
『ラヴ・アクチュアリー』は出てくる階層とか人数も多くて、話がよく煮詰まっていないようなところもあったし、コメディ色が強いという
ことももちろんあるのだけれど、人にリアルさというのがなかった。その点この映画は登場人物のひとりひとりにリアルさ、存在感という
ものがあったわね。
J/
講座の席の並び方ひとつ取ってもそうだよね。だだっ広い教室に生徒が散らばって座っている。仲の良いおばさん3人組がいつも一番前を
陣取っているかと思えば、父親からいつも怒られ、いつも萎縮しているオリンピアはどの人からも離れた後ろの席に座ってしまうとかね。
そんなところに人の気持ちが出ていてとってもリアルなんだね。
B/
淡々としているのだけれど、その中に細やかな感情の流れが塗りこめられいるって言ったらいいのかしら。
J/
逆にそこを掴めないとこの映画は退屈しちゃうかもしれないね。
B/
淡々としているけれども、じゃドラマは平坦かっていうとそんなことはなくて、ドラマチックでもある。話しは暗いものばかりだけれど
決してジメジメとはしていないのがいいわね。
J/
何しろ不幸のどん底にいるみたいな人たちばかりだから。そのうえ身近な人が亡くなったり、失業したりとさらに不幸がのしかかる。そん
な中で小さな奇跡、びっくりするような奇跡が少しずつはぐくまれていくのだね。
B/
そんな小さな奇跡の中でそれぞれコミュニケーションが生れて、心が開いてくる。そうすると余裕のなかった自分に多少なりとも余裕も
出てきて、そうなることで段々と人に優しくなってくる。「♪幸せは歩いてこない、だーから歩いていくんだよー」なんてところかしらね。
J/
美容院で出会った美容師のカーレンとお客のハル。いつも髪を洗っている途中で何かが起こり、髪を切らないまま帰らされてしまう。それ
でも他の美容院に行かずに何回でもハルはここにやってくる。何かふたりの関係を暗示しているようなところがある。実人生でふたりはこ
こを乗り越えられるのかとかね…。それぞれが乗り越えなければいけない壁のようなものを持っているんだ。
B/
イタリア語講座でバラバラに座っていて特にコミュニケーションもなかった人たちの距離がどんどん縮まっていった。けれどももうひとつ
乗り越えなければならない壁がそれぞれにあった。亡くなった妻への思いを整理し、ひとつの土地に落ちつくべき牧師。人に言いにくいこ
とが言えず、また大切な好きな人への告白ができないホテルマンなどなど。そんな中で持ちあがったのが講座の仲間たちで行くイタリア旅
行だったのね。
J/
イギリス人はもちろんのこと、ヨーロッパの人たちってイタリアが好きだよね。でもこの映画を観るとその気持ちがわかるような気がした
ね。
B/
そうね。ベニスにキャメラが入るとパァと画面が明るくなるのね。スタンダード・サイズのフィルムが一気にシネマ・スコープになった
くらいのワイド感がある。35ミリに違わないはずなのにね。
J/
自然光だけで撮影しているから、いっそうそんな感じがしたのだろうね。北欧とイタリアでは光がまるで違うんだね。それでかえって彼ら
の開放感っていうのがこちら側にも伝わってきたんだな。
B/
事実映画や小説の中でイタリアはそういう役割をいつも担ってきているわよね。例えば『眺めのいい部屋』の1節「だがイタリアが現れた。
太陽が万物を平等に照らすように、誰もがその気になれば生きる楽しさを得ることができるイタリアで、彼女のそれまでの人生観は砕け散
った。彼女の感受性は広がった。」なぜなのか。この映画にもまたその答えがあったような気がしたわねー。
J/
彼らにほんのちょっと足りなかった勇気、超えたくても超えられなかった壁。イタリアはそんな彼らの心を大きくしたんだな。
B/
そういう意味ではこの映画におけるイタリアはファンタジーの役割を果たしていると言えるかもしれないわね。大人のためのファンタジー。
J/
イタリアだからこそこんな奇跡のような話も信じられる。ファンタジーを心から受け容れられるんだな。
B/
観終わって本当に幸せな気持ちになっちゃったものね。とても元気が出てきた。
J/
この映画は「頑張っている人には勇気を与えてもらえる」そんな映画じゃないかな。
B/
本当にそんな人におススメの一本よね。
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