J/
とても爽やかな映画だったね。いかにもアメリカ映画らしさが出た映画で僕は結構気に入ったんだ。
B/
2時間20分あまり。かなり長いのだけれどもね。
J/
ただよくもまあ、こんなに長いお話をこれだけの時間にまとめたものだなってむしろ関心してしまうくらいだよ。競馬のお話だから当然
その場面には時間をかなり割かなければいけないし。かといって、この物語りの3人の主人公たちが出会うまでの道のりもきちんと描かな
ければ、後の感動も生まれない。薄っぺらい映画になっちゃうと思うんだ。
B/
傷ついた3人が出会うまで…この長い物語りを随分コンパクトにまとめたとは思うわね。1900年あたりからこの映画始まるでしょ。
そこから第2次大戦直前までの1930年代後半あたりまで。
J/
それがまた20世紀前半のアメリカ史とたぶってくるところが大変興味深いんだな。歴史の変化に着いていけず落ちこぼれていく人たちあ
り、上昇していく人ありで。
B/
クリス・クーパー扮するトム・スミスの歴史。カウボーイとして大西部で馬を追いかけていた。1900年代初頭とはいえすでに時代遅れ
なのだけれどもね。馬が車にとって変わる。野性の馬もいなくなり、西部に居場所がなくなった彼は次にワイルド・ウエスト・ショウに馬
のトレーナーとして参加する。けれどもこれとて映画の人気に押されやがてテントをたたむことになる。そしてメキシコ国境の街へと流れ
ていく。
J/
馬で疾走するクリス・クーパーが映り、またしばらくして、ワイルド・ウエスト・ショウがテントをたたむシーンが一瞬映るだけ。最低限
のところで描かれているね。よく観ていないと彼の生きてきた道は実はわかりにくい。意味が伝わらなかった観客もいるのじゃないかな。
B/
トビー・マクガイア扮するジョニー・レッド・ポラードは、カナダからやってきた中流のカソリック教徒。いかにもアイリッシュといった
家族で子供がたくさんいるのね。「赤毛」なので「レッド」と渾名がつくなんて『赤毛のアン』を思い出すわね。お父さんは子供の教育に
熱心で、イギリス文学の暗誦を子供にさせている。そんな家庭だった。
J/
ところがこちらは、1929年の大恐慌によって無残にも幸せな家庭は崩壊するんだね。ブラック・マンデイの株価暴落のシーンや、『怒
りの葡萄』で描かれたあの農民たちの行き着く先のない旅が当時のフィルムで流される。大家族なのでとても子供を養いきれない。途中立
ち寄った競馬場で、息子が目を輝かせているのを見て、興行師に息子を預ける決心をする。
B/
貧しい、貧しい草競馬の興行師なので、彼がその才能をいかに発揮しようとも、生活はやっていけず、彼はボクシングにも手を出すように
なるのね。ところがそこでも目が出ない。殴られるだけ殴られて、大切な目まで痛めてしまう。心もすさんでいき、父親にもらった唯一の
宝物ともいえる大切な本を河に捨てようとさえするのね。
J/
すんでのところで思いとどまる…彼がそれを捨ててしまっていたら、あの後はどうなっていたかわからないね。
B/
ジェフ・ブリッジス扮するチャールズ・ハワーズは、自転車販売の店員をしていたが、ふとしたことで自動車のとりこになり、自動車販売
業に転業する。時あたかも最初の大衆車T型フォードの発売された時代。彼は安かろう、悪かろう車の改造も手がけお店は繁盛し、手に入
れられぬ物はないほどの大金持ちになっていく。ここでもT型フォードの発売のニュース・フィルムが流されてるわね。
J/
「馬なんて乗る人がいるものか」彼は20世紀が産んだ文明の利器の虜になるんだね。大きな牧場を買い取り、厩舎から馬を追い出し、
そこに自動車のコレクションをしていくところ、とっても象徴的なんだな。
B/
もはや溺れているといったところね。ちょっとした傲慢さが見てとれる。商売も順調、奥さんとひとり息子、そして自動車に囲まれた幸せ
な家庭を築いていたのだけれども、そんな折大切な息子がトラックを運転して崖から落ち死んでしまう。
J/
まったく皮肉なものだよね。まさに彼は20世紀の文明というのに溺れてしまったのだろうね。車の倉庫に鍵をかけ、心も閉ざしてしまう。
仕事も止め、奥さんともうまくいかなくなり、離婚してしまう。そして失意を癒すためにメキシコの国境の街へと流れていくんだね。
B/
アメリカにはもはや黄金郷もなく、西部開拓の夢も終わってしまった。行きつく先はもうそんなところしかないのね。ギャンブルと酒と
女の街、悪徳も栄える街。ここにそんな流れ者たちが、ある者はお金の匂いを嗅ぎつけて、ある者は何者かから逃れて、生きる場所を求め
て集まってきていたというわけね。
J/
こうしてみると、この3人というのは形こそ違うけれどもアメリカの歴史に翻弄されてしまったという点では共通しているよね。ニュース
フィルムをあちらこちらに挿入していたことにはそんな意味があるんだな。人生って自分が思っている以上に歴史に影響を受けているもの
なのだね。
B/
逆に言えば、だからこそ人々は「シービスケット」という一頭の馬に自分自身を重ね合わせ、熱狂したのよね。私たちだって今も歌やスポ
ーツ選手、映画などに熱狂している。そしていつしかそれらが自分たちの思い出の中にいっしょになって残っていくということを知ってい
る。
J/
今日本の競馬でも、一勝も勝てない馬「ハルウララ」があれほどの話題になっている。グッズが飛ぶように売れているらしいね。これが
バブルの時代だったらきっと話題にもなんにもならなかったと思うんだ。これなんかまさに『シービスケット』と同じわけで、この映画は
そんなところをよく描いていたと思うんだな。
B/
お相撲でも、強い横綱に人気が集まるのではなくて、真面目一本だけれども頼りない感じのする高見盛。彼が意外な力を発揮して強い力士
を破るこんなところに人気が集中しているのね。これも時代を映しているのじゃないかなって気がしているのよね。
J/
この映画のシービスケットだって、調教師からさじを投げられた小柄な馬だった。ちっぽけな馬が大きな組織に属する血統のいい大きな馬
に挑む。これが当時失意のどん底にあった大衆の気分とやっぱり合ったんだね。彼らは自分たちと馬を重ね合わせていたんだよ。
B/
主人公3人もこの馬を通して出会うのね。失意のチャールズ・ハワーズが骨折した馬の治療をしているトムを見かけ声を掛ける。「なぜ殺
さないんだい」「ケガしているからといって命あるものを殺すことはない」この言葉にとても感銘を受けるのね。自分自身と重ね合わさる
部分もあったかもしれない。
J/
みんなから変わり者扱いされていたこの男の口からこんな言葉が飛び出すとは思わなかったんだね。クリス・クーパーがすごくいい。
実際、ミズーリ州の牧場で生まれ、小さい頃は、家畜の飼育をする父親を手伝って育ってきた彼ならではの真実味がある。オスカーを取っ
た『アダプテーション』よりさらにいい。
B/
そしてふたりは競走馬を探しに行くのだけれど選んだ馬がやはりみんなから見捨てられた「シービスケット」だった。暴れ馬で手に負えな
いが、それは彼の扱われ方がひどかったからに違いない。彼の目にはまだまだ可能性の光りが宿っていると踏んだのかもね。
J/
トムが選んだ騎手がまた、この暴れ馬にそっくり、大勢を相手にけんかをしているジョニー・レッド・ポラードだった。一度はダメになり
かけていた馬と騎手。気持ちが通じたのか彼らはいっしょに再生していく。
B/
この3人と一頭の馬の再生の物語り。あまりにも出来過ぎたこのお話が実話というのがすごいわね。やっぱりこういう苦しい時代にはこう
した本当の物語が生まれるものなのね。
J/
この時代だからこそ生まれてきたドラマなんだろうね。この物語りは実は前にも映画化されているんだよ。ちなみにトム・スミスの役はア
イリッシュの俳優のバリー・フィッツジェラルドだった。あの『我が道を往く』のおじいちゃん。彼には娘がいることになっていてその娘
がシャーリー・テンプル。多分実話とはかけ離れたものだったのだろうね。けれどもこの物語がアメリカではいかに有名であったかがわ
かるような気がするね。
B/
この映画の中でとっても気に入っているセリフがあるの。「僕たちが馬を再生させたのじゃない。自分たちが馬に癒され再生させられたん
だ」って。アメリカらしからぬ謙虚さ?いえいえ遥か大西部の時代、彼らは馬と共に西へ西へと開拓をしていった。アメリカにはその記憶
があるのね。だからやっぱりこれもある意味アメリカらしいところなのね。
J/
大きな組織に属する血統のいい大きな馬とのマッチレース。映画はここをクライマックスにして終わるかと思いきや、彼らにはまだまだ
大きな試練が待ちうけている。その辺は実話がベースになっているからそんなにすんなりとはいかない。映画としてはここで終わればすっ
きりとはするのだろうけれども、監督はやっぱり本物の話にこだわったのだろうね。実人生は映画のようにはいかない。またそれだから
こそさらにすごいドラマが生まれたりするってことにね。
B/
この映画のキャッチ・コピーにもなっているセリフ「誰にだって負けることはある。その時引き下がるか戦うかだ」この映画をひとこと
で言っていると思うのね。
J/
最後は、チャンピオン・カップを握り締めてていうのでなくて、暗い中をストップ・モーションで持って前進していくというところで終わ
るんだね。結果はわからない。多分最後まで走りぬけて勝利を収めたのだろうけれども、そこで終わりではなくて、これからも人生は
続いていくんだそこを示す。僕はここが気に入ったんだ。まさに「誰にだって負けることはある。その時引き下がるか戦うかだ」なんだね。
B/
レースのシーンはすごい迫力で、ぜひ映画館で観てもらいと思う。ただ、ちょっとストップ・モーションを多用しすぎているところが気に
なるところではあるのね。クライマックスがたくさんあるみたいで、かえって逆効果になってなくもない。ある程度主人公たちから離れた
視点でもって客観的に描いていたりするから、ただ泣かせようとかいうスケベ心からやっているのではないことはわかるのだけれどもね。
J/
「やったらできる」こうした往年のアメリカ映画らしさ、アメリカ映画の伝統の上に立ちながらも、それだけでは終わらせない。そうした
何気ない部分が心に残る映画であったかもしれないね。
B/
最後にいい。ひとこと…
この監督ゲイリー・ロスっていう人は脚本家出身なのね。デビュー作がなんと『ビッグ』、この前の監督作品は『カラー・オブ・ハート』
「再生のドラマ」ということに関心があるみたい。一貫したテーマのようなものを持っているけれど、いつも押しつけがましさというのが
ないのね。懐かしいようなクラシックな感覚も持っている人。私はこういう映画を作る人は好きだな。今のアメリカ映画では貴重な存在の
ひとりだと思うわね。
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