J/
『歌追い人』…ソング・キャッチャーは、歌に対する人の思い、歌にこめられた人の思い、そんなことが伝わってきて心打たれる映画だっ
た。時代は1900年代の初頭、アメリカの心の故郷を求める旅と言ったらいいのか。
B/
映画のファースト・シーンは大学の授業風景。女教師がイギリスの古くから伝わる民謡「バーバラ・アレン」をピアノで弾いているところ
から始まる。学生たちはなんだか退屈そう。この教師は古い民謡を研究している大学の教授なのね。当時の女性としては進んでいる人には
人なのじゃないかしら。それで次は主任教授を狙う野心家なのだけれども、その夢が破れるところから始まるのね。
J/
主任教授を決める教授会で全員一致で否決されてしまうんだよね。どうも同僚の教授と寝ているようなのだけれども、その彼までが、否決
に一票を投じているのに失望して、アパラチア山脈の山の中の学校で先生をやっている妹のところへ逃げ出すかのように去っていく。とこ
ろが歓迎の席で、学校に寄宿している女の子が「バーバラ・アレン」を唄い出したところから、歌を追い求める探求の旅がはじまるんだね。
B/
歌を追い求めることによってヒロインが成長していくという風になってるのね。
J/
この映画はこの古い歌を追い求める過程っていうのがまずとっても興味深いよね。
B/
元来がイギリスの民謡である「バーバラ・アレン」が、歌詞も多少違うし、その上アイルランド風の節回しがついた形でこの山奥に残って
いるということの不思議ね。
J/
そもそも彼らがなぜそんな山奥に住むことになったかというと、開拓時代に西部へ向かうために、山越えをしようとして越えられずにその
まま山の中で生活するようになってしまったということが考えられるんだ。実際そういう人はたくさんいたそうだよ。
B/
下界と交流が途絶えてしまったために、移民してきたときそのままに歌が残っていったというわけね。
J/
移民の多くはアイルランド、スコットランド、ドイツから来た人々だった。この映画のヒロインの設定は明らかにイギリス系の人。自分の
故郷の歌が、多少節が違うまでも古い形のままで残っている。失われてしまったと思われていた歌がそのままの形で残っている。これが驚
きだった。俄然学者としての血が騒いできた。
B/
そういえば映画とは直接関係はないのだけれども、「ダニー・ボーイ」という名前で知られるアイルランド民謡の元歌が「ロンドンデリー
の唄」だったってことを思い出したわ。
J/
元々「ダニー・ボーイ」はフレデリック・エドワード・ウェザリっていうイギリス人が「ロンドンデリーの唄」とはまったく関係なく書い
た詩だったんだね。たまたまアメリカに住んでいた義妹が『ロンドンデリーの唄』の楽譜を送ってきたことから、これとこの詩が合うのじゃ
ないかと考えた彼がメロディを当てはめたもの。それが世界的にヒットして知られるようになったという経緯があるんだね。
B/
この映画のヒロインのように、アメリカに伝わっていた古い民謡を楽譜にしていた人たちがいたのね。その楽譜がイギリスに送られて、
「ダニー・ボーイ」になったなんて、なんかロマンがあるわね。
J/
確かにこの映画にはそんなロマンがあるね。
B/
ただ歌には、民族の様々な歴史、その思いが込められているのを忘れてはいけないと思うのね。アイルランドは長いことイギリスの支配下
に置かれていて、宗教的弾圧から、ゲール語(アイルランドの元々の言語)の禁止、民族のアイデンティティまで捨てさせられるほどの弾
圧にあっていた。その中で歌や、ダンスに託して自分たちのアイデンティティを保ってきたという歴史があるのね。
J/
そんな中で歌は自分たちの生活の中の一部、それどころか自分たちの身体の一部となっていったんだね。
B/
彼ら山岳の民は、そんな生活の習慣をアメリカに移民してもなお持ちつづけていたのかもしれないわね。最初ヒロインが歌を採譜しようと
したときに彼らが不信顔をするのも無理はないわね。特に都会に出ていたトム(エイダン・クイン)は、都会の人間たちに不信感を持って
いるのもあって、彼女を「歌盗人」扱いにするのね。
J/
最初はもう夢中になってしまって、少女の声が枯れようがもうお構いなしといった風で採譜に打ち込んでしまう。夢中になるのはわからな
いでもなるけれど、それではあまりに心がないかなとも思えるんだよね。
B/
でも村人の暮らしは苦しいから、そんなに悠然と採譜なんかしている暇はないのね。出産の現場に立ち会わされたりする。もちろん婦人科
医なんているわけないからねぇ、都会育ちでオロオロするばかりなのだけれども、なかば強制的にせざるをえない立場に立たされていくの
ね。
J/
村人たちの生活、人生に知らず知らずのうちに入り込んでいくんだね。それで彼らといっしょに音楽を真から楽しめるようになってくるん
だね。その生活に入ってこそはじめて心の中に染み込んでくる。これこそ本来の歌の姿だったのだろうな。
B/
学術的に貴重という意識だけだったのが、そういう風に変わってくるところで、堅い堅い女性だった彼女が柔らかくなってくる。彼女の中
で何かが確実に変わりはじめるのね。
J/
その最たる場面が、ダンス・パーティーの場面。あのアイリッシュのダンスの輪の中に入り込んだときなんだね。もはや彼女は蓄音機も、
五線紙も持たずに、輪の中に自然に入り込み、彼らと共に音楽を楽しんでいる。この時彼女は学者ではなくて、ひとりの女性になっている。
そして彼らの中に完全に溶け込んでいるんだね。
B/
彼女が本当に自分たちの音楽を楽しんでいるというのが、ある意味もっとも頑なだったトムの心を和らげるのね。彼女は自分たちの音楽の
心がわかっている。それは自分たちのアイデンティティを、文化を理解し、愛してくれているということに他ならないのね。それが山の文
化を大切にしている彼だからこそ、嬉しかったのかもしれないわね。
J/
この映画の監督、脚本のマギー・グリーンウォルドは、この物語りを「初期のカントリー・ミュージック」をリサーチするうちに思いつい
たというんだ。これは自分たちアメリカ文化の原点を探る旅だったと思うんだ。その作業とこの映画のヒロインの姿が僕はどうしてもだ
ぶってきてしまう。
B/
この映画のように山の音楽に魅せられた人たちによって、アメリカのカントリー・ソングは生まれたのね。そしてタップ・ダンスもそう。
黒人のリズムと、アイルランドの靴を踏み鳴らすあのダンスが融合し、タップ・ダンスが生まれた。それにイギリスからきたオペレッタ
とジャズの音楽が加わってアメリカのミュージカルが生まれてくる。まさにアメリカ文化の原点のひとつがこの奥深い山の中にあった
ということなのね。
J/
そうなんだ。ヒロインの自分の血に流れる音楽の感覚、そのルーツ探しの旅はだからそのまま監督自身のルーツ探しの旅になっているんだ
な。
B/
今の私たちはポップスの原点なんてことをいちいち考えることなんかなく、だだただ音楽を消費してしまっているけれど、この映画を観る
と、音楽はかつていかに生活と密着し人々の魂と密接に関わっていたかということに驚かされてしまう。
J/
なんか音楽の持つ奥深い力のようなものを感じるね。音楽ってこんなにいいものだったかって思っちゃったな。
B/
細かいストーリーはもうここではしゃべらないけれども、ヒロインが最後にとった選択、これは正しかったと思うわ。女性の自立という点
でも彼女は正しい選択をしたと。
J/
というのは?
B/
男と渡り合って名誉を勝ち取ることが大切なのではなくて、大切なのは自分が本当にやりたいことを、できることを誰にも邪魔されずに、
自分自身の手でやっていくんだということ。そんな風に生きれば自分のことを本当に理解してくれるパートナーにもめぐり逢うことも
あるかもしれないし…。これこそ本当に自立した女なのだなって思うのね。何も社会的な名誉を得ることだけが本当の意味での自立では
ないのだと。
J/
なるほどね。
B/
音楽の歴史っていう点でもとっても興味深いし、また何よりもヒロインの成長していく過程が心地よい佳作よね。お勧めの一品です。
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