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第134回「めぐりあう時間たち」

めぐりあう時間たち 監督…スティーヴン・ダルドリー(『リトル・ダンサー』)
脚本…デイヴィッド・ヘア(『プレンティ』)
撮影…シーマス・マクガーヴィ(『ウィンター・ゲスト』)
音楽…フィリップ・グラス(『トゥルーマン・ショー』)
キャスト…ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア
メリル・ストリープ、エド・ハリス、トニ・コレット、クレア・デインズ他


2002年米ミラマックス=パラマウント(配給アスミック・エース)/上映時間1時間55分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 今年のアカデミー作品賞は『シカゴ』で、もちろんアカデミー賞らしくって良かったのだけれども、本当の意味で作品賞といったら、 こちら『めぐりあう時間たち』であることに間違いはない。そんな紛れもない傑作だったね。

B/ 『恋におちたシェイクスピア』にしてもそうなのだけれども、よほど本を読み込んでいなければできないような映画なのね。とても丁寧に 時間をかけて練りに練らなければこんな映画にはならないと思うわね。

J/ 3つの時代と場所の物語りを同時進行で描いていく。しかも人の内面に迫ろうっていう作品なのだから、映画にするのは大変に難しかった と思うよ。ピュリッツァー賞を受賞したマイケル・カニンガムの原作が素晴らしかったにしても普通じゃまず、映画にしようと考えないと 思う。『ダロウェイ夫人』も『オルランド』も映画としてはまったく成功しなかったくらいだしね。

B/ ヴァージニア・ウルフが入水自殺をするところからこの映画は始まるのね。3つの話の中でこの話だけが、いきなり終わりから始まる。 ここに実はこの映画の意味が隠されているのかもしれないわね。「死ぬこと」これで逆に生きることへの問いかけをしているような気が するの。

J/ 自殺をしようとした男が、その場所を捜し求める映画『桜桃の味』に通じるようなね。

B/ 冒頭のシーンがすごく良いわね。朝起きるところから始まるのだけれども、顔を洗うところ、ここに時代と場所がはっきりと出ていたわよ ね。1923年のシーンでは、水差しから水を洗面器に注いで、2001年ではもちろん洗面所の蛇口から水を出して。鏡を前にして髪を梳かす。 その時代のそれぞれの鏡のデザインが時代を感じさせるわね。

J/ 何気ないシーンだけどいいね。映画だからこそできることだものね。小説では表現しにくい。これで時代と場所を際立たせた。

B/ それぞれの時代、その時代を象徴するかのような女性たちが登場するのだけれども、生活や、世の環境は変わっても、それぞれが時代を超 えて心の中に問題を抱え、「生と死のはざま」で真剣に闘っている。そんな感じが際立ったのね。

J/ 小説『ダロウェイ夫人』の最初の出だしが、上手に活かされていると思ったね。「ミセス・ダロウェイは言った、花は私が買ってくるわ」 この小説の書き出し。ヴァージニア・ウルフがこの最初の一行を書き始めるところから映画も始まる。小説ではイヴニングのパーティーの ために必要なお花を自分で買いに行こうと決めるところから始まる。朝から気持ちもいいことだしって。それに呼応するかのように、それ ぞれの時代の女たちが、実際花を用意するんだ。

B/ 50年代の幸せな家庭の典型、当時の「ハウス・キーパー・マガジン」に出てくるような家庭の主婦、ローラ(ジュリアン・ムーア)は夫 の誕生日の朝を迎える。彼女は大切な朝というのはわかってはいたのだけれども、家族で一番朝寝坊をしてしまう。そしたら花はすでに夫 が買ってきてしまっているのね。

J/ 優し過ぎる夫。母親に気を遣う幼い息子。それに戸惑う彼女。見かけはごくごく普通の家庭なのだけれども、彼女には何かボタンをか け違ってしまっているような違和感が、ぎこちなさある。もうここからそんな雰囲気が滲み出てきているんだね。

B/ なんてったって、これからもうひとり子供が生まれるっていう女が読んでいる本が『ダロウェイ夫人』だなんて、考えられないもの。 夫の誕生日のために息子と作るケーキだって異様な色じゃない。温かい彩りで飾るのじゃなくて、いかにも作り物めいたブルーなのね。彼 女と息子との会話のぎこちなさ、これが何かをすべて物語ってしまっているのね。

J/ 元恋人で親しい友人でもある作家リチャードの栄えある賞受賞の祝賀パーティを企画する、2001年のクラリッサもまた自分でパーティ ーのための花を買いに行く。彼女もまた編集者で未婚の母、そしてレズビアンと時代の象徴とも言える女性像になっているね。

B/ 彼女の場合には、本を今読んでいるというわけではないのだけれども、登場人物の名前がクラリッサ(ダロウェイ夫人のファースト・ネー ム)、サリー、リチャードとなっているのを見てもわかる通り、話も『ダロウェイ夫人』のストーリーが一番活かされてるのね。

J/ クラリッサ、サリー、ピーターの関係が、クラリッサ、リチャード、ルイスの関係へと置きかえられ、クラリッサ、リチャード夫妻の関係 が、クラリッサ、サリーの関係に変わり、精神を病んだセプティマスはリチャードへと置きかえられているけれどもね。こんなこと言って もわかりにくいかもしれないけれど、本当によくもまぁ、こんなことを考えたなと思うんで…。

B/ なぜ、ローラはホテルにひとり向かったのか、一体どんな悩みを抱えていたのか。映画では細かい説明はされていないので、わかりにくい と思う人もいるかもしれないけれど、それぞれの時代が交差する中で増幅されて伝わってくるような効果を生んでいるので、かえって説明 過多にならなくて良かったと思うわね。

J/ 一応だんなが言うんだね。「これこそ理想の暮らしだ。夢に見てきた暮らしを君のおかげで僕は手に入れたんだ」みたいなことを。彼女に とってはつらいんだね。これが。

B/ 本当の自分と、現実の生活との間のギャップ。夫や子供に対してぎこちなくなってしまう自分。「癌で入院する」って言った同級生の女性 の目の前で本当の自分の姿が現れるのね。学生時代は大人しくて目立たない存在だった自分が自我の目覚めと共に変わり始めたときには すでに家庭に入ったあとだった。このギャップを埋めることの苦痛。あのバースディ・ケーキにそれがにじみ出ているような気がするのね。

J/ 2001年のクラリッサは「人は誰でも他人のために生きているの」と言う。確かに何かの役にたっているということは、何らかの満足感 を得られるし、自分が誰からも必要とされなくなったなんていうことは、想像するだけでも怖いことではある。

B/ けれども、その気持ちが強過ぎる彼女の生き方にはどこか肩肘張ったという感じがつきまとってしまうわね。リチャードにはそれが息苦し い。彼女は自分が望んでもいないパーティーのために奔走し、どこか疲れきっている。「自分が死んだらじゃ、誰のために生きていくんだ」 彼女が無理な生き方をしていることを、詩人で病人の彼だからこそよくわかるのね。

J/ ヴァージニア・ウルフ自身も夫との会話の中でこんなことを言っていたね。「私の幸せのことなんか医者なんかにわかるはずがない」

B/ そうね。この物語の女たちに共通するのは実はここなのね。他人から、あるいは自分から自分を型にはめてしまって息苦しくなっている 女たち。そこでヴァージニア・ウルフは言うのね。「あるがままの自分を愛すること。それはすべての人間の権利よ」って。

J/ 多分、その苦痛には個人差があるとは思う。けれども例えば職場での自分は日常生活での自分とは違うわけで、誰でもきっと自分をどこか 型にはめている、また型にはめられているっていうことはあると思うんだね。このセリフっていうのは、男女を問わず心に響いてくるよ。 もちろん僕自身もね。

B/ でもね、「あるがままの自分を愛すること」っていうのは、「自分自身と向き合う」ということでもあってなかなかにツライことではある のね。この映画はそこへ行くまでのそれぞの葛藤のドラマなのね。

J/ その葛藤の過程で必ず、彼女たちには外的な後押しがある。ひとりの優れた作家の書いた小説『ダロウェイ夫人』これが50年代の主婦ロ ーラの人生の選択にひとつの大きな力を与え、さらにそのローラの生き方が、2001年のクラリッサへと大きな影響力を与えるという風 に。ひとつの小説が時代と場所を超えて連鎖していく。

B/ そうなのね。それがこの映画のとっても素敵なところなのね。

J/ 実は、ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』のモダン・ライブラリ版への序文の中でこの小説の最初の案では、ダロウェイ夫人は 自殺することになっていたっていう告白をしているんだ。なぜ彼女がその案を放棄したのか…様々なことが色々な人たちによって書かれ ているみたいなのだけれども、この映画の中にはその答があるね。

B/ 「ダロウェイ夫人を生かし、セプティマスを代わりに自殺させることで、生の貴重さが後世これを読む人に伝えられるから」っていうよ うなことを確か言うのね。自分の小説を読む人たちへ何かを伝えたいというこの思い。ちょっと感動してしまったわ。

J/ この映画のファースト・シーンとラスト・シーン、ヴァージニア・ウルフの自殺というまったく同じ映像が物語をはさむような形になって いるよね。彼女ののちの時代のヒロインたちは生き続け、彼女だけが自殺するというのが、「ダロウェイ夫人」を生かし、「セプティマス」 を自殺させたヴァージニア・ウルフの原作の精神とピッタリ重なってくるね。

B/ 彼女の精神は、形を全く変えたこの映画の中にも生きつづけているということね。

J/ それにしてもこんな映画がアメリカで作られたっていうことは大変驚くべきことだよね。例え監督が英国人としても、ふたつの時代はアメ リカが舞台になっているわけだし。

B/ まあ、それはどいういう意味で。

J/ アメリカ映画っていうのは、昔から「なんでもやれば出きる」そんなガッツを信条としてきたもの。ロイドの喜劇から『スミス都へ行く』 『ロッキー』、今年のオスカー受賞作『シカゴ』だってある意味そういう映画だものね。ところがこの映画は違うんだね。自然体で生きな さいって言っている。『アメリカン・ビューティー』でさえ自然体になった途端、おやじさんが殺されてしまったもんね。

B/ 「ポジティブ・シンキング」っていうやつね。見せかけだけの「幸せな家庭」という型に自分をはめて努力することこそ素晴らしいってい う精神。重病人にも「頑張れ、明るくなれ!」っていうお国柄なのね。

J/ 「煙草を吸う人はダメな人間だ」「太っている人はダメな人間だ」「明るくない人間はダメだ」そこで誰もが競って禁煙し、誰もがフィット ネス・クラブに通い、あるいは整形し、精神課医にかかる…しまいには外国にまで正義を押し売りしだす。これが今のアメリカなんだね。 確かに「なんでもやれば出きる」のアメリカの精神は良かったのだけれども、ここにきてその弊害の部分が目立ち始めているようなんだね。

B/ 確かにこの映画では、ローラはその逆を行って「後悔はしない人生は送れた」って言っているわけだし、そういう意味では今のアメリカに 逆行した映画かもしれないわね。ある意味では警鐘的なね。

J/ でしょ。イギリスのヴァージニア・ウルフの小説が今アメリカで形を変えて出てきたこと。これはとてもいいことなのだけれども、逆に言 えば、アメリカが病んでいるからこそ出てきたともいえるかもしれないんだね。

B/ アメリカは私たちの未来…今この映画を観れるということは幸せなことかもしれない。そんなことも含めて考えるとこの映画はより一層興 味深いことも確かかもね。

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