J/
今、思うことは、これは大変な傑作を観れたんじゃないかってこと。その思いが日増しに強くなっているんだ。
B/
ただ、よく聞くのは『シンドラーのリスト』みたいに感動できなかったとか、主人公に感情移入できなかったという声なのね。
J/
この映画には強制収容所が出てくるわけではないし、意外なほど淡々と進んでいくからね。泣きにいきたいとかで映画館に行ってしまうと、
きっと裏切られちゃうんだと思うよ。
B/
『シンドラーのリスト』みたいに音楽で盛り上げることも無しでしょ。いかにもナチの親衛隊みたいなのが出てくるわけでもないしね。で
もそのためにこの映画にはかええって重みがあるのよね。
J/
人が聞けば驚くような体験談をサラリと、大したことのないように語る場面をドキュメンタリーなどで観ることがあるよね。そしてそれだ
からこそ、その言葉がより重みを持って聞き手に伝わってくるんだけれど、この映画にはそれと同じ種類の重みがあるんだよね。
B/
ポランスキー監督自身、子供の頃あの時代を体験してきた。でも今までこの時代の映画を作ったことがなかったのね。
J/
重過ぎて、映画を作ることができなかったのだろうね。あの時代に亡命したビリー・ワイルダー監督にいたっては、結局最後まで作ること
ができなかった。『シンドラーのリスト』は、最初ビリー・ワイルダーが映画化したがっていたそうだけれど、結局実現しなかったものね。
B/
ちなみに『シンドラーのリスト』はポランスキー監督のところにも脚本が届けられていたそうね。でもまだあの体験と向かい合う準備がで
きていないと、監督を断ったらしいわね。その彼が今どうして映画を作ろうと決心したか。ここにこの映画の本質があるような気がするの
ね。
J/
70歳にしてやっと作れた映画。やっぱりだからこそ美しく、静かで、重く心に響く映画になったのだろうと思うよ。
B/
結局、この映画を観ると、『シンドラーのリスト』がコケ威しに見えてしまうのね。ただこれは仕方のないことでもあるのだけれども、監
督本人が実体験しているか、していないかの違いはあるしね。
J/
『シンドラーのリスト』は、悪役が類型的過ぎるし、ここぞという場面ではいかにも感動的な音楽がかかったりするからね。映画の目的
が、この映画とは根本的に違うからでもあるのだけれど。そこに少し軽さを感じたのは確かだね。
B/
この映画では確かに悪役が悪役面していないわよね。死んでいった人たちも、意地の悪いことをするドイツ兵たちも、特徴的な顔がないの
よね。彼らはどこにでもいる普通の人たちなの。通りを歩いていて、むこうからひっきりなしに行き違う人たちの群れ、群れ、群れ。
そんな中に悪も善も潜んでいる。これがリアリズムなのね。
J/
戦時中だからね。ドイツ人だけがサディステイックで悪という単純なものじゃない。ユダヤ人の中にも加害者がいる。生きるか死ぬかとい
う極限の状態の中で、それぞれの生き方が出てくるだけ。彼らは悪魔でもなんでもなく、普通の人たちに過ぎない。まあ、当たり前のこと
ではあるのだけれども、やっぱり普通は、「悪」は「悪」として強烈な印象を残したくなるのが人情で、それを排した映画はそう多くは
ない。
B/
この映画で特徴的なのは、主人公がいつも傍観者であることなのね。ワルシャワ蜂起とか、ユダヤ人たちの抵抗の現場に居合わせていると
いうのに、彼はいつもそれを部屋の中から隠れて見ている。こういう映画では、とても珍しいことなのね。
J/
傍観者では劇的にはなり得ないからね。どうしても映画にしにくいんだね。ただ彼には別の意味の苦しみがあると思うんだ。閉じ込められ
た者の恐怖。そこに居合わせなかったことに対する良心の呵責と、ある意味生き延びられたという安堵の部分での矛盾した心。
B/
彼はレンガ運びをしていても、指を潰してピアノが弾けなくなることを心配しているような人なのね。ある意味現実感に乏しい人。生き延
びるって力っていう意味では、まったく非力なわけで、多分に運だけで生きているようなところがある。
J/
最初のほうのシーンで、彼が新聞をまったく読んでいないっていうシーンが出てきたよね。社会情勢に疎く、特に思想もあるわけじゃない。
だから弟を助けるためなら、時にドイツに媚びを売っている同胞にも頭を下げることができる。
B/
彼にとって大切なのは、ピアノを弾くこと。芸術家ってある部分そんなところがあるのかもしれないけれどもね。ただ彼が清いのは、ドイ
ツに媚びを売った同胞たちとは違って、魂までは売らないこと。彼が魂を捧げられるものは、音楽だけだからね。子供のような純粋さを
彼は持っているのね。
J/
その純粋さと、客観的で優れた観察眼、ポランスキー監督は原作のそんなところに惹かれたのかもしれないね。物語もおのずと単純にな
ってくるし。「生か死か」そこにあるのはそれだけだからね。余分なものが一切そぎ落とされて、映画は段々そこだけに集中してくるんだ
ね。
B/
おそらくポランスキー監督の少年としての眼もそんなところにあったのじゃないかしら。すぐ隣にある「生と死」のイメージ。ただ自身の
体験だけで映画を作るには、感情的になり過ぎてしまう。ある部分監督としての客観的な視点の部分も残しておけて、かつその中に自分の
思いまでもが表現できる素材。それがきっとこの原作だったのじゃないかしら。そんな気がするわね。
J/
戦争に行って死が身近に存在するのはある意味当たり前。ところが昨日まで挨拶を交わしていた隣人が死に、自分の街が破壊され、次は
自分かと待つだけの死は、どこか日常の延長線上にあるようで、また違った怖さがあるんだね。
B/
行進して仕事場からゲットーに戻る途中、何人かの人間が隊列から外され、道に並べて寝かされる。ドイツ人将校がピストルでひとりひとり
銃殺していく。最後のひとりに来たときに、弾が切れる。何で自分の前で突然止まったのかのかと、頭を上げる男。その一瞬の間。けれど
も将校には替えの弾が残っていて…次の瞬間男は撃たれる。
J/
ここに戦争の不条理があるよね。運命のいたずら…生と死が常に隣り合わせであること…そんな恐怖がここに象徴されているんだな。
B/
ここはねぇ、原作にはないのね。ポランスキー監督のオリジナルなのね。この映画を象徴するシーンだと思うわね。
J/
向かいのアパートにドイツ軍が入っていくシーン。おそらく周辺のアパートの住民たち全員が明かりを消して息を潜めて、この様子を見守
っているんだろうね。そのアパートの階下から上の階へとドイツ人たちが昇っていくのに合わせて明かりがついていく。一番上の階の明か
りが点くと、そこには自分たちと同じように夕食のテーブルの席についた家族たちが集まっているのが見える。そこにドイツ兵たちが入っ
ていき、全員を立たせるんだけれど、ひとりだけ立てないおじいさんがいるので無理に立たせようとするんだね。彼も必死に頑張るのだけ
れど、元々が車椅子だから立つことができるわけがない。すると彼らは車椅子ごと彼をベランダから落っことしてしまう。
B/
ショッキングよね。窓の向こうに自分たちと同じような家族の団欒がある。それが突然壊されてしまうという恐怖。キャメラがそちらに寄
ることをしないで、あくまでもこちらの窓から見た視点になっているところでかえってリアルな怖さがあるのね。
J/
さっき、主人公が傍観者の立場でいると言ったけれど、正確には違うんだよね。映画的には彼が歴史的な事件の現場の近くに常にいたって
いうことにしないと、歴史の部分がぼやけてしまうということもあって、彼の隠れていた部屋が常にその周辺にあるという風になっていた
のは事実なんだけれども、彼はそこに自分の明日来るかもしれない死というのを見ていたんだね。
B/
傍観者ではあるけれども、決して冷静な状態ではない。それが証拠に最初は家族を気遣ったり、友人を気遣ったりしていたのに、その余裕
さえなくなっていくのね。
J/
路上に散らばったスープをすする男が前半で出てきたけれど、そこまではいかないににしても、彼はやがてそれに近い状態にまで追いこまれ
ていくんだね。本能的な生への欲求だけで彼は生きている。ある意味感覚が麻痺してくるんだね。
B/
そんな彼がスープをすする男までは堕ちないのは、もう音楽の力それだけなのかもしれないわね。彼にとって音楽は本能的なものだから。
魂そのものだから。そういう何かがなかったら、人はスープの男のところまで堕ちてしまうのかもしれない。
J/
彼は、追い詰められかけたときにいつも音楽に救われるね。収容所行きの列車から逃がしてもらったのが彼が有名なピアニストだったって
いう直接的な原因だけでなくて、ふと隣の部屋からピアノの音が聴こえてくるとか、部屋にピアノがあり、それを弾けないにしても頭の中
で弾いてみるとか。それによってスーと自分に戻れる瞬間がある。魂が救われる瞬間があるんだね。
B/
確かに…だからこそ彼はあの状況に耐えられたのかもしれないわね。
J/
彼が、ドイツ将校に見つかり、ピアノを弾くシーン。ひとつの曲が終わるまで続く彼の演奏。恐らくは死を覚悟しての最後になるかもしれ
ない演奏がずっと映しつづけられる。このシーンがとても官能的で美しい。彼の顔には、まるで後光がさすかのように、光が差し込んでい
る。なぜこのシーンがこんなにも美しいか…「生」に執着してきた本能の部分がはがれ落ちて、純粋に魂だけでピアノを弾いているから
なんだと思ったな。
B/
みっともないないくらい「生」に執着してきた男が、それを超えて「美しい音楽」を奏で始めた。普通なら飢えで、ピアノを弾くような状
態ではないのに、無心で演奏を始めた。その瞬間彼はホモ・サピエンスからヒューマンになったそんな感覚があるのね。
J/
彼にはまるで神が宿ったかのような崇高さがあったね。そして音楽がドイツ将校の心に響き、ふたりの魂を結びつける。
B/
救われた彼は戦後、自分の体験談を出版し、音楽で人々を感動させ続けてその生涯を終わる。例え、彼の戦時中の生き方に卑怯な部分が
あったとしても、彼はただそこにいただけであり、人を傷つけたわけではなかった。そして何よりも生き延びることによって、のちの人生
を、人々に捧げることができた。
J/
ラストの演奏シーンは深い余韻を残すよね。死の淵に立ち、無我の境地に達したあとの彼の演奏は、それまでとはちょっと違ったものにな
ったに違いないんだ。打ちひしがれる人々の心も癒し、勇気を与えたであろうし、彼が生き延びたことは決して無駄ではなかった。収容所
で家族をすべて失い生き延びた人たちの中にのちに自殺をした人たちも多い。どんな状況下であってもとにかく生き延びられた。そのこと
が無駄ではなかったっていう彼の思い。これが実は大変に大事な部分だと思うんだ。
B/
そういえば、『ふたりのトスカーナ』の原作者も、少女時代にあの体験をして、その後自殺したくてしようがない時期があったていうもの
ね。
J/
戦争が終わって生き延びられた途端、今度は逆に死にたくてどうしようもなくなってしまう。『ふたりのトスカーナ』の原作者は、自伝的
な作品を書くとによって、やっとそのトラウマから逃れられたって言っているよね。でもそれを書く気になるまでに、長い時間を要してし
まっている。
B/
そういう意味で映画の終盤は、主人公がぐっとポランスキー監督自身に近づいてきたような気もするわね。収容所を生き延び、その後の人生も家族運もなく、
新妻とお腹の中の子供が惨殺されるという事件に会うなど、血みどろの人生を歩んできて、なおかつ自殺に追い込まれなかった…彼には
映画があったから…という彼自身の人生と重なってくるような気がするのね。彼自身が生きてこれたその人生の意味みたいなものが、あの
ピアニストの中にあるのかもしれないわね。そういう意味では非常にパーソナルな部分もある。
J/
これはもはや反戦映画とかいう枠を超えて、人の生きざまについての映画なんだね。生きていくことの意味。ヒロイズムだけが「勇気の
あること」じゃない。あの状況下から生還し、そこから生きることの意味を見つけ出していく、その生きる力、勇気。ここにこの映画の価
値があるような気がするんだ。
B/
この映画が全編静かに流れていくのは、苦悩の人生を過ごし、70にしてやっとある部分に到達した人だけが持つ穏やかさのためなのかも
しれないわね。「死」と「生」の意味を悟ったような境地…この映画にはそんな深さがあるように思う。うまく言葉では言い表せないん
だけどさ。
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