J/
『ゴスフォード・パーク』は、ブラック・ユーモアがたくさんつまっていて大変面白い映画だったね。
B/
アメリカ人の監督、製作者がよくもまあ、こんなにも英国をつかんだかと呆れるほど面白いわね。
J/
この映画のプロット自体は、英国のミステリーには典型的なパターンになっているんだね。大きな屋敷でパーティーが開かれてその中で
殺人事件が起きる。調べてみると、そこに集まっていた人たちには、それぞれお金が絡んだあるいは怨恨がからんだ動機のある人たちば
かりだったというやつね。
B/
本当にアガサ・クリスティのマープルもの『ポケットにライ麦を』、ポワロの『スタイルズ荘の怪事件』などなどいくらでも思い浮かぶも
のがあるわね。この時代背景もまさに、ポワロが最も活躍した時代でもあるわよね。
J/
1930年代第一次世界大戦と第二次大戦のはざまの時代なんだね。偶然にも執事の人生を綴った『日の名残り』もこれに近い時代だった。
英国ミステリーはホームズ以来名探偵、名刑事の多いお国柄なのだけれども、この映画に出てくる刑事ときたらとんでもない迷刑事で、こ
れこそこの映画の心と僕は見たね。
B/
ミステリーを装った映画ではあるのだけれど、ミステリーの体をなしていない映画なのね。事件をきちんと解決する探偵がいない。殺人事
件が起きるのもあまりにも遅過ぎるしね(笑)だからそれを期待していくと見事に裏切られる。ミステリーは英国の典型としての単なる道具
立てに過ぎないというところが、この映画のミソなのよね。
J/
一種のパロディっていうかね。ミステリーで既に使われた手口、小道具が随所に出てくるんで、ミステリー・ファンとしてはまた別の意味
の楽しみ方もできるかもしれない。とにかくそんな手法でもって、英国の伝統をとことん笑っちゃおうっていう映画なんだね。そうして散
々アメリカ人にいい思い?をさせておいて、アメリカの映画人にも痛烈な一発をお見舞いしているってとこがロバート・アルトマン的なん
だね。
B/
英国の深さのまた別の意味、そしてアメリカの中身のなさ。どちらにもエールじゃなかった罵声を浴びせている意地悪さがある意味快感な
のね。(笑)
J/
まず映画の冒頭は、階上の人々と階下の人々の違いが明確に描かれる。雨がザンザン降る中、伯爵夫人マギー・スミスが突然車を停める。
「ちょっとこの水筒のキャップが開かないのよ」この時代にしてこのクラシックな車。運転席と後部シートの間はガラスで隔てられている
ので、仕方なくメイドは車を降りてずぶ濡れになりながら水筒のキャップを開けるはめになる。それを当然のことと思う主従関係。
B/
ゴスフォード・パークの玄関口に着くと、ここで主人とメイドは、別々に分けられるのね。同じところからは決して入れない。主人は階上
に、メイドは地下室みたいな使用人たちの部屋に。
J/
唯一キャメラは上の世界と下の世界を自由に飛びまわる。上の世界ではさっそく噂話の花が咲く。主役はもちろん「上品」なレディ・マギ
ー・スミス(笑)顔は笑っていても、その後すぐに「まあなんて下品な服を着ているのかしら…お育ちが悪い人には本当に困ってしまう」
すべてがこんな調子。
B/
すごいのは下は下で階上の人々への噂話が飛び交っているところ。「まあ、メイドを連れてこないなんて、あそこの奥様も落ち目ねぇ」
「あそこの家は破産寸前なんですってよ」こんな話で盛り上がるのね。上も下も考えることはあまり違いがない。ただストレートか「お上品」
にかという違いがあるだけ。
J/
ここは『Gos−ford』ならぬ『Gos−sip』屋敷と見たね。マギー・スミスのメイドが、レディの願いによって下の階の噂話を
流すことによって、ゴシップが上と下を繋げている。
B/
メイドや従僕たちの間でもご主人の身分の高低そのままに、食事の席に着く場所がちっきりと順番通りになっているというのにも驚いてし
まったわね。その厳格なまでの身分社会。
J/
上の世界が下の世界にも反映しているようなところがあるんだね。実際上の階にも下の階にも尻軽女がいたりする。腐りきった人たちばか
りが出てくるこのドラマで純粋な存在の女性が上の階と下の階それぞれひとりずつ配していたりするもするね。
B/
この世界を一番客観的な位置で眺めているマギー・スミスのメイドの純粋と、この屋敷の不幸な娘イゾベルね。
J/
よくこの映画のことを『ゲームの規則』と較べて云々と言う人がいるのだけれども、僕はそれよりもこの形式は、むしろシェイクスピアの
コメディに近いと思うんだな。例えば『真夏の夜の夢』とかね。上の人たちと下の人たちが同時進行で入り乱れて、騒ぎを起こしていくと
いう形。対称となる人物がいたりしてね。
B/
うーん確かに。英国と言えばミステリーとシェイクスピア…あまりにも単純と言えば単純だけれども、いかにもロバート・アルトマンなら
そこまで徹底的にやりそうな感じではあるわね。
J/
元々がこの人の集団劇っていうのは、そういう要素があるような気がしてはいたのだけれどもね。これはまさに本場英国を舞台にした映画
だったのでよりそういう感じが強くなったような気がするんだ。
B/
しかし、この映画は登場人物が多いわね。私も最初のうちは人間関係がよく掴めなくてとまどってしまった。誰が誰の奥さんなのかななん
て。もう細かいことは放っておいて、自分も屋敷の住人になったつもりで映画の中に入ってしまうこと。これが結局一番良いみたいだった
けれどもね。
J/
不思議とそうしていると、段々人間関係がわかってくるような仕組みになってはいるんだよね。はじめから焦って見てると、かえって混乱し
てくるのかもしれない。
B/
そうそうたる英国の俳優たちが揃っているから、私たちはそれで助けられる部分もある…彼らを誰も知らないような観客が観た場合にはど
うなるのか、若干の不安はあるわね。これだけ登場人物が多いとね。
J/
でもこれだけの俳優たちが出ていると、もうそれだけを観ているだけでとっても楽しいよね。一番おいしいところを持っていっているのは
やっぱりマギー・スミスとヘレン・ミレンなのだけれども。
B/
さすがにカドフェル(私の大好きなミステリー)ことデレク・ジャコビや、あの一世を風靡した『モーリス』のジェームズ・ウィルビー
あたりになると、出番が少なくてちょっと寂しかったけれども、これほどの人数ではそれも止むなしってところかしらね。
J/
まあ、その辺は英国俳優たちの層の厚さっていうところでね。
B/
この映画の見所のひとつは、当時の時代の再現。『日の名残り』やテレビの『ポワロ』のシリーズと較べても全く遜色がないところ。
フォークの並べ方ひとつにまできっちりこだわっているのよね。
J/
『日の名残り』でも執事がフォークの並べ方をチェックするシーンがあったし、この『ゴスフォード・パーク』にもそんなシーンがあるん
だよね。ただこの映画が違うところは、「うむ、フォークが少し汚れているな」って言って、唾をペッペッって吐いて、食器を拭いてしま
うところ。(笑)これがアルトマン流なんだ。
B/
全編になんかそんなところがあるのよね。だからこの映画をこれから観る方には、そういう細かい部分の可笑しさ。そういう部分にも目を
向けて観るといいんじゃないかしら。
J/
『日の名残り』とはそういう点が決定的に違うからね。
B/
たったひとことのセリフ「完璧な召使に人生はないのよ」…『日の名残り』の主人公はそれに気づいてさえいなかったのでまだ幸福だった
のだけれども、この映画ではそれに気づいているというところが残酷でもあるのね。
J/
これはイギリス人には作れない映画かもしれないね。「完璧な召使に人生はないのよ」それがわかっていながらも、自分たち自身噂話を
すれば、「どの婦人は作法を知らない」とか言うようにすっかり階級社会の中に取り込まれている彼らだからね。実際今の英国社会でも階
級意識というのは、なくなったわけではないし。そうすると、こういう描き方はやっぱりできにくいと思う。
B/
最も英国的な世界を彼らには作れない視点でもって作ったこの映画は、今までにはなかった映画なのかもしれないわね。
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