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第129回「ロード・トゥ・パーディション」

蝶の舌 監督…サム・メンデス
脚本…デヴィッド・セルフ
撮影…コンラッド・L・ホール
音楽…トーマス・ニューマン 
キャスト…トム・ハンクス 、ポール・ニューマン
ジュード・ロウ、タイラー・ホークリン、ダニエル・クレイグ


2002年/米・20世紀フォックス、ドリーム・ワークス/上映時間1時間59分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 『ロード・トゥ・パーディション』このタイトルが実は面白い。パーディションとは「破滅」の意味。文字通り読むと「破滅への道」と当た り前になってしまうのだけれども、本当は、イリノイ州にある町の名前なんだね。少年の叔母さんのいる町。その町に到るまでのロード・ ムーヴィーということとダブル・ミーニングになっている。

B/ そういえば、『欲望という名の電車』の「デザイヤー」も本当にある地名とひっかけてあるのを思い出したわ。これは同じパターンなのね。

J/ この1931年っていう時代がとってもいいやね。1919年の禁酒法、それと1929年のブラック・マンデー、これを背景にマフィア が本当に力を強くしてきた時代。彼らは闇酒場を経営し、また銀行の貸し渋りに変わって、金貸し業にも手を染め資金を溜め込んでいく そんな時期なんだ。

B/ 映画の中でも会員制の闇酒場が出てきたわね。「この不況で、こんなに賑わっているなんて貧富の差が広がっただけなんだな」というセリ フ。まさに今、失業者やホーム・レスが増える一方で、高級なマンションは建つわ不況どこ吹く風といった部分がある日本の姿がだぶって しまって、寒くなってしまったわね。

J/ 本当に、お店が出来てはつぶれる中で、ブランド・ショップは嘘のように行列が出来、ちょっと思いきって高い料理屋さんに行ってみれば、 やっぱり満席になっているんだね。これは何なのだろうと思っていたけれど、このセリフを聞いたら「目からウロコ」だった。そういう ことだったのかって。

B/ この年代は、まさに『ゴッドファーザーPART II 』のビトー・コルレオーネがボスへと昇り始めていくのよね。

J/ 1931年という年は、ラッキー・ルチアーノがマフィアの統一を完成した年でもある。イタリア系マフィアが勢力を振るう中で、どこか 彼らアイリッシュ・マフィアは、肩身が狭そうに見える。この映画でも、彼らのさらに上の存在としてアル・カポネの名前が登場するよね。

B/ 同じマフィアものでも、イタリア系、ユダヤ系、アイリッシュと較べてみると、それぞれの個性がとっても良く出ているようで面白いわね。 大家族主義のイタリアン、個人主義で油断ならないユダヤ系、情に流されがちなアイリッシュというように。

J/ かつてのアイリッシュ・ギャングの映画『汚れた顔の天使』のウィリアム・ロッキー・サリヴァン、『男の世界』のブラッキー、いずれも 冷徹にはなりきれず、みずから悲劇的な最期を迎えているのを見るとなるほどそうなんだなぁと思うよね。

B/ いずれの映画も貧しい移民から出発して止むに止まれず、ギャングになっていたのね。おそらくこの映画のトム・ハンクス扮するところの 「サリヴァン」もまた、彼らと同じような生い立ちだったのでしょうねぇ。

J/ キャメラがとっても綺麗だったね。色を大変に抑えていて、雰囲気がとてもよく出ていた。『明日に向かって撃て!』のベテラン、コンラ ッド・L・ホールだものね。フィルム・ノワールのような雰囲気があった。

B/ それとトム・ハンクスのあの家庭の冷えた雰囲気ね。父親が何の仕事をしているかわからない。年頃ともなれば友達ともそんな話をするこ とがあるだろうに、自分はわからない。子供が廊下から覗く父親の部屋には入りがたい雰囲気があるのね。扉一枚で、この親子の心が離れ たところにあるように見える。

J/ そしてあの銃を目撃してしまったときの衝撃ね。一体自分の父親は何者なのだろう…ルーニーさんにもらっている仕事って…疑念が渦巻い てくる。

B/ この映画はギャングものなのだけれど、こういう描写を見てもわかるとおり、「父と子」がテーマになっているのね。父親がいかにして息子 を守るかっていう映画。それを読み間違えちゃって、いわゆる「ギャング映画」を期待して行くと、失望する可能性はあるわね。銃撃戦に は、爽快感というものがない。それぞれが意味を持っていて、むしろ重たいのね。

J/ そうだね。二組の親子の話しが中心になっている。ポール・ニューマン扮するルーニーと出来の悪い息子でひと組。それとトム・ハンクス のサリヴァン親子でひと組。さらにトム・ハンクスは、ルーニーに子供のときに拾われて、以来自分の子供のようにして育てられた。そし て本当の息子と、ふたりは兄弟のように育ってきたというのがある。

B/ 組織のメンバーのお葬式のシーンで、ポール・ニューマンとトム・ハンクスがふたりでピアノを弾くシーンがとても印象に残るわね。

J/ とても息があっているんだね。ふたりの関係が見えてくるようだね。事実そのすぐ後で、弟がなにもしていないのに罪を着せられ、組織に 殺されたと思っている(まあ、実際にそうなんだろうけれど)部下の男がスピーチをする中で段々激高してきているのを見てとった、サリ ヴァンが、ルーニーの意をすぐに汲み取って、さっと前に出て、彼をその場から連れ出してしまうタイミングなどは絶妙とい うしかない。

B/ ルーニーはそんなわけで、自分の本当の息子以上に彼のことを頼りにしている。それが実の息子にもわかっているのが実はつらいところで もあるのね。

J/ ルーニーは組織のトップに立つ人間として、息子であっても大失態などしようものなら、幹部会の席大勢が見る中でも厳しく責める。そう 意味ではとてもよく出来た人間だったんだね。

B/ でも皮肉なことに息子のほうはそんな父の後ろ姿を見ても、何も学ばなかったのね。それどころか、責められれば責められるほどトム・ハ ンクスへの嫉妬は深まり、自分は跡をつがせてはもえないのではないかという焦りは募る一方。それでサリヴァンを消そうと思い立ったの ね。

J/ 弟が消され、ボスへの不信感を露にしている幹部のひとりを説得しにいったはずなのに、自分の組織への背任行為に触れられると、発覚を 恐れて殺してしまう。まさにその場面をサリヴァンの息子に目撃されてしまった。彼らを消さなければ、その事実が発覚し自分が危な いというのもある。それとこれに乗じて、邪魔者を目の前から消してしまおうというのもある。

B/ ここからこの物語の悲劇は始まるのね。彼はサリヴァンの家族をすべて抹殺しようとし、自らの手で奥さんと幼い息子を殺すのに成功はす るものの、秘密バーのオーナーを使った策略のほうは、サリヴァンの機転で失敗に終わっちゃう。自分の身が危なくなったサリヴァンは、 たまたま学校から帰るのが遅れて助かった息子といっしょに、逃亡の旅に出る。

J/ その事実を知ったルーニーは、「なんてことをしてくれたんだ」と息子を殴り倒すのだけれど、散々殴ったあとで、泣いて彼を抱きしめる。 例えば『ゴッド・ファーザーPART II 』のマイケルなどは、組織を危機に陥れた兄のフレドーを冷たく突き放し、それでもダメと見て とるや、非常にも殺してしまうのに対して、なんとも人間的。けれどもそれこそが悲劇なんだよね。

B/ これを境に、ルーニーとサリヴァンは、敵どうしになってしまうのね。お互いのことが一番分かり合っている者同士だというのにね。 自分の実の息子を守るために、一番信頼していた義理の息子に殺し屋を差し向けるルーニー。それほど言葉は多くもないし、大げさな表情 を出すわけではないのだけれど、心がジワジワと引き裂かれてくるのがとてもよく出ている。

J/ 一見、ハード・ボイルド風なのに、心の中にはものすごい葛藤がある。本当は殺らなければならないのは実の息子だとわかっていながらも、 どうすることもできず、逆に信頼している義理の息子のほうを追い詰めるというね。ポール・ニューマンが素晴らしいね。

B/ それでも、直接手を下すのではなくて、あくまでも殺し屋それも、猟奇的な趣味のある男をやとってというところがいいわね。彼はまるで 死神のようなのね。人を殺してその死体の写真を撮る。それはまるで、魂を吸い取る作業のようなの。

J/ これでサリヴァン対ルーニーというよりも、ふたりが揃って死神にとりつかれてしまったかのようなイメージになっているんだね。ジュー ド・ロウがもう本当にびっくりだよね。ファンの人たちが離れて行っちゃうんじゃないかというぐらいのすごい汚れ役で。頭なんか禿げち ゃっててね。

B/ サリヴァンの息子がいつもマリア像を持って移動しているのね。なにかそれが守り神のようにも見えるのね。それでいっそうジュード・ロウ イコール死神感が強まっているのね。

J/ ジュード・ロウが彼らに追いついたと思うと、そこにはそのマリア像が置かれていて、彼らが助かるというころもあるからね。

B/ 死神からいかに自分の息子を守るか…これはもはやギャングの抗争というよりは、ふたりの父親のそれぞれの愛情の物語ということになっ てくるのね。

J/ 息子が自分に似ていたために、余計に自分のようにはしたくないというサリヴァンの親の愛。自分に似ていなかったために、自分のように は育てることができず、罪を背負ってしまったかのようなルーニー。ふたりとも親の愛ということではまったくいっしょなのだけれども、 それがために犠牲を伴うことになってしまう。

B/ カソリックの教会の地下で、久しぶりにルーニーとサリヴァンは再開する。彼らはアイリッシュだからさすがに教会の中では、そこを汚す ようなことはできない。そこでふたりは話をする。

J/ ストーリーのいい部分に触れちゃうと、これから観る方に悪いんで詳しいことは言えないけれど、彼らはそこですべてを理解しあったとい う感じがしたね。言葉では全然別のことを言っていながら、彼らは心でもって別の会話もしていた。それがどんな言葉だったのか、画面か ら伝わってくるんだね。ポール・ニューマンの演技の部分も大きいけれど、こんなアメリカ映画は久しぶりに観たという気がした。

B/ ふたりは元々、以心伝心のようなところがある関係だったじゃない。でもそれだけでなくて、同じように命が危険に晒されている息子を持 つ父親としての気持ちという点でも通じ合うところがあったのじゃないかしらね。

J/ すべてがこのシーンに集約されている気がするね。この後の展開はまさに、このふたりの無言の会話にそったかのように展開していくもの ね。ふたりが出したそれぞれの決断とは…。ふたりが再び顔を合わせる雨のシーン、サリヴァンが仕事を終えて息子の元に帰ってくるシー ン、素晴らしいよね。それもこれもこの教会のシーンあればこそ輝きを増しているような気がするな。

B/ この映画は悲劇的であるにも関わらず、観終わるとどこかに温かいものが残る。それはこのふたりの父親の愛が本物であったからに他なら ないからなのね。

J/ ギャング映画の形こそ取っているけれど、これはやっぱり父親と息子の映画。家族についての映画なんだね。『アメリカン・ビューティー』 ではどうしようもない父親像を描いていたサム・メンデスが遥か昔の時代を舞台に、今度は失われつつある強い父親像を描いたっていう感 じなんだよね。

B/ アプローチはまったく違うのだけれど、対極を示すことによって、今の父親像がより鮮明になるっていうのかな。今年は本当に父親につい ての映画が多いのだけれども、この映画もその中の一本として観るととっても興味深いわね。

J/ 奇しくも、暗黒街の古いタイプの父親像っていうことでは、フランス映画にも『父よ』っていう大変にいい映画があったしね。

B/ こういう父親って、もはや暗黒街のしかも時代も、過去にしかいないのかしらねぇ。

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